琥珀色の戯言

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【読書感想】高橋名人のゲーム35年史 ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
テレビゲーム界のレジェンドが書く、ファミコンから現代までゲームの歴史と裏側。「ゲームは1日1時間」「16連射」など、かつてファミコンブーム時代に一世を風靡した高橋名人。35年以上ゲーム業界にかかわり、今も現役でゲームに関わる高橋名人だからこそ書ける、テレビゲームの話と自身の当時の裏話を書いた一冊。


 任天堂からファミコンが発売されたのは、1983年7月15日。
 本日、2018年7月15日は、ファミコン誕生から、ちょうど35年の記念日なのです。
 はじめてファミコンの画面をみたときは、「この『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』が家のテレビで遊べるのか?」と驚いたんですよね。それまでの「テレビゲーム」って、カセットビジョンのカクカクしたキャラクターが「標準」だったので。

 
 この本、あの「16連射」で一世を風靡した高橋名人が、自らの35年のゲーム業界との関わりや名人としての思い出を語ったものです。

ロードランナー』は、「裏技」という言葉が生まれるきっかけになったタイトルでもあります。
 きっかけは『ロードランナー』で、「はしごに右手をかけて止まっているときにロボットがすり抜ける」というバグが見つかってしまったことです。
 これがパソコンのプログラムであれば、バグがあったとしても、雑誌に「リストの何行目のここをこう修正してください」と掲載すれば修正できたのですが、ファミコンはそれができません。
「これが返品問題になると倒産だな。どうしよう」と考えていたときに、『コロコロコミック(以下、コロコロ)から「これ本当の技じゃないけれど、やってみたら面白い技ということで、逆に言っちゃってもいいんじゃないですか?」と提案されたのです。
「それも面白いかもしれないな。じゃあどうしよう? 表に対して裏技というのでいいんじゃないの?」というのが、そのときの会話で出てきたんです。
 ネット上では「裏ワザ」は、私が考えたという話もありますが、実際は『コロコロ』さんとの話し合いの中で生まれた言葉なのです。
 そのあとに、隠しキャラクターなどを入れる文化が定着しました。


 当時は、本当に「裏ワザ」ブームだったんですよね。
 徳間書店の『ファミリーコンピュータMagazine』に掲載された「『水晶の龍』で野球拳ができる!という伝説のウソ技」や、『コンプティーク』がどこに行っても売り切れていた『ゼビウス無敵モード」なんていうのもあったよなあ。
 ただし、高橋名人シューティングゲームの「無敵技」は、「ゲームが面白くなくなる」ということで、強く否定しています。


 名人時代の逸話の数々はこれまで何度か読んだことがありますし、少年時代のエピソードは、『コロコロコミック』の「高橋名人物語」で世に知られています。

 この『高橋名人物語』の話は、子どもたちはみんな信用していたみたいで、今でも一番困るのが、漫画とゲームとアニメとテレビ番組に出ている私を全部混ぜたのが、私だと思っているわけです。だいぶ違うんですがね(笑)。
 最初の頃は、私も忙しかったのでネームは見ていなかったのですが、ペン入れが入っているときに、「間違いがあったら修正しますから見せてください」と言って見せていただいた原稿は、最初からうんち投げてる(笑)。もう修正のしようがなかったです(笑)。
「うんち投げたことねーよ!」と言っちゃうと、全ページ書き直しですから。「『コロコロ』だからなあ、うんちとおしっこ必要だしなぁ」と悩んだすえに「漫画だしな。まあいいか」と開き直ったことを覚えています。


 いくら子どもとはいえ、さすがにあれを鵜呑みにしてはいないとは思うのだけれど……
 明るくて気さくなイメージがある高橋名人なのですが、実はけっこう人見知りで、『ゲームセンターCX』に出演したときには、同じく人見知りだという有野課長有野晋哉さん)と、初対面ということもあって、収録までほとんど喋らなかったそうです。


 この本を読んでいて面白かったのは、これまで語られてきた「名人時代のこと」だけではなくて、「もともとはマイコンのプログラミングに興味があってハドソンに入社した」という「名人以前」の話や、ハドソンがファミコンからPCエンジンに力を入れるようになったために、「ファミコン高橋名人プロジェクト」が終了となったあとのハドソンの社員・高橋利幸がどんな仕事をしていたのかにも触れられているところでした。
 

 では、名人でなくなった私は何をしていたかというと、当時は宣伝部でしたので、PCエンジンのパッケージやマニュアルを作っていました。
 PCエンジンのゲームはわりとタイトル数が多かったんです。というのも、当時はサードパーティー(ゲーム機本体とは直接の関係がないメーカー)を増やそうという方針でやっていたので、参入してもらいやすいように営業ツールとして使っていたのが、「パッケージとかマニュアルとかポスター類は、うちで作りますから!」という作戦でした。それで引き受けた仕事を私がやっていたというわけです。他のスタッフはハドソンのゲームだけで手一杯でしたから。
 そんなわけで、私は、サードパーティータイトルのパッケージ、マニュアル、雑誌広告と店頭ポスター、チラシなどの担当をしていました。それがだいたい、1988年から1992年くらいまでですね。


 雌伏期間というか、本来の業務に戻った、というべきか。
 あれほど華やかな舞台に立っていたにもかかわらず、高橋名人は、あの後、ごくふつうの「宣伝部の社員」としての日常を過ごしていたのです。
 僕が手にとったPCエンジンのゲームの中にも、高橋名人がつくったものがたくさんあったのだろうなあ。当時は、そんなこと考えもしなかったけれど。
 こうして、裏方として(というか、ゲームメーカーとしては、プログラマーとか宣伝の仕事のほうが「表」なんでしょうけど)、テレビゲームに関わり続けてきたことが、高橋名人が再び脚光を浴びるようになった理由のひとつなのでしょう。
 

 高橋名人は「ハドソン以外のファミコンゲーム」について、(僕にとっては)意外なゲームを紹介しています。

 そして私が一番感銘を受けたのが『きね子』です。
 簡単に説明すると、「動くジグソーパズル」になります。
 ジグソーパズルは、厚紙に印刷されたピースを組み合わせていくことで、1枚の大きなイラストや写真を完成させるパズルです。アナログゲームで昔からあるパズルですが、これをデジタルゲームにして、アナログではできないことを達成したのが『きね子』に他なりません。
 このゲームを見たとき、「アナログゲームデジタルゲームに変換するというのは、こういうことなんだ」と思わせてくれたゲームです。


 『きね子』か……
 高橋名人は、もうすぐ還暦を迎えるそうなのですが、物心ついたときからテレビゲームが当然のように存在していた世代ではない僕も、この「アナログとデジタル」の話は、よくわかるような気がします。
 『桃太郎展鉄』や『いただきストリート』は、ボードゲームが元になってはいるのですが(『桃鉄』は開発時にさくまあきらさんが作ったボードゲームをプレイしながらバランスを調整したそうです)、人間があれだけのデータを計算しながらゲームを進めていくのはかなり難しいはず。コンピュータが介在することによって、アナログゲームも発展していったのです。


 「ゲームで遊ぶ人」としてだけではなく、「ゲームをつくる人」「ゲームを評価する人」としての高橋名人の経験が込められている本だと思います。
 高橋名人がこれだけ年を重ねているのだから、そりゃ、僕もオッサンになるよ。
 でも、名人もまだまだ頑張るみたいだから、僕も、もうしばらく人生を楽しんでみるかな。
 35年は長いけれど、思い返してみると、本当にあっという間だったような気がします。


ファミコンランナー高橋名人物語

ファミコンランナー高橋名人物語

きね子

きね子

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