琥珀色の戯言

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【読書感想】広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち

広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち (ちくま文庫)

広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
勤労動員にかり出された級友たちは全滅した。当日、下痢のため欠席して死をまぬがれた著者が、40年の後、一人一人の遺族や関係者を訪ねあるき、クラス全員の姿を確かめていった貴重な記録。


 73年目の8月6日。
 僕は小学生の頃、広島(市内ではありませんが)に住んでいたことがあって、毎年、8月6日は登校日で、講堂に集められて被爆者の話を聞いたり、原爆に関する映画を見たりしていました。
 日本全国でそうしているものだと当時は思っていたのですが、九州に引っ越して、原爆というのは「日本の悲劇」であると同時に、「広島、長崎の悲劇」というローカルなものだと考えている日本人が少なくない、ということを知ったのです。
 僕は小学生の頃、原爆資料館で見て眠れなくなった、人の影だけが残された壁や積み上げられた人骨などをみて、「核兵器は人類に存在してはならないものだ」と思っていたのです。
 もちろん、いまでも良いものだとは全く考えてはいませんが、他国で、核兵器の開発に成功したということで国民がお祭り騒ぎをしていることに驚き、日本という国が核の驚異にさらされている、という状況では、「それでも、核兵器は絶対悪なのか?自分から使うことはなくても、抑止力として保持していなければ、かえって危険なのではないか?」なんて、思ってしまうこともあるのです。
 そういうときの自分を、この「思ってしまう」という言葉のように、子どもの頃の自分が責める。
 その後、さまざまな戦争体験を聞いたり読んだりするしていくうちに、「原爆だけではなく、空襲でたくさんの人が死に、戦地では餓死や病死で弔われることもなく多くの命が失われた」ということを思い、「原爆だけが特別なのか?」と考えてもいます。


 この『広島第二県女二年西組』は、1985年2月に上梓されたものです。
 原爆が投下されてから、40年経った時期です。
 著者は当時、広島第二県女二年西組のひとりだったのですが、あの日、1945年8月6日に、二年西組は爆心から南へ1.1キロメートルの広島市雑魚場町の市役所裏に動員され、建物疎開作業をしていました。
 動員された39人の生徒のうち、38人が同年の8月6日から20日までに死亡し、一人生き残った坂本節子さんは、37歳の若さで、胃がんで亡くなられています。
 坂本さんはみんなと同じように作業をしていて、物陰にいたわけでもないのに、ひとりだけ比較的軽症だったのですが、そのことで、「なぜ自分だけ生き残ってしまったのか」と苦しんでいたそうです。
 引率の先生3人も全員死亡。ただし、先生といっても、最年長の教頭先生が37歳で、もっとも若い先生は20歳でした。
 そして、この日の動員に欠席して生き残った生徒が7人。
 著者はそのうちのひとりでした。


 生き残った者たちは、この日に原爆が落ちるなどということは全く知らず、体調が悪かったり、家庭の事情があったりで、偶然欠席していたのです。
 それでも、彼女たちも「級友たちがみんな死に、あの日に動員に加わらなかった自分が生き残ってしまったこと」に自責の念、あるいは後悔を抱き続けています。
 そんなの、生き残った人の責任じゃないのに、と僕は読んでいて思うのだけれど、当事者は、そんなふうには割り切れない。
 亡くなった人たちが「水が飲みたい」と懇願しているのに、「水を飲ませたら死ぬ」と言われていたため、飲ませなかったことをずっと後悔している家族が大勢います。
 「どうせ死んでしまうのだったら、好きなだけ飲ませてあげればよかった」と。
 飲ませていても、「それで命を縮めてしまったのではないか」と後悔したかもしれない。

 負傷者を本部棟前の芝生に寝かせ、不安気な生徒は前庭にたむろしていた。教員にしても、何事が起こったのか、どうしたらいいのかわからなかった。ともかく、今までの常識にある”空襲”と、全くちがうことが起こっていた。
 とにかく教室の土砂を取り除き、人がが入れるようにしなければならない。気を取り直した教員と生徒で作業が始まったが、これが容易なことではなかった。
 そんな作業に走りまわっていた富永万千代が、”お化け”を見たと思ったのは昼ごろのことだろうか。その”お化け”は本部棟の南端の中庭から校長室の前の廊下へ上るステップのところに腰掛けていた。ここは正門から第二県女校舎へ行く通り道でもあった。
 その”お化け”は、身体中焼けただれ、どろどろとなり、顔はたらいのようにふくれあがっていた。足もとには長いボロのようなものをひきずっていた。胸もとにだらりと幽霊のように曲げている手からも、つららのようなボロがぶら下がっている。目をこらして見ているうち、”ボロのようなもの”が身体からむけおちた皮膚であることに気づいたとき、富永万千代は思わず、悲鳴をあげた。と、その”お化け”が口を開いたのである。
「富永さんのお姉さん!」
「え、あんた、だれ?」
「火浦です」
 火浦ルリ子。第二県女卒業生である万千代はこの名をよく知っていた。二年西組の級長である。

 正面玄関の前に受付があり、女専の生徒が二人ほど詰めていた。静代が名を告げると、
「ああ、本地さんなら学校へ帰っておられます。生きとられます」
という。静代は夢かと思った。思わず、
「早う会わして下さい。早う……」
と叫んでいた。
 作法室の入口の近くに、その”物体”はあった。顔はたらいのようにふくれ上り、顔一面に白い薬が塗られていた。全身焼けこげ、下着や服の残りかすが身についているが、まるでわかめのようである。その子は寝息をたてていた。
「本地さんです」
 静代は思わず叫んでいた。
「これはうちの子じゃありません。うちの子は、私に似て、顔が細うて小さいんです。うちの子じゃあ、ありません」
 女専生は困惑した。
「でも、たしかに、本地といわれたんですよ」
 静代も当惑した。それで、その子の耳に口をつけ、おそるおそる、
「本地さん。本地文代さん」
と呼んでみた。と、その子が、
「ハイ。ハイ」
と返事するではないか。その声は、まぎれもない娘の声である。静代は文枝をかき抱き、
「変わった姿になったねえ」と涙をこぼした。
「お母さん、水。水が飲みたい」
 と文枝はいった。家から持ってきた水筒の茶が、まだ少し残っていた。それを飲ますとゴクゴクと音をたてて飲んだ。


 著者は、このように、二年西組の同級生たちがあの日、どのように瓦礫と炎に包まれた広島の町をさまよい、命を落としていったかを描いています。
 こんなつらくて悲しいことを、著者は取材で集めた事実を積み重ねながら、淡々と描いているように感じたのです。
 ひとりひとりの死について、もっと悲劇的に描こうとすれば、いくらでもできたはず。
 しかしながら、著者は、「彼女たちと、彼女たちを見届けた人たちが見たこと」をひたすら描き、「お涙頂戴」的な文章を極力排しています。
 その死の様子とともに、著者は、同級生からみて、「あの日までの彼女は、どんな同級生だったのか」を活き活きと描写しているのです。
 彼女たちは「被爆者」であるのだけれども、そんな言葉で十把一絡げにされてはならない、「ひとりの若い、それぞれ個性的な女の子」だった。
 そんなひとりの人間を、有無を言わさずに「被爆者」にしてしまうのが、戦争であり、原爆だった、とも言えるのでしょう。

 文枝は休みなく母に語った。静代が、可哀相に、と泣くと、
「お母ちゃん、泣いちゃあいけん。うちらは、こまい(小さい)兵隊じゃ。兵隊がお国のために死ぬのに、泣いちゃあいけん」
「お母ちゃんは、お兄ちゃんが死んだときも泣かんかったでしょう。うちが死ぬのも名誉の戦死じゃ」
といった。
 その夜、静代は一睡もしなかった。電気もつかず、真暗闇の中、口もとを水でひたしてやろうと思っても、口のありかがわからない。
「線香に火をつけて、口を捜すんじゃが、心もとないことじゃったよ」
 文枝は、「君が代」を歌い、八日の未明四時、息をひきとった。
 静代はその日のうちに新庄に帰り、新庄から大八車をひいてまた女専に来、文枝の遺体を乗せて家に帰り、新庄の川原で焼いた。


 戦争だから仕方がない、と言う人も、今の日本には少なからずいるはずです。
 でも、まだ13、14歳の女の子たちが、こんな死に方をするようなことが許されるのが戦争だというのならば、それは、繰り返してはならないことだと僕は思います。
 なんでも現在の価値観で判断するべきではないけれど、いまの中学生くらいの年齢の子どもたちが、弱音を吐くこともなく「立派に死んでいく」光景が、いくつも描かれているのをみて、僕はなんとも言えない気持ちになりました。
 これは、美しい死なのか、それとも、洗脳されたままの哀しい死、なのか。
 著者は、この本の巻末で、原爆で亡くなった同級生たちが「英霊」として靖国神社に合祀され、それをすごく喜んでいる遺族がいる、ということへの複雑な感情を述べています。
 

 被爆した人たちや遺族には、語り部として活動してきた人もいるし、生涯、原爆については黙して語らなかった人もいる。
 原爆は太平洋戦争における日本の悲劇として語り継がれてきたけれど、戦後も、結婚や就職で被爆者は差別され続けてもいたのです。


 僕が子どもの頃だった1980年代の前半というのは、まだ、原爆のことを生の言葉で語ることができる人たちが、たくさんいました。
 2018年、あれから73年となると、もう、歴史年表の一節になりかけているようです。
 だからこそ、何十万人もの犠牲者、という「数字」ではなくて、「犠牲になったのは、どこにでもいるようで、他にはいない、ひとりの人間たちだった」ということを知って、というか、感じてもらいたいと思うのです。


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