琥珀色の戯言

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【読書感想】ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 ☆☆☆

ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 (幻冬舎新書)

ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
人類の悲劇を巡る旅「ダークツーリズム」が世界的に人気だ。どんな地域にも戦争、災害、病気、差別、公害といった影の側面があるが、日本では、それらの舞台を気軽に観光することへの抵抗が強い。しかし、本当の悲劇は、歴史そのものが忘れ去られることなのだ。小樽、オホーツク、西表島、熊本、栃木・群馬などの代表的な日本のダークツーリズムポイントを旅のテクニックとともに紹介。未知なる旅を始めるための一冊。

「ダークツーリズム」という言葉を耳にする機会が最近多くなりました。
 とはいえ、「横文字で言われたらありがたそうな感じがするけれど、要するに、他人の不幸をのぞき見したいだけなんじゃない?」とか考えてしまうところもあるのです。

 ダークツーリズムとは、戦争や災害をはじめとする人類の悲しみの記憶を巡る旅である。私は、以前から、戦争や災害の跡はもちろん、人身売買や社会差別、そして強制労働などに関連する場を訪れてきた。なぜそのような場所に興味を感じたのかはよくわからなかったが、訪れるたびに、「忘れないでおこう」という気持ちだけは強く持つようになっていった。非業の死を遂げた人々の無念の思いを受け止め、大学という場で若い人たちに伝えていくだけでも、「何らかの価値」はあるのではないかと思っていた。大学という世界で働いて17年になるが、長いことこの「何らかの価値」の正体がわからずにいた。もう少し掘り下げて考えてみよう。

 
 東日本大震災で被災した建物を遺構として保存することについても、「あの記憶を風化させないために必要だ」という意見の人と、「見るたびにつらい体験を思い出すので、撤去してしまったほうが前向きな気持ちになれるのではないか」と考えている人がいて、どちらが正しい、とは言い切れないんですよね。
 この本のなかでは、昔の鉱山労働の跡をめぐるダークツーリズムの話が出てくるのですが、著者は「記念碑のようなものよりも、目に見える『採掘場跡』が遺されているほうが記憶を共有しやすいのではないか」と述べています。
 僕は広島県に住んでいたことがあって、社会見学で原爆資料館平和記念公園に行き、原爆投下直後の写真をみて衝撃を受けたのですが、あの場所に「原爆ドーム」という遺構があるというのは、記憶の継承に大きな役割を果たしていると思うのです。
「ダークツーリズム」という言葉に違和感があったのだけれど、広島や長崎の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔を観光するというのは、まさに「ダークツーリズム」であり、言葉は目新しくても、ずっと多くの人がやってきたことでもあるんですよね。
 1945年にできてしまった戦争の遺構を訪問するのは「悲劇を繰り返さないための学習」だというのはわかる。
 被災直後の被災地を「見るためだけ」に訪問するのは、悪趣味だと感じるのも理解できる。
 では、どのくらいの時間が経てば、「ダークツーリズム」というのが自然に受け入れられるのだろうか。
 感覚的には、当時を直接知る人がいなくなれば、抵抗は少なくなるのですが、それだと、「生々しさ」が薄れてしまう、という面もあります。
 関ケ原の合戦が行われた場所(とはいっても、史跡として大々的に整備されているわけではないのですが)を訪れても、歴史好き的に「ああ、ここで……」という感慨はあれど、「戦争という悲劇」を実感するのは難しい。
 1986年に原発事故が起こったチェルノブイリでは、すでにダークツーリズムが盛んになっています。


fujipon.hatenadiary.com



 「ダークツーリズム」というのは観光客にとっての「学び」の場なのですが、地元にとっては、お金を稼ぐための手段でもあるのです。著者は、「ダークツーリズム」とはいっても、通常の観光スポットめぐりの合間に、「悲しみの遺構」を組み込んだり、美味しいものを食べたり、温泉でリラックスしたりしながらで良いのだ、と仰っています。
 人間の悲しい体験を追うためだけの旅というのは、よほど意識が高い人じゃないと、つらすぎるのではないかと僕も思います。
 

 筆者としては、地域のダークサイドを記録し、その価値を受け継ぐことの重要性を伝えていきたいと考えるが、実は日本こそ、ヨーロッパと並ぶダークツーリズムの発信拠点になるべきであると考えている。
 まず、自然災害が多発することが理由の一つに挙げられる。ヨーロッパのダークツーリズムの教科書でも、自然災害の跡が観光対象になるとは書かれているが、実は具体的な記述がほとんどない。これは、ヨーロッパに自然災害があまりないからであり、少ない記述を見ると約250年前のリスボン地震や、論文では英語圏から発信されているということで2011年のカンタベリー地震を取り上げているものが散見される程度である。日本の場合は、死者をともなう地震災害は言うに及ばず、火山災害でも過去に多くの犠牲者を出している。もちろん慰霊や学習などの目的でこうした地域に入りたい外国人はたくさんいるものの、英語での発信がないため、アクセスすることが難しい。欧米では日本の情報を知りたがっているにもかかわらず、これまでアプローチを諦めてきた節がある。今後は、日本から自然災害に関連したダークツーリズムの情報を積極的に発信することで、すでに欧米で発達したダークツーリズムの方法論との高次のコラボレーションが期待されるとともに、新しいダークツーリズムの展開が予想される。


 あまり嬉しい話ではないのですが、日本は世界でも有数の自然災害大国でもあるんですよね。
「ダークツーリズム」という言葉が生まれてから、まだ20年程度だそうなのですが、LCC(ローコストキャリア)の普及という要因もあり、世界中で「ダークツーリズム」はブームともいえる状況になっているそうです。
 ダークツーリズムの聖地ともいわれるアウシュビッツでは、ここ10年間で入場者数が3倍以上に増えて、大混雑するようになっているのだとか。
 もちろん、強制収容所を訪れて、知るというのは、大事なことではあるのですけど。


 著者は、この本のなかで、日本国内を中心に、実際に行った「ダークツーリズム」の様子を紹介しています。
 ダークツーリズムの対象となるのは、アウシュヴィッツ原爆ドームといった、大きな遺構ばかりではありません。


 長野県の旅の一部です。

 ここからがダークツーリズムの旅となるが、初めに訪れる場所は、「無言館」と呼ばれる美術館である。ただ、美術館といっても、ここには有名な画家の作品は一枚もない。この美術館に収蔵されている作品は、いわゆる戦没画学生の手によるもので、美術を学んでいた学生たちが出征前に描いたものが大部分を占める。
 絵を心から愛していた若者たちが、自分の力ではどうしようもできないうねりの中で、描くことを諦めて戦地に赴かざるを得なかったその時の気持ちを慮ると心が痛む。
 そして何より、その作品そのものから感じられる生命力の強さには、絵画の門外漢である私ですら、圧倒された。私が実際に訪れたのは、大学で言えば春休みに当たる時期であったのだが、私が静かに絵と向き合っていると、男女5人ぐらいの騒がしいグループがずかずかと館内に入ってきた。彼らは個性的なおしゃれを楽しんでいたので、美大生かなと思ったのであるが、訪問の瞬間における態度は決して褒められるものではなかった。ただ、絵を見始めて数分経つと、彼らは何も話さなくなってしまった。完全に黙り込んだのである。私自身は創作をしないのであるが、実際に描いている彼らにとっては、死を間近に意識しながら最後に創られた作品の気迫に、ただならぬものを感じたのではないだろうか。私は、戦没画学生たちの細かい資料も読んだので、長時間館内に留まっており、彼らの後から展示施設を出たのであるが、小一時間ほど作品を見た学生たちの表情が、憔悴しきっていたことが非常に印象的であった。


 この本を読むと、日本全国、あるいは、世界中に、ダークツーリズムの対象となる場所や施設がたくさんある、ということがわかりますし、肩肘張らずに、ふつうの観光旅行の中に組み込むことも可能なのだな、とも思えてきます。
 

リスクと生きる、死者と生きる

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世界の混沌を歩く ダークツーリスト

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