琥珀色の戯言

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【読書感想】歴史と人生 ☆☆☆

歴史と人生 (幻冬舎新書)

歴史と人生 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

歴史と人生 (幻冬舎新書)

歴史と人生 (幻冬舎新書)

内容(「BOOK」データベースより)
史記』でも『万葉集』でも、人間の悩みは現代と変わらない。失意のときにどう身を処すか、憂きこと多き日々をどう楽しむか。答えはすべて、歴史に書きこまれている。歴史こそ究極の人間学なのである―敬愛してやまない海舟さん、漱石さん、荷風さん、安吾さんの生き方。昭和史、太平洋戦争史を調べる中で突きつけられた人間の愚かさ、弱さ。天下国家には関係ないが、ハハハと笑えて人生捨てたもんじゃないと思わせてくれるこぼれ話等々。80冊以上の著作から厳選した歴史探偵流・人生の味わい方。


 この新書、半藤一利さんが集めた「歴史と人生」に関する名言集だと思い込んで買ったのですが、読んでみると、これまで、たくさんの歴史に関する本を書いてきた半藤さんの著書のなかから、編集者が選んだベスト盤、みたいな感じでした。

 
 せめて著者が自分で選んでくれたらよかったのに……などと思いつつも、この本にまとめられている半藤さんの歴史観、人物観のエッセンスは、なかなか興味深いものではあるのです。

「なぜ煩悩の数は108なのか?」
 なんて、言われてみないと、疑問にも感じないか、ふと思いついても、調べるところまでいきませんよね。
 もっとも、こうして書いてしまうと、Googleで調べることはできるのでしょうけど。
 今は、「調べることそのものが難しい」というよりは、「何を調べるのかという問題設定が大事」になっているように思われます。


 この本で紹介されている、数々の蘊蓄はなかなか面白い。

 近代日本人にいちばんはじめにそれを意識させたのが「ドン」なんです。明治の新政府、太政官の布告によって、正午になったことを広く報せるために「ドン」と大砲を撃ち鳴らすことにしました。そこから土曜日の午後が休みになることを「半ドン」と言いならわすようになったわけですが、これが明治四年(1871)のことでした。近代の日本人はこのときからしだいに時間に支配されるようになるのです。 (『歴史に「何を」学ぶのか』)

 東京タワーが戦車のスクラップの鉄で建造されていることをご存知か。朝鮮戦争の休戦で戦車がいっぱいあまった。米軍が払い下げるというので、日本の業者が300輌もの戦車を買いとり解体、製鉄会社に引き渡す。製鉄会社が溶かしてつくった鉄骨がタワー建設中大手建設会社へ。かくて記録によれば、特別展望台より上の、タワー全体の三分の一の部分にスクラップ戦車の鉄骨が使われているそうな。どうでもいい話ながら。 (『ぶらり日本史散策』)


 「半ドン」という言葉はいまでもけっこう耳にしますが、なぜ「ドン」なのかというのは知らずに使っている人のほうが多いのではないでしょうか(僕も知りませんでした)。東京タワーの話も、日本の高度成長期の象徴が、戦車からつくられているということに、なんだか意外な気がしたのです。戦車ってものすごく高額なはずなのに、もったいないような……まあ、戦車というのは、「じゃあ、自家用車のかわりにしよう」というわけにもいかないでしょうしね。


 半藤さんが敬愛している夏目漱石永井荷風小林一茶坂口安吾らの小説や俳句、手紙について書かれている項もあって、読んでいると彼らの人生観に惹かれてしまいます。
 ただ、「歴史と人生」というタイトルが漠然としすぎていることもあってか、ちょっと内容がまとまっていない感じもしたんですよね。

 『坊ちゃん』を読んで、決してキザでいうのではなく、これまでにもなんどか眼裏がにじんできて字がよう読めなくなった経験をしている。そしてその度に、漱石は寂しい人であったんだなと、しみじみとしてくる。
 と、あっさり書いてしまうのは、ちょっと気の引けるところがある。どだい寂しいなどという感傷語は、軽々と使いたくはないが、漱石の場合には他の言葉が見つからない。そして、その作品を読んでいくと、どの作品からも、左様、『吾輩は猫である』の終章の、あの有名な科白が自然に浮かびでてくる。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
 つまり、読めば読むほどに、より深い意味で、漱石という人はなんと孤寂な人であったことか、という印象しかもてないのである。
 (『漱石俳句探偵帖』)


 僕は、この「孤寂」というのが、夏目漱石という作家が、ずっと読み継がれている理由なのではないか、と思うのです。
 いろんな意味で、どんどん「合理的」「効率的」な世の中になってきているのだけれど、そうなればなるほど、この「孤寂感」みたいなものが、どんどん堆積されてきているような気がします。
 

 ちなみに、この新書のなかで、いちばん印象的だったのは、これでした。

 昭和史というのは一言で言えば、正しい判断をすれば、こんなことにならなかったものを、間違った判断を重ねていった歴史であるんです。間違った判断をした揚げ句、国民をみんな不幸にして、国土を焼け野原にして、そしてたくさんの人を殺したという歴史だったんです。
 そこから学んで、しっかりと次の日本を作るための資料にするには、やはり歴史はきちんと学んだほうがいい、とはよく言われますが、では具体的に歴史の教訓とは何か。
 実は、「後(のち)の人が歴史からは何も学ばない」ということが歴史の最高の教訓なんです。 (『今、日本人に知ってもらいたいこと』(金子兜太氏との対談で)


 世の中に歴史好きな人は多いけれども、結局のところ、人は、同じような過ちを繰り返し続けているのです。
 それでも、少しずつ学んで、進歩しているのだと思いたいのだけれども、それを実感するためには、まだ人間の歴史は短すぎるのかもしれません。
 

歴史と戦争 (幻冬舎新書)

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世界史のなかの昭和史

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