琥珀色の戯言

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【読書感想】職業、女流棋士 ☆☆☆☆

職業、女流棋士 (マイナビ新書)

職業、女流棋士 (マイナビ新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
本書は女流王将のタイトル2期獲得、人気・実力ともにトップクラスの女流棋士香川愛生女流三段が女流棋士という職業について語るものです。

女流棋士とは?」「女流棋士になるまで」「対局」「タイトル戦」「勉強・準備」
「普及」など、あらゆる角度から女流棋士の世界を書き綴っています。

香川女流三段は奨励会経験者でもあり、関東と関西の両方に籍を置いたこともあり、さらにゲーム業界など将棋以外の世界でも活躍しています。

それらの豊富な経験があるからこそ語れる「職業、女流棋士」。

現代を女流棋士として生きる、等身大の姿がここにあります。


 僕にとっての香川愛生さんのイメージは、「ああ、あのゲーム好きでコスプレが話題になった人か!」だったのですが、この本を読むと、「やっぱり、勝負の世界で生きている『棋士』なんだな」と再認識させられます。


www.huffingtonpost.jp


 本業以外の活動が話題になることが多い香川さんなのですが、この本では、「こんなに真面目な人なのか」と驚くくらい、将棋に対する熱い思いが語られています。

 将棋を指していると、しばしば自分に対する怒りが芽生えます。自分を受け入れたいという気持ちと、いまの自分を受け入れたら強くなるのが止まるのではないかという気持ちとの間で、葛藤があります。
 自分を許してあげて、先に進むというのは難しいことです。許したところをこの先改善できるのか、甘えてしまわないのか、という怖さがあります。
 自分自身や自分の技術をどこまで許してあげて、どこまで許さないかが、その先の気力の上達、人としての成熟に大きく影響すると思っています。私は許してこなかったから、厳しく自分を追い詰め続けて強くなったのかもしれないけれど、結果として人としては未熟さを克服できずに長らく過ごしてしまったのかもしれません。
 思い出そうと思えばどの経験も昨日のことのように思い出せます。自分への怒り、はらわたの煮えくり返るようなマグマのような感情が押し寄せてくるのです。でも感情に流されていては、感情的な将棋しか指せません。傷はうまく意識から消すことも大事です。時間がやわらげてくれた深いところに眠っている傷がたくさんあるのです。きれいごとのように決着をつけることはできませんし、過去は昇華できても消化はできません。深い傷をいっぱい増やしながらも、新しい皮膚のうちにひそめて、生きているのです。
 子どもの傷と大人の傷、あるいはアマチュアの傷とプロの傷は違います。子どもは傷だらけになって遊んでいても喜んでいることすらありますが、大人になるにつれて傷つくのが怖くなるものです。傷に傷が重なってより痛みが増したり、より深まったりすることはしょっちゅうあります。傷つかないように気を付けよう、と思うようになります。大人になるにつれて、勢いのある攻め将棋の人が減る一因かもしれません。


 この本、読んでいると、「堅さ」というか、正座して読まなければならないような気がするくらい、言葉を選んで書かれているな、という感じがするんですよ。
 でも、ところどころに、香川さんの「気持ちが溢れてしまっているところ」があるのです。

 人が勉強したり、練習したりするためには、「今の自分ではダメだ」「もっとうまくならなくては」という向上心が必要です。
 しかしながら、勝負の場では、あるいは、仕事として勝負を続けるには、感情的であるよりも、平常心を保つことが大事な場面も多いのですよね。


fujipon.hatenadiary.com


 競馬の騎手というのも、棋士と同じように「トップクラスの選手も連戦連勝とはいかず、勝ったり負けたりする」のですが、日本の競馬会を代表する騎手であるルメールさんは、ひとつひとつのレースの結果を引きずらない(こだわらない、のではなくて、引きずらないのです)「平常心の人」だという印象を受けました。


 勝負師として生きていくためには、日常で自分自身を燃やし尽くすような向上心を持ちながら、勝負の場では平常心を保つ、ということが求められるのです。
 なんと過酷な世界なのだろうか。
 僕は勝負には熱くなるけれど、日常では向上心を持てない、という人間なんですよね。
 たぶん、多くの人が、そうなのだと思います。そのほうが、人生、ラクではあるし。


 香川さんの座右の銘が「執念」だというのを読んで、僕は圧倒されました。
 「執念」って、座右の銘にするには、重すぎるというか、ネガティブなイメージがある言葉だと思うのだけれど、香川さんは、それを抱えて生きているのです。


 香川さんが女流棋士としてデビューしたあと、奨励会(プロ棋士の養成機関)に挑戦していたことを、この本で僕ははじめて知りました。
 女流では屈指の実力者である香川さんにとっても、年齢制限があり、プロ棋士にたどり着くために、勝ち続けるしかない奨励会は、とてつもなく厳しい世界だったのです。
 香川さんは、女流棋士として、「プロ」になっていたため、かえって、怖さを知ってしまっていたのかもしれません。

 奨励会を退会した前後は最も脆弱な時期でした。細くて繊細な糸が、音もたてずに静かに切れてしまったような幕切れでした。2012年2月、退会。家族にも、棋友にも、恩師にも告げず、奨励会の退会を決めたことは、私にとって自殺を決意したようなものでした。
 プロは一途に将棋の道だけ進んでいるように思われるけれど、私はしばらくの間、将棋から離れます。将棋が嫌いになったというより、将棋に嫌われてしまったと、絶望していました。亡くなった恩師の親族のかたのご厚意で、恩師と私の駒音が深く刻まれた思い出の盤駒を譲り受けましたが、恩師の形見の駒は、指先が触れるだけで情けなさが溢れてきて、盤面を濡らすことしかできませんでした。


 奨励会をやめた香川さんは大学に進学するのですが、周囲の人の支えや将棋への思いもあって、関西に拠点を移して(立命館大学に進学したということもあり)、女流棋士に復帰します。
 
 僕は、現状において、スポーツの競技の「男女別」は、やむを得ないとして、将棋で、そんなに男女差があるのだろうか、と感じていたのです。
 競技人口の違いや「将棋を職業にしてきた歴史の長さ」の違いがあるだけで、今後は差はなくなっていくのではないか、と香川さんも仰っています。
 でも、いま「女流」という前置きをつけて、プロとして活動している人たちは、どう思っているのだろうか?
 もちろん、そこに物足りなさを感じていたから、香川さんは奨励会に挑戦したのでしょう。
 女流棋士のなかでも最強の呼び声が高い里見香奈さんでさえ、棋士になるための最後にして最大の壁である、奨励会三段リーグを突破できず、年齢制限によって退会となりました。

 渋めの色合いが好まれる棋士に比べ、対局やイベントの際の女流棋士の着物は色とりどりです。公開対局やトークショーのあるイベントは、和服でいっそう華やぐのです。笑顔で明るく、将棋の普及をする。先輩がたから学ぶ女流棋士の重要な仕事のひとつです。
 しかし時に、聞き手や普及活動に重きを置く女性棋士に対して、勝負からの逃避や諦めという非難があるのも事実です。包み隠さず言えば、自分も奨励会時代は似たような感想を持っていました。これは正当な批判なのでしょうか。
 もちろん、将棋に力を注ぐのはプロとして当然のことです。以前は「一意専心」、つまり将棋以外に力を入れるべきではないというのが業界の通念でした。それでも、いわゆる華は、容姿においても棋譜においてもひとつの重要なファクターです。大事なのは不用意に傾倒しすぎない効率と管理であり、キャパシティの問題です。将棋でも同じですが、特に流行に関しては、神経と時間の負担を減らしながら効果を出す方法の探索は重要です。


 単純に強ければいい、というのであれば、今はコンピュータが最強であり、羽生善治さんも藤井聡太さんも不要、ということになってしまいます。
 今の時代は、将棋のゲームとしての面白さとともに、「将棋にとりつかれた天才たち」の姿が、将棋界の魅力ではないか、と僕は思うのです。
 
 「華」があって、本業以外で話題になることも多いけれど、香川さんは、いろんなものと闘い続けている人なのだなあ。
 読んでいて、「痛み」が伝わってくる本なんですよ。そんなつもりで書かれたものではないことは、百も承知なのだけれども。


女流棋士 (講談社文庫)

女流棋士 (講談社文庫)

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