琥珀色の戯言

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【読書感想】発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
自分は「大人の発達障害」なのでは、と悩む人が多いなか、その解決策を具体的に示した本は少ない―。そんな悩みを抱えていた著者が、試行錯誤の末に身につけたライフハックを詰め込んだのが本書です。「普通」には生きられなくても、食べていくことはできるし、生きていくこともできる。仕事や人間関係がうまくいかない全ての人のための「日本一意識が低い」自己啓発書。


 僕は「発達障害」なのだろうか?
 最近、本当によく耳にするようになった「発達障害」という言葉なのですが、いろいろと調べてみて、診断はさておき、「発達障害のような症状(あるいは性格)を抱えているけれども、薬を飲まなければならないほど重篤なものではなさそう」という感じみたいです。
 正直なところ、僕もコンサータとか飲んでみたら、もっといろんなことに集中したり、感情の起伏や苛立ち(これは「男の更年期障害」なのかもしれません)がおさまって、精神的に安定したりするのだろうか、とも思うんですけどね。

 僕の場合は、なんとか生き延びているうちに、それなりに環境に適応できるようになり、自分が生きやすい環境をつくれるようになった、ということなのでしょう。
 

 この本の著者の借金玉さんは、僕よりも、もっと振れ幅が大きい発達障害を抱えており、小学校中学校では登校拒否を繰り返しながらなんとか卒業し、大学を一度中退したあと、他の大学に入りなおし、有名金融機関に就職したもののうまくいかずに退職されました。
 その後に企業し、一時はうまくいっていたものの、「昇った角度で落下」してしまいました。
 現在はコンサータという薬を飲みながら、営業マンとして働いている32歳の男性だそうです。

 発達障害による困難は
(1)仕事
(2)人間関係
(3)日常生活
 この3つにおいて現われますが、これは要するに「人生全てがキツい」ということになります。でも、逆に言うとこの3つの「普通のこと」ができるようになるだけで、少なくとも「何とか食っていける人」にはなります。


 発達障害には、ADHD注意欠陥多動性障害)、ASD自閉症スペクトラム)等の概念があるのですが、この本を読んでいて感じるのは、「医学的な診断はさておき、『発達障害的な生きづらさ』という症状(あるいは性格)を抱えている人が、仕事や人間関係での失敗を少なくする、まずは『生きづらさ』を改善することを最優先にしている」ということなんですよ。

 発達障害者の厄介な点は、「一人一人症状や困りごとが違う」ということです。得意なこと、苦手なことがそれぞれ全く違うのです。「発達」の「障害」、すなわち「発達の凹凸が大きい人」なのだと思います。
 だから、「私は発達障害者です」と言われて「フォローしてあげたい」と思った人がいたとしても、どんなフォローをしてあげればいいのかはなかなかわからないという辛い現実があります。一人一人、発達の凹凸は別物ですから、必要なフォローも別物になってしまうのです。これが発達障害の難しいところです。
 僕はツイッター発達障害の話をしているうちに2万5000人を超えるフォロワーができて、多くの人と発達障害の話をする機会を得ました。また、この本を書くに当たって数十人の発達障害者にヒアリングを行いました。
 その中には、弁護士や企業役員といった成功者から、生活保護を受給して暮らす人、長い入院生活を送っている人など、さまざまなバリエーションがありました。
 そうした知見と自分自身の経験を踏まえて、「この辺は困ってる人が多い」という問題に対するライフハック(ささやかな人生の工夫みたいなものでしょうか)を書き連ねたのがこの本になります。
 この本の中心テーマは「生存」、すなわち「生きていればとりあえずOK。生き抜こう」です。社会適応のための努力ができるような状態ではない人もたくさんいますし、無理は禁物です。「社会に適応するためにこの本を読んで努力しろ!」というような内容の本ではありません。「あなたが少しでも楽に生きる役に立てばうれしい」という気持ちで書かれています。


 この本の内容って、僕みたいな「発達障害的な生きづらさを抱えてはいるけれど、なんとか社会の駒の一つとして踏みとどまれている(でも、いつこぼれ落ちてもおかしくないという不安を抱えている)人間」にとって、ちょうどいいのではないか、と思いながら読んだのです。
 ノートのまとめかたやスケジュール管理のやり方、整理整頓についてなど、「これは僕も苦手だ……」というポイントについて、かなり具体的なアドバイスがなされているのです。
 僕などは、昔から、スケジュール管理が苦手なのと、突発的に仕事を振られると強いストレスを感じることに悩んでいたのですが、スマートフォンに自分の時間割を入れるようにしてから、だいぶラクになりました(借金玉さんは一冊の手帳による管理を勧めておられますが、肌身離さず持っていて、しょっちゅう確認する、という意味では、スマートフォンの活用は有用だと思います)。
 仕事の当番や会議などの予定だけではなくて、公共料金の支払いとか、飲食店のクーポンの締め切りまで、僕は全部スマートフォンのスケジュール帳に入れているのです。「その日」「その時間」になったら教えてもらえるというのは、実にありがたい。
 なんのかんの言っても、「自分にとって本当に必要で、愉しみも生み出してくれる」スマートフォンは、どこかに置き忘れることもそんなにはありませんし。まあ、スマホ依存、としか言いようもないのだけれど。

 また、「人間関係」の項では、こんなふうに書かれています。

 職場というのは、言うなればひとつの部族です。このことをまずしっかりと理解してください。
 そこは外部と隔絶された独自のカルチャーが育まれる場所です。そして、そこで働く人の多くはそのカルチャーにもはや疑いを持っていません。あるいは、疑いを持つこと自体がタブーとされていることすらあります。それはもう正しいとか間違っているみたいな概念を超えて、ひとつの「トライブ(部族)のあり方そのものなんです。言うまでもありませんが、それは排他的な力を持ちます。部族の掟に従わない者は仲間ではない、そのような力が働きます。


 こういうのが「理不尽」だと感じる人は多いはずです。僕もそういう人間ですし。
 ネットでは「会社の飲み会が嫌い、終業後も上司と飲みに行くなんてまっぴらごめん」と主張する人が大勢います。
 そういう時代、なのだと思うし、会社のほうの文化も変わってきてはいるんですよね。

 この「部族」という言葉をみて、僕は子供の頃にみていた、ドリフターズいかりや長介さんがアフリカの原住民の村を訪ねたドキュメンタリー番組を思い出したんですよ。
 その番組のなかで、いかりやさんは、現地の部族が歓迎の宴で出してくれた、さまざまな食べ物に躊躇いなく口をつけていましたし、現地の習俗を尊重していました。
 ヤギ(だったと思う)の生き血とか、謎の肉とか、僕だったら絶対に「それはちょっと……」というようなものに対しても、いかりやさんは、けっして拒否しなかったのです。

 彼らに対して、「それはわれわれ日本人の文化では、食べるものじゃないし、不衛生だし、おいしくないから……」と自分たちの基準で正当化をはかっても、彼らは打ち解けてくれなかったはず。
 いかりやさん自身も、のちに「うわあ、と思うようなものでも、彼らと仲良くなるために、絶対に一度は口をつけるようにしていた」と仰っていました。

 あんまり綺麗な考え方じゃないし、古い、と言われるかもしれないけれど、どうしてもそこで生き延びていこうと思うのであれば、「部族の最低限の掟」くらいは受け入れる覚悟は必要なのではなかろうか。
 もちろん、不正や反社会的な行為に手を染める必要はないし、どうしても自分には合わないことを押し付けられたら、離れるしかないだろうけれど。

 飲み会で2時間くらい我慢して座っていて、上司にお酒をつぎにいく、くらいのことは、「未知の部族とうまくやっていくため」と覚悟してしまえば、できないことはないんですよね。
 そう考えると、昔の僕は、理屈ばかりをこねて、自分の正しさに期待しすぎていたのではないか、と後悔することばかりです。
 僕はもっと、いかりや長介さんに学ぶべきだった。
 アフリカでヤギの生き血を飲むことに比べたら、飲み会で2時間作り笑顔で座っていることは、そんなに難しくはなかったのに。

 借金玉さんは、そういう「部族」のなかで生き抜くコミュニケーション術についてもかなり実用的なノウハウを紹介しています。
 
 
 他にもいろいろと紹介したいところはあるのですが、最後にひとつだけ。


 不眠の悩みに対して。

 そういうわけで、結論はとてもシンプルです、余計なことは一切言いません。最寄りの心療内科に出向いて、眠るためのお薬を貰って来てください。
 眠りが浅く中途覚醒が起きる人、とにかく寝つけない人など症状によってベストの薬は違うので、そのあたりはお医者さんに従ってください。


 こういう知見は、自らの経験と他者への聞き取りから導き出されたものだと思います。
 世の中には、いろいろな「〇〇するためのライフハック」があふれているけれども、まずは医学的に薬を使って症状を改善してから、生活習慣の改善などに取り組んでいったほうが良い場合が多いんですよね。それは、高血圧とか糖尿病の治療においても言えることです。


 この本を読んでいると、「あっ、こういうこと、僕もやっている」と思ったものが、いくつかあったのです。
 この本がいちばん有用なのは、「発達障害」という暴れ馬から落ちてしまった人ではなくて、なんとか乗りこなして走り続けてはいるけれど、このままいつまでこれを続けていけるか不安な人だと感じました。
 要するに、僕くらいの「発達障害的であることを自覚しつつも、いまのところ、なんとか綱の上を渡っている人」に、いちばん効くのではなかろうか。

 逆に「この本に書いてあることなんか、自分にはできっこない」という人は、専門医療に頼るべき状況だと思います。


 「専門医を受診しても『発達障害』の診断名はつかないし、薬も必要ないけれど、生きづらさ、人生でのトラブルの多さに辟易している人」にお薦めします。


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発達障害 (文春新書)

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