琥珀色の戯言

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【読書感想】野球バカは死なず ☆☆☆☆

野球バカは死なず (文春新書)

野球バカは死なず (文春新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
甲子園出場辞退で涙をのんだ青春。王、長嶋、野村、張本など、プロ野球の怪物たちのリアル。「一流」と「超一流」の人物の差とは?そして、突然のがん宣告―。直球勝負で人生を駆け抜けた男の爽快すぎる一代記!


 江本孟紀さん、もう70歳なのか……
「ベンチがアホやから野球がでけへん」という言葉で知られる「首脳陣批判」で唐突に阪神タイガースを退団したのが1981年、200万部をこえる大ベストセラーになった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』が、翌82年。
 この本、野球ファンの僕が小学生時代に読んだ記憶があるのですが、僕も江本さんも年を重ねたというか、なんとか生き延びてきたというか。
 
 正直、この新書を書店で見かけたとき、「もう江本さんの時代じゃないよね……」とは思ったのですが、読んでみると予想以上に面白い「自分を曲げられない男」の一代記でした。
 高校時代に甲子園に出られるはずだったのに他の野球部員の不祥事で出場辞退+1年間の対外試合禁止になったり、大学では監督とソリが合わずに干されてしまったり。
 ドラフト外東映に入団したものの、わずか1年の在籍で南海ホークスにトレードされ、野村克也監督のもとでエースとして活躍するのですが、監督の愛人だった女性(のちの野村沙知代さん)が野球のことにまで口をはさんでくるのに耐えられず、選手たちを代表して監督に抗議したら阪神へトレード。その阪神では、「ベンチがアホやから」発言を残して退団……


 江本さんは、その後もプロ野球解説者にタレント、本の執筆に参議院議員と、さまざまな分野で活躍されています。
 正直、最近の江本さんをみていて、「あのエモやんが、根性論ばっかりの頭の固いオッサンになってしまったなあ……」なんて思っていたんですよ。
 でも、それは江本さんをみる僕の考え方や社会のムードが変わってしまっただけで、むしろ、江本さんはずっとブレずにやってきたということが、この本を読んでわかったような気がします。
 これほど偉い人とぶつかり、間違っていると判断したことには、相手が権力者でも妥協しなかったにもかかわらず、その都度助けてくれる人がいて、活躍を続けてこられたというのは、すごく爽快な人生でもありますね。
 江本さんは、子供の頃の僕には「喧嘩屋」のようにみえていたけれど、江本さんがした喧嘩は、仲間やチームを、横暴あるいは無神経な偉い人から守るというものばかりだったのです。


 阪神の退団劇も、中西太監督との因縁が背景にあったそうです。それも、投手陣が外野でランニング中に控えの選手がバッティング練習をしていて、その打球があるピッチャーの体に当たってしまったのをバッティングコーチの中西さんに抗議した、という筋の通った抗議だったのだとか。江本さんの場合、抗議の仕方が過激になりやすい、という面はあったのかもしれませんが。
 このときも、「いい加減にせえや!」と中西さんの部屋でタバコとライターをベッドに投げつけてしまったそうですから。


 1981年は、阪神で中西監督のもと、先発、リリーフと起用法が定まらなかったり、調子は良いのに2軍に落とされたりと、いやがらせのような起用が続いていたのです。

 1981年8月26日、久しぶりの先発マウンドで、江本さんは8回途中まで2失点と好投していました。
 4対2で、阪神は2点のリード。そして2アウト2塁3塁という一打同点のピンチを迎えたのです。
 

 バッターボックスには8番の水谷新太郎。次は9番。さあ、どうする!? 勝負か、敬遠か。はたまたピッチャー交代か?
 マウンドに内野陣も集まり、一塁側ベンチの指示を仰ごうとした。
 ところが、監督の仕事の最大の場面を迎えたにもかかわらず、中西監督はソッポを向いて、ベンチ裏にコソコソと消えて行くではないか。
「おいおい、この大事な局面で、采配放棄かよ」
 掛布雅之岡田彰布藤田平……内野手一同と、顔を見合わせた。
 じつは以前、東映時代の先輩、張本勲さんに「中西さんはピンチになるとベンチ裏に逃げていく」と忠告されていた。なるほど、それか。まさかと思ったが、すこし動揺した。
 仕方がない。キャッチャーの笠間雄二に「中腰に構えろ」と指示あ。初球は高めに外して、様子を見ることにしたのだ。ベンチに策を考える猶予を与える意味合いもあった。
 俺は中途半端な気持ちのままマウンドにいたせいか、その初球、高めに外したが、水谷に飛びついて打たれた。打球がライトのグラブに当たって、センター方向へ転々とする間に、二塁打になった。ランナー2人がホームイン。同点に追いつかれてしまった。
「敬遠」と決まっていれば、打たれることはなかったはずだ。あるいは「勝負」の指示が出てきれば、球種もコースも違ってくる。しっかり力を込めて投げていたはずだ。もしくは「リリーフ投入」という手もあった。ライトも、初球は様子見で、打球が飛んでくるとは思っていない。腕組みをしたまま立っていた。だから慌てて差し出したグラブを、弾かれてしまったのだ。
 すべて監督の指示がなかったせいだ。悔やんでも後の祭り。
「アホか!」怒りに体を震わせた。
 同点後、代打が出て、やっとピッチャー交代になった。
 俺はベンチからロッカールームに向かう途中、感情を爆発させてウサ晴らし発言!
「くそっ! アホ! ×●△■、なに考えとんじゃい!」 
 しかし、実際にどう叫んだかは、正確には覚えていない。通路は、いわば緩衝地帯。降板させられたピッチャーたちが怒りをぶちまけ、うっぷんを晴らすエリアだ。
 だいぶあとで知ったことだが、後ろに付き添った猿木忠男チーフトレーナーによると、俺の発言はこうだった。
「くそっ、バカッ。何を考えとんねん。このくそベンチ!」
 これが翌日のスポーツ新聞各紙では、あの有名なフレーズに変化していった。
『ベンチがアホやから野球がでけへん』


 球団は、当初、江本さんに「10日間の謹慎」という処分で済ませるつもりだったようです。
 でも、江本さんの気持ちはもう切れてしまっていて「辞めます」ということになったのです。


 これを読んで、いろいろと思うところはあるのです。
 なんのかんの言っても、この場面を抑えられたら、江本さんは引退せずに済んだのだろうか? すべてがベンチの責任なのだろうか? 選手にとってはうっぷん晴らしの場所での言葉で、打たれた苛立ちのあまりに発したものであり、オフレコであっても良さそうなのに。 
 あらためて考えてみると、この試合は、すでに信頼関係が完全に損なわれていた江本さんと首脳陣との「最終的な決裂」の引き金になっただけで、遅かれ早かれ、同じようなことは起こっていたのだとは思いますが。

 
 ただし、江本さんは、ずっと根に持つタイプではなくて(こうして本に書くことそのものが、根に持っているからだと言えなくはないけれど)、南海退団からの因縁である野村沙知代さん、そして、野村克也監督についても、こう述べています。

 野村さんも、サッチーのことで誤解され、ずいぶん損したこともあったかもしれない。
 しかし、野村さんにとっては、サッチーは何者にも替えがたい存在だったのだろう。頭脳も肉体も超一流で、球界のスーパースターだけれど、それでも心のどこかに足りないものを抱え、サッチーによって心の安定を得ていたのかもしれない。ともあれ、夫婦のことは他人がとやかく言うべきことではない。
 野村さんについて、ずいぶん厳しくコメントしたこともあるが、今となっては感謝の気持ちしかない。
 以前、NHKのドキュメンタリーで野村さんの生い立ちを放映していた。俺はそれを涙なしには見られなかった。幼少の頃の貧困や家庭環境などいろんなものが野村さんの中にはあり、それが原動力であり、であり、なおかつ人間としてさ弱さでもあったのだと思う。
 そして、それを誰よりも理解してくれたのが、サッチーではなかったか。


 これだけいろんなところで衝突しながらも、多くの人に愛され続けている江本さん。発言のなかには、苛立つものも少なくないのですが、優しさというか、人の弱さや痛みを知っている人(ただし、タイムラグが生じる場合もあり)なのでしょうね。
 

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