琥珀色の戯言

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【読書感想】英国一家、日本をおかわり ☆☆☆☆

英国一家、日本をおかわり

英国一家、日本をおかわり


Kindle版もあります。

英国一家、日本をおかわり (角川書店単行本)

英国一家、日本をおかわり (角川書店単行本)

内容紹介
英国一家、日本を食べる』リターンズ! またまたニッポンを食べ尽くす!


英国一家、日本を食べる』で一躍脚光を浴びたマイケルが、ティーンエイジャーになった息子二人と妻とともに、帰ってきた! 日本人の勤勉さに学びたい……と思いつつも、食いしん坊の血が騒ぐ! ハブ酒鮒寿司にくらくらし、海上自衛隊海軍カレーを食べ、蕎麦を打ち、餅をつき、麹菌を見て、雲丹の殻を剥く。食べているうちに、日本の不思議も見えてきた。イケメンに壁ドンされたり、砂むし温泉に入ったり、お茶席で足を痺れさせたり……。突撃取材すればするほどわかる、日本の食はこんなにすごかった! 列島縦断珍道中、爆笑の体験型食エッセイ!

 著者、マイケル・ブースさんの、このシリーズ第1弾『英国一家、日本を食べる』は、すごく面白かったのです。

fujipon.hatenadiary.com


 その後、『英国一家、ますます日本を食べる』『英国一家、フランスを食べる』といった続刊があり、今回は、満を持して、という感じで、再びブース一家が日本に長期滞在しての「食べ物めぐりの旅」が書かれています。
 相変わらず、取材をして、きちんと書かれている本であることに感心せずにはいられませんでした。
 ありがちな「食べ物エッセイ」よりもずっと中身が詰まっていて字がぎっしり。
 400ページを超えるボリュームで、読み応えもあります。


 このシリーズの面白さは、著者(とその家族)が、日本の食べ物や文化に対する違和感と率直な感想を述べているところなんですよね。

 小浜町は、数年前にNHKの長崎発地域ドラマ『私の父はチャンポンマン』で大きく取り上げられた。市役所で地域振興に携わる職員が、長崎名物の中華そば、ちゃんぽんで小浜の町興しをするというストーリーだ。日本の観光地ならどこにでもありそうな屋台や出店が並ぶ場所で撮影した、チャンポンマン姿の主役の写真があった。スーパーマンみたいな全身タイツを着てマントを羽織っているが、なぜか頭にはストラップで止めた大きなどんぶりが載っている。
 この手のキャラクターは、日本ではたびたびお目にかかる。あまりにも風変わりで突飛なので、思わず立ち止まってまじまじと見入ってしまう。たとえば、日本ではいつも一番人気のアニメのキャラクター、アンパンマンだって同類だ。アンパンマンは、小豆ペーストがなかに詰まった菓子パンだ。彼は、悲しそうな子どもやお腹を空かせている子どもに出会うと、自分の顔の一部をちぎってその子たちに分けてやる——子どもを慰めるどころかトラウマをもたらすんじゃないかと、僕には思えるけれど。アンパンマンのライバル、ばいきんまんは、地球と地球上のあらゆる人をばい菌で征服するのが目的だ。


 見慣れていると「当たり前の存在」のように思える「アンパンマン」なのですが、イギリス生まれの著者からみると、こんな感じなんですね。
 「顔をちぎって分けてあげるのは、子どものトラウマになるんじゃないか」というのは、アンパンマンがはじめて書かれた時代には日本でも言われていたそうですが。


 ある「ラーメン懐石」を標榜する店で食事をしたときの話。

 斬新なポイント——料理をきれいに写すため、特別にライトを当ててくれるという店は始めてだ。僕は断ったが、無機質な内装の店内にいた他の客は、みんなパシャパシャと音を立てて撮影していた。
 前菜は、歓迎の一品というよりは警告の一品だった。魅力を感じないかぼちゃのペーストとゴルゴンゾーラは、頑固なシミみたいに今も僕の記憶に居座っているし、濃厚で塩辛いマッシュルームのスープも、思い出すと身震いしてしまう。普通ならラーメンの上に飾るはずの、お約束の豚バラ肉のスライスは別皿に盛られ、なぜかジャスミン茶で茹でてあるうえにガスバーナーで炙ってあった。肝心のラーメンスープはまあまあおいしかったが、麺はかなり細かった(細麺は、まったく好きになれない。ラーメンは素麺じゃない。細いと、スープの余熱で必ず伸びてしまう)。
 食事が終わりに近づいた頃、パスタのメーカー、バリラ社のロゴ入りTシャツを着た店主が現れた。彼は、何人かの客にやたらと大きな腕時計を披露するのに終始していた。
 このラーメン懐石を体験したおかげで、僕はラーメンにある種の危機感を持ち始めた。早くて安くてうまい食べ物を、あんなふうに飾り立ててしまうと、すばらしさがすべて吸い取られてしまう気がする。ラーメンで本当に大切なのは麺とスープなのいん、最近のラーメン業界は「コンセプト」にばかり関心が向いているんじゃないか。コンセプトも、脱構築も、おしゃれな見た目もいらないから、太くてちょっと歯ごたえのある麺と、半熟煮玉子と、軟らかい叉焼のスライスと深みがあって濃厚なスープが欲しい。ベルトを緩める羽目になってもいいから、1000円以下でそれを食べたい。高望みなんだろうか?
 そんなことはないと思いつつも、僕の信念はぐらついていた。ラーメンに対する安心感が欲しいし、ラーメン業界は今も大丈夫だと思いたい。うまくて、純粋で、シンプルで、安いラーメンは、今でも手が届く夢だと実感したい。


 僕の周囲にも、「最近、ラーメンって高くなったよね」という人は多いのです。
 僕自身も、気取ったところがない食べ物のほうが好きではあるんですよね。
 たしかに「差別化」のために、どんどん、シンプルさから離れてしまっている店が多いような気がしてなりません。


 この本を読んでいると、著者は「わかっている人」だなあ、と思うのです。
 ただ、正直言って、後半は、けっこう読み疲れた感じもしたんですよね。
 ものすごく誠実な内容なのだけれど、著者が日本の食べ物にあまりにも詳しくなってしまったがゆえに、異文化からみたギャップ、みたいなものがあまり感じられなくなってきているのです。
 もちろんそれは、当たり前のことではあるんですよ。
 知っているのに「何もしらないガイジン」みたいなフリをされても、それはそれで感じ悪いし。
 日本を代表する職人たちが、海外からの取材ということで、かえって心を開いて率直に語っているように思われるところもたくさんあるし、逆に、「外国人お断り」という鮨屋や「ジャパニーズ・オンリー!」と言われた居酒屋での経験についても、考えらせられました。
 日本は、日本人が思い込んでいるほど「おもてなし」の国ではない。
 外交の場ならともかく、飲食店なら、言葉ができなくても、最低限のやりとりはできそうなものですよね。
 まあ、それは差別的な意識というよりは、自分がうまく接客できるかどうかわからない、という不安に基づくものが大きいのではあるのでしょうけど、相手からすれば、「差別されている」と思われてもしかたがない。


 前作から読んできた僕にとっては、著者の2人の息子さんたちの成長や変化がときおり語られるのが、すごく印象に残りました。

 一日目の作業の途中で、僕は手で苗を植える方法をエミルに説明した。田んぼの隅の機械で植えられない部分は、手で植えてほしいと古川さんに頼まれたからだ。「でも、あの人はそんなやり方してなかったよ。こうやってたんだ」エミルは文句を言った。ところが、エミルの言う通りだった。僕の方が間違っていた。同じようなことは、もちろん家でもよくある。特に、コンピュータをテレビにつなぐとか、僕のスマホの電源を切るとかいうテクノロジーの難題が降りかかってくるときだが、田植えは屋外でする昔ながらの肉体労働だから、僕の方がうまくやれて当然だと思っていた。とても大きな分岐点が訪れていた。僕は初めて、もう息子たちは僕のアドバイスをさほど必要としていないと気づいた。感傷は抜きにして、僕はパパから親父になったのだ。


 福島で、2人の息子さんと田植えを体験したときのことを、著者はこんなふうに書いています。「今の子どもたちには、コンピュータや電気製品のことではかなわなくても、アウトドアでの作業ならこちらのほうがまだまだ経験値が上」だと、僕も思っているのです。
 自分がインドア人間なのを棚上げにして。
 そういう分野でも、子どもは、親を確実に追い越していく。
 感動なのか感傷なのか、そのふたつが入り混じっているものなのか。
 一家の歴史のページがめくられていくのを、傍で見てしまったような感じがしました。


 食べ物好きであれば、「お値段以上に愉しめる一冊」であることは間違いありません。
 正直、「もうちょっとシンプルでも良いんだけどなあ」とも思ったのですけど。


英国一家、日本を食べる 上 (角川文庫)

英国一家、日本を食べる 上 (角川文庫)

英国一家、日本を食べる 下 (角川文庫)

英国一家、日本を食べる 下 (角川文庫)

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