琥珀色の戯言

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【読書感想】全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
◎なぜ日本テレビは勝ち続けるのか?◎


「1994年‐2003年、2011年‐2017年、視聴率トップ。
すべてはフジテレビを逆転した94年に始まった。」


1994年、日本テレビがフジテレビを逆転した――。
フジはそれまで12年間に渡り、年間視聴率三冠王者に君臨し続けてきた絶対王者だ。
対する日本テレビは1980年代に入り、在京キー局の中で三位が定位置になり、
ひどい時は最下位がすぐ背中に迫ることも。
テレビ草創期に黄金時代を築いた日テレは苦汁をなめ続けていた。


そんななか、30代を中心とした新世代の作り手たちが原動力となり「逆襲」が始まる。
〝失敗〟を重ねてきたテレビ屋たちは、いかにして絶対王者を破ったのか。
『投稿!特ホウ王国』『電波少年』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『THE夜もヒッパレ』『マジカル頭脳パワー!』『恋のから騒ぎ』など伝説的なバラエティ番組はいかに作り上げられたのか。
当時のクリエイターたちの証言からその奮闘の軌跡を追い、
今やテレビ界を支える日本テレビ「最強バラエティのDNA」に迫る。


 僕が子どもの頃、1970年代後半から80年代前半の日本テレビって、「巨人戦頼みのテレビ局」という感じでした。
 アンチ巨人カープファンだった僕は、カープの途中経過を知りたくて巨人戦にチャンネルを合わせ、巨人の相手チームを懸命に応援していたものです。
 それもまた、巨人戦の視聴率向上に貢献していた、ということになるのでしょうけど。


 1980年代の日本テレビは、在京キー局のなかで、王者フジテレビ、TBSに次ぐ、「万年3位」に甘んじていました。
 当時はまだドル箱コンテンツだった巨人戦を擁していてもこの順位だったのです。
 この本は、そんな日本テレビを改革していった人たちに著者が直接インタビューをして書かれているのです。
 戸部田誠(てれびのスキマ)さんは、これまで、「いち視聴者としての視点」からテレビや芸能人のことをさまざまな一次史料の積み重ねで語ってきた人だったので、関係者に直接取材する、とどうなるのか?というのは、個人的に興味深くもあったんですよね。
 対象と「顔見知り」であることは、ノンフィクションの書き手にとって、どんな影響をもたらすのか?


 この本を読んでいて痛感したのは、「テレビ番組をつくっている人たち」って、やっぱり凄いんだな、ということなんですよ。
 僕などは、よく、「この番組はマンネリ化していてつまらない」とか、「適当に流行りものを採りあげているだけじゃないか」って、画面に毒づいているのですが、テレビマンたちは、何千万人もの目に触れるコンテンツをつくって、視聴率という「誰がいちばん振り向いてもらえるか」を競っているのです。


世界まる見え!テレビ特捜部』を立ち上げた日本テレビ・吉川圭三さんの話。
(1989年11月に始まった『さんま・一機のイッチョカミでやんす』という番組を振り返って)

 初回の番組収録の時だ。
「最初、何から撮る?」
 さんまの問いに吉田はこれから撮る予定のコントの概要と舞台セットを説明した。だが、さんまは思いもよらぬ反応をした。
「あ、それいらんわ」
 最初は一瞬、何を言っているのか分からなかった。だが、言葉の意味を理解すると血の気が引いた。もちろん、そのコントはさんまと事前に打ち合わせを重ねてやろうと決めていたののだ。美術に発注し、約800万円の予算をかけて既にセットが用意されている。それを使わないというのだ。これまでの日テレではあり得ないことだった。800万円がムダになる。それ以上に、美術スタッフが時間をかけてつくった。その時間と労力がムダになる。
 吉川が美術スタッフに土下座して事情を話すと、美術監督は、放送上ボツにしても構わないから、せめて収録だけはしてくれと言う。撮影した上でつまらないからボツになるのは仕方ない。けれど、最初からなしになってしまうのだけは我慢ならなかったのだろう。あわよくば、予想以上に盛り上がり、やっぱり放送しようとなるかもしれない。
 しかし、さんまは一度やらないと決めたものを翻してはくれない。
「放送せんものを撮ってもしゃあないやんか。おもろないんやから」
 どんなに準備をしても、その場の空気で面白くないと判断したら、それを躊躇なく捨てる。さんまもまた「緑色の血液」をもつ、冷酷なまでにシビアな芸人だった。実際にフジの『オレたちひょうきん族』などの番組では、このようなことは日常的に行われていたという。


 平日19時からの30分間の情報番組『追跡』をヒットさせた佐藤孝吉さんのエピソード。

 『追跡』の最終回特番に放送されたのは、その後も特番として続く人気企画「はじめてのおつかい」だった。
 幼い子供だけで「おつかい」に行く姿を映したドキュメントだ。
 だが、放送できるのは何十、何百組ロケをして1本あるかないか。あるときなど、リミットまで1週間しかない状況で半分もできていなかった。それでも絶対にヤラセはしなかった。
「不思議だね。そうやってがんばってると神様が応援してくれるんだよ」
 1年かけて3本しか撮れなかった「おつかい」が、タイムリミットまでの1週間で放送に必要な残りの4本を撮ることができた。まさに執念だった。
「神様って知ってるんだよ、締切を」
 佐藤はそう言って微笑んだ。佐藤に強い影響を受けた土屋敏男は言う。
「あの番組は1000本撮って6本採用になるくらいの割合なんだそうです。ということは166本に1本。165回空振りする覚悟がないとあれはできない。166本目に”奇跡”が起こると信じてるからできるんです。普通はその勇気はない。でも、いま『はじめてのおつかい』をつくっている連中は、166本目でこの奇跡が起きることを佐藤孝吉に見せられ、その快感を知っているから、奇跡を目指せるんです。僕はこの奇跡を待つのがテレビ屋だと思うんです」


 この本は、日本テレビ、あるいはフジテレビの「視聴率争い」というよりは、「テレビ屋たちは、面白い、視聴率を取れるコンテンツを生み出すために、いかに苦闘してきたのか」が描かれているように僕には感じられました。
 「視聴率至上主義」のテレビはつまらないと、僕も思う。
 でも、視聴率って、取ろうと思えば取れる、というものではないんですよね。
 何をやっても成功する才能の塊のような人もいれば、どこに行ってもうまくいかず、苦しんだ末に、ようやく結果を出すことができたディレクターもいる。
 そういう「つくる側の事情」などそっちのけで、視聴者は寝そべりながら、「くだらない」「つまらない」と一刀両断にしているのです。
 もちろん、ありがたがって観ろ、というような話じゃないのですが、「みんなに、より大勢の『普通の人』に面白いと思ってもらえること」を「普通じゃない人が、普通じゃない人生を送りながら、生み出している」というのは、なんだか不思議な気がします。
 媚びればいい、わかりやすくすればいい、人気タレントを起用すればいい、という簡単なものでもないのだよなあ。


 日本テレビが、王者・フジテレビを乗り越えることができた功労者のひとりである萩原敏男さんは編成局長として辣腕をふるいます。

 80年代に入ると、萩原は編成に異動になったが、そうしたつくり手の生理を理解した采配は制作現場に信頼されていた。
 編成から制作に注文することは当然ある。ある時、ある編成の幹部が制作陣に、ああしろ、こうしろと細かな指示を出した。制作陣はそれを静かに聞いていたが、案の定、彼らは聞き流すだけで言うことを聞かなかった。けれど、萩原が同じ内容のことを言い方を変えて話すと、彼らはそれに従うのだ。
「彼らには彼らの言葉があるんです。その言葉を使えない人が何を言ってもダメなんですよ」
 編成とは、萩原にとって”天職”といえた。自分が編成に向いている要因のひとつを「野球少年だったから」だと萩原は言う。
「番組は閃きでつくっていれば面白いけど、僕みたいに計算ずくでつくると段々楽しくなくなっていくんです。どうせ計算ずくなら、編成のほうが計算で成り立つ。視聴率で三冠を獲ろうと思えば、トーナメントではなく、ペナントレースのようなリーグ戦で考えなきゃいけないんです。トーナメントはその試合に絶対に勝たないといけない。リーグ戦はもし130試合あれば極端にいえば、50回は負けてもいい。この”負け枠”をつくるのが編成なんです。だから僕は制作出身の人が編成部長になるのは必ずしも賛成ではない。閃き派がなると必ずガタ落ちするんです。つまり、130試合130勝を目指しちゃう。そんなことできないし、やろうと思ったら勝てないんです」


 日本テレビが視聴率三冠を獲れたのは、番組制作者たちの力はもちろん、この萩原さんのような人を適材適所に配することができたのが大きいのではないかと思います。
 どんなに精強な部隊でも、補給がうまくいかなければ力を発揮できません。
 それにしても、この「”負け枠”をつくるのが編成」というのは、含蓄がある言葉ですね。
 制作する人たちは、「負け枠」なんてつくりたくないに決まっているのだけれど、それは承知のうえで、あえて全体のバランスをとる人が必要だ、ということなのでしょう。

 90年代半ば、フジテレビを逆転した時代の編成局長として日本テレビを指揮し、その後日本テレビ社長にまで登りつめた萩原俊雄さんにも話を伺うことができた。超がつく大物に緊張しながらも、僕は単刀直入にフジテレビに勝てた要因は何かという質問をした。
 すると萩原さんは、「残念ながら……」と前置きして、本編で明かすある人物の名を挙げた。
「残念ながら……」
 僕は、この一言に痺れた。
 そして、これから書く本は、そういう本だ、という確信めいたものが生まれた。
 つまり、この「残念ながら……」という一言には、”人間”が宿っていると思ったのだ。愛憎、恩讐、葛藤……。人間の思いが詰まっていたのだ。テレビは人間がつくっている。その当たり前の事実がくっきりと輪郭を持って迫ってきて震えた。
 テレビ屋たちのそうした思いを描きたい——。


 これまで、タモリさんや笑福亭鶴瓶さんなどがテレビやラジオでやったこと、そして、彼らの言動として、雑誌や本、関係者の話として伝えられたことを「テレビのこちら側の一観察者」として、執念を感じるほど分析し、語ってきた著者が、「あちら側」に踏み込んだ新境地。
 直接取材することによって、悪口が書きにくくなったり、全体像を俯瞰しにくくなる、というデメリットもあると思うし、実際、「テレビ屋たちを美化しすぎているのではないか」とも感じました。
 でも、これは、テレビというのが、どんどん引きずりおろされていく世の中で、「やっぱり、テレビってすごいんだな」と思い知らされる、貴重な証言集になっていると思います。
 個人的には、著者のいままでの独特の手法は、これからも捨てないでほしい、と願ってもいるのですけど。



fujipon.hatenadiary.com

1989年のテレビっ子

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笑福亭鶴瓶論(新潮新書)

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