琥珀色の戯言

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【映画感想】未来のミライ ☆☆☆

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あらすじ
小さい木が立つ庭のある家に住む、4歳で甘えん坊のくんちゃんは、生まれたばかりの妹に対する両親の様子に困惑していた。ある日、くんちゃんはセーラー服姿の女の子と出会う。彼女は、未来からやってきた自分の妹で……。

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 2018年、映画館での22作目。
 平日のレイトショーで観ました。
 観客は30人くらい。


 『Yahoo!映画』で、細田作品としては「あれ?」と思うような、5点満点中2.5点の平均点がついていて、「タイトル詐欺」なんていう言葉がネット上に飛び交っていたので、逆に、「どんな酷いことになっているんだ?」と興味津々でした。
 
 僕は細田監督の作品の「家族語り」がずっと苦手で、でも、それはそれとして、娯楽作品としてのクオリティの高さは認めざるをえなかったのです。


fujipon.hatenadiary.com
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 この『未来のミライ』の予告をみて、「ああ、また家族モノか……」と、観る前から、けっこう、うんざりしていたんですよね。それなら観るな、って話なのですが、評判が悪いのなら、どんなものか見届けてやるか、という感じだったのです。
 久々に行った映画館が、豪雨の影響でエスカレーターやエレベーターがまだ停まっていて、その爪痕の深さに驚いたんですよね。


 そして、山下達郎さんの曲とともにはじまった、『未来のミライ』。
 いや、なんというか、子どもの動きとか、育児をめぐり夫婦間のヒリヒリするようなやりとりとか、妹(弟)ができたときの上の子の感情とか、ものすごくリアルにつくられているなあ、と思ったんですよ。
 ようやく立ってあるけるようになった子どもが、階段をおそるおそる下りていく描写とか、「そうそう、こんな感じ!」って。
 ときどき、居眠りしそうな観客と叩き起こすかのように、突然「ドーン」と画面一杯に大音量で怖い絵みたいなのが出てくるのは、「センスないな……」とがっかりしました。見せる側が、「ここ笑うところですよ!」「ここが面白いでしょ!」とアピールしてくるところが、あんまり面白くないので困惑します。


 そういう赤ちゃんや子どもの精緻な描写が、観客である僕を幸せにしてくれたかというと、夫婦の家事分担やワークライフバランス的なせめぎあいのリアルさに、自分自身のいろいろキツかった頃のことを思い出し、映画の中で赤ちゃんが泣くと心がざわざわとし、もうほんと、なんで金払ってこんなトラウマをほじくり出されるような目にあわないといけないのか……と心底イヤになってしまったのです。
 夏休みにこの映画を観に来た大人の半分くらいは、「なんでこんな気まずくなる映画を選んでしまったのだろう……ここは『ジュラシック・ワールド 炎の王国』だったよなあ……」と後悔し、子どもたちは、「何この理想的な家庭。それに比べてうちは……もっと楽しい映画じゃなかったの?」と苛立つ、そんな中途半端な内容なんですよ。『魔女の宅急便』を観に来たつもりが、『風立ちぬ』がはじまってしまったような、居心地の悪さ。
 『風立ちぬ』は、まだ「適度にファンタジー」だからマシなんですが、『未来のミライ』は、「ここ(育児をめぐるストレスや夫婦間のヒステリックなやりとり)をリアルに描かれても……」と困惑するばかりです。
 お母さんが、家事を十分にこなせないお父さんを責めるシーンとか、「はあ……」って感じ。けっこういいお父さんだと思うんだけど、あれでもそんなにダメですか……あれでダメなら、僕なんか……


 少なくとも前半は、エンターテインメントというより、いまの時代の家事育児の役割分担啓蒙作品っぽいのですが、そんなの観たくて、月曜日の夜に映画館に来たわけじゃないのに……誰得なんだこれ。
 お父さん、建築家だとしても、あんな迷路みたいな家建てなくてもいいだろうよ、小さな子どもがいるのに、バリアフリーの極北みたいなミステリーハウスじゃないか。
 

 家族というか、命のつながり、みたいなものを伝えたいことはわかるし、それなりに魅力的なシーンは散りばめられているのだけれど、あらためて考えてみると、なんで大きくなった妹のミライが出てきたのか、よくわからないんですよね。彼女が口にしている「理由」がその通りなのだとしたら、あの時代に行きている若い女の子が、そんなことを気にするかなあ。
 もっと年を取ってから、「あれが原因に違いない!」って過去を変えにくるのだったら、わからなくもないけれど、本当にそれが理由だと信じていたのだとしたら、ターミネーターよりも怖いな。


 すべては、夢、あるいは、妄想なのか?
 僕はダークな結末を予感していて、「だから、今を大切にしましょう」みたいなオチなのかと思っていたのですが、『ナルニア国物語』(小説版)みたいなラストだと、それはそれで、トラウマになりそうですよね。


 『サマーウォーズ』以降のほぼ3年ごとに公開されている細田守監督の作品を思い返してみると、「家族」あるいは「大家族」のつながり、に対する世の中の意識というのは、この10年でかなり変わってきたのではないか、と思うのです。
 『サマーウォーズ』は、大家族を描きながら、エンターテインメントに思いっきり舵をきった作品なので、「こんな大家族なんていない!」というツッコミは「野暮」だったのですが(そして、その「野暮」をやらずにはいられなかったのが僕だったわけですが)、『おおかみこども』のシングルマザーと子どもたち、『バケモノの子』の血のつながりのない熊徹と蓮ときて、ここではじめて「世の中によくありそうな両親と子どもたち」の物語にたどり着いた、はずでした。
 しかしながら、そこで描かれた「リアルな現代の家族」は、すべてがそろっているはずなのに、欠けているものや緊張感ばかりが目についてしまうのです。
 「家族の多様性」が認められるようになってきた一方で、「ふつうの家族」のように見えるからこそ、ついつい、「理想像からの引き算」をはじめてしまうこともある。


 この『未来のミライ』って、もしかしたら、いまの世の中から失われつつある「ふつうの家族」という絶滅危惧種を、将来に備えて映像に遺しておく、という目的でつくられたのではないか、とも思うんですよ。
 僕たちが『となりのトトロ』をみて、「実際には自分の人生にはなかった、トトロたちとの暮らし」を記憶にインストールするように、未来の人たちは、『未来のミライ』で、「21世紀のはじめの頃は、こういう『家族』って関係が大事にされていた」と知ることになるのかもしれません。


未来のミライ (角川文庫)

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