琥珀色の戯言

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【読書感想】クリムト 官能の世界へ ☆☆☆☆

クリムト 官能の世界へ (角川新書)

クリムト 官能の世界へ (角川新書)

内容紹介
絢爛、妖艶、甘美なクリムトの主要作品を、オールカラーで1冊に集約!


19世紀末のウイーンに現れるや、絢爛豪華な作風で美術界を代表する画家となったグスタフ・クリムト(1862-1918)。没後100年を迎える今、主要作品のすべてをオールカラーで1冊にまとめました。美しい絵画を楽しみながら、最新研究を踏まえた最新のクリムト論を知ることができる決定版の1冊です!


 今年(2018年)没後100年になるグスタフ・クリムト
 僕はそんなに絵画に詳しくはないのですが、昨年、徳島の大塚国際美術館を訪れた際に、古今東西の名画の複製のなかで、すごく「いいなあ」と思ったのが、クリムトの『接吻』だったんですよ。


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大塚国際美術館にて撮影(オリジナルではなく、陶板複製画です)


 クリムトという画家は、ゴッホピカソに比べると、日本では少し知名度が低いと思われますが、けっこう映画の題材にもなっています。


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 モデルになった女性たちとの関係など、「官能の画家」というイメージが強いクリムトとは、どんな人物だったのか?

 グスタフ・クリムト、彼はいったい、何者なのだろうか。そして、彼が作品を通じて目指したものとは一体、何だったのだろう?
 この疑問に、画家自身は何も答えてくれない。クリムトは、20世紀初頭に生きた画家としては珍しく、極めて寡黙な画家であり、特に、自分に関することについては、頑なに沈黙を守った画家だった。事実、彼が自身について語った唯一の記録とされるタイプ原稿には、「私は言葉を話したり、書いたりすることが上手ではない。自身や自分の仕事について何か言おうとするとなおさらである」と断ったうえで、「唯一、注目に値するのは芸術家としての私だろうが、それについて知りたいなら、私の絵を注意深く鑑賞し、そこから私が何者で、何をしたいのかを見出してもらいたい」(『自画像が存在しないことへのコメント』ウィーン市立図書館蔵)と書いている。
 この言葉に従い、作品自体に語らせるべく、最初期から最晩年まで、紙数の許す限り、彼の作品を掲載することで、その画業の全体像を紹介しようとしたのが本書である。


 この新書には、クリムトの代表作(とされているもの)すべて、170作品がオールカラーで収録されているのです。
 中には、作品自体は第二次世界大戦で失われてしまい、残された写真で紹介されているものもあり、歴史と芸術について考えさせられます。
 人類の歴史のなかで、戦争や災害、盗難などで失われてしまった作品というのは、たくさんあるのだろうなあ。
 もし残っていれば、『モナリザ』や『ミロのヴィーナス』に匹敵するような作品もあったのではなかろうか。
 あと、クリムトは、「個人蔵」となっている作品が多いようにも感じました。
 

 クリムトといえば、前述の『接吻』や2006年にオークションで160億円の値が付いた『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』のような、金ぴかのギラギラした作品のイメージが強いのですが(ちなみに『接吻』が描かれていた時代には、「接吻」というのはタブーとされていた題材だったそうです)、170作品を追っていくと、けっこう普通の風景画も描いているんですね。
 これがクリムトの作品だと言われなければわからないような、ごく普通の「風景画」に僕には見えました。
 クリムトの黄金の絵画・官能の世界観は、インパクトがあまりにも強いだけに、本人は晩年に、そのイメージから離れることを欲してもいたそうです。
 そういえば、去年日本でも大規模な展覧会が開催されたミュシャクリムトと時代が近い人で、同じような葛藤があったとされています。
 

 ところで、クリムトというと一般的に「世紀末の画家」のイメージが強いが、黄金様式の絵画をはじめ、主要作品の多くは20世紀初頭のものである。その意味では、世紀転換期の画家というべきだろう。にもかかわらず、彼を「世紀末の画家」と呼ぶのは、その画題や人物像が、皮肉にも彼が戦ったアカデミズムと同じ前時代的な物語画(歴史画)のものであったためだろう。クリムトの晩年には、風景画に取り入れた新印象派すら過去のものとなり、表現主義を取り込もうとするも、すでにキュビズム未来派が台頭し、抽象画が産声をあげていた。彼の作品が持つ物語画の要素が、20世紀のモダニズムの時代にあっては、さぞかし時代錯誤にみえたはずだ。
 しかし、ここにこそ、クリムト作品が持つ独自性があったのだ。抽象的な装飾美に覆われながらも、最後まで具象的な人物像を手放さず、ついにその身体像は装飾的な色面と混交する。それは、いわば悪しき折衷主義であり、反対物を融合させ黄金を誕生させようとした禁断の絵画の錬金術と言えなくもない。そこにはアカデミズムが称揚した物語画の断末魔の叫び声が響いていないだろうか。


 当時は「時代錯誤」のようにみる人も少なくなかったクリムトの世界観というのは、今の時代からみると、ピカソやウォーホル、ダリのような「饒舌な画家の時代」への過渡期に生まれた独特のものであるように思われます。
 クリムトは、伝統的な美術の教育を受けていて、そこから抜け出して新しいものを作り出そうとしていた一方で、その伝統の影響を引きずってもいたのです。
 結果的に、それが「クリムトの個性」にもなりました。


 クリムトの人物像についても、周囲の証言などから紹介されているのですが、クリムトは大の猫好きで、アトリエを猫が走り回って作品を傷つけても怒る素振りもなかったそうです。

 クリムトの人物像としては、その優美で洗練された作品から、たとえば、ビアズリー竹久夢二といった繊細でナーバスな優男をイメージしたくなる。しかし、実際に会った人の印象では、「彼はずんぐりしていて、やや小太りだった。」「海の男のように日焼けした肌と、頑丈な頬骨をもち、よく動く小さな目をしていた」という。エゴン・シーレも、1907年にクリムトにはじめて会った時、「頑丈で、無愛想、褐色に日焼けした人物」だと言っているから、写真のイメージにたがわず、武骨でいかついマッチョなタイプだったのだ。
 実際、彼は、毎朝のダンベル体操と散歩をかかさず、制作に合間にも気分転換に筋トレや、男性モデルとレスリングに興じていたようで、仲間からは「スポーツ選手」のあだ名で呼ばれていたらしい。

 作品のイメージと作家の人物像は必ずしも一致しないというのは、世界共通みたいです。


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クリムト作品集

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クリムトと猫

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