琥珀色の戯言

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【読書感想】師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年 ☆☆☆☆☆

師匠 歌丸  背中を追い続けた三十二年

師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
一九八五年、東京理科大生の無口な男がなぜか落語家を志し、桂歌丸の門を叩いた。けっして弟子をほめない歌丸だったが、その陰では無限の愛情を持って弟子を支えていた。不器用な弟子はそれに気づかず、ついには「クビだ」と怒られてしまうが…?数々のしくじりを重ね、悪戦苦闘しながらも、師匠の背中を追い続けた日々。弟子と師匠の三十二年を赤裸々に語る。


 著者の桂歌助さんは、あの桂歌丸さんの初の直弟子です。

歌丸の二番弟子」、このフレーズをいままで何度、使わせてもらったことだろう。
 初めて桂歌丸の門を叩いたのは1985年。前座になったのが翌86年だったから、落語家になって32年が過ぎた。
 入ったときは兄弟子に桂歌春がいたから「二番弟子」だが、歌春が最初に入門したのは先代の二代目桂枝太郎二ツ目のときに師匠が亡くなったので、歌丸に再び弟子入りした。だから歌丸にとって直弟子として、前座、二ツ目、真打と師弟の関係で共に時間を過ごしたのはわたしが初めてということだ。
 新潟県十日町出身で、母校・十日町高校の数学教師になろうと東京理科大学で学んでいた学生が突然、落語家を志す。無口で口べた、そんな変わりダネの入門を許し、一人前になるまで育ててくれた。


 東京理科大を卒業して学校の先生になるはずで、そのためのお膳立てはすべて揃っていたのに、落語家を志して歌丸さんに弟子入りした歌助さん。
 しかし、この本の表紙の二人の写真をみてみると、(晩年、ということもあるのでしょうけど)痩せていて顔色も良いとはいえない歌丸さんと、丸顔で肉付きのよい歌助さんというのは、あまりにも正反対で、ちょっと可笑しくなってしまいます。
 歌丸さんは下戸なのに、歌助さんはお酒が大好きだったり、細かいところが気になる歌丸さんに対して、歌助さんは鷹揚だったりと、師弟にもかかわらず、似ていないどころか、あまりにも違いすぎるんですよね、この二人。
 ただ、この本を読んでいくと、歌丸さんは、そういう「自分とは違う直弟子」に困惑しつつも、惜しみない愛情を注いでいたように思われます。
 「違う」からこそ、お互いに頼りにしていたところもあったのではなかろうか。


 歌丸さんは、本当に「手がかからない師匠」だったようです。
 落語家というと、飲む打つ買うの破天荒なエピソードがつきものだと僕は思い込んでいたのですが、歌丸さんは、外で遊びまわることもなく、家で『笑点』を録画したものを真剣に観かえして、自分の回答や他の噺家たちとのバランスを研究していたそうです。

 初高座が終わり、弟子としての生活が本格的に始まるとき、歌丸から呼び出された。
「話があるからこっちに来なさい」と言われ、歌丸の部屋で差し向かいに座った。
「落語家にとって、もっとも大切なものは何かわかりますか」
 いつになく真剣な目だ。すごく大事な話をされているのがわかった。
「えっと、噺をたくさん覚えて、お客さんをいっぱい笑わせて……」
 わたしは必死に答えた。
「芸を磨くことは当然です。でもその前の、あいさつをきちんとすること、時間をきっちり守ること、お金の貸し借りはしないこと。これが大事です。芸ができればあとはなんでもいいという人もなかにはいるかもしれないが、わたしのところではそれは許しません。お客さんにも同じ落語家にも、そのほかの人たちにも、歌丸の弟子として、これだけは最低限心がけてください」
 わたしは歌丸の話をかみしめるように「はい」と答えた。
 そして歌丸は、こう続けた。
「この世界、いろんな人がいます。わたしはいつも『ほめる人は敵と思え、叱る人は味方と思え』と思っています。𠮟ってくれるというのは、あなたのことを思ってのことです。お客さんでもほかの師匠でも、𠮟ってくれる人のことを大切にしなさい」
 歌丸はじっとわたしの目を見た。
 この言葉があったから、どんなにつらいことがあっても、わたしは落語家をやめることなく、続けられてきた。


 入門してからいままで、歌丸がわたしをほめたことは、ただの一度もない。


 この本が書かれた時点では、歌丸さんは存命だったのですが、その後、歌助さんは、師匠からほめられることがあったのだろうか。
 でも、この本を読んでいると、「褒めないのも弟子への愛情」だったのでしょう。
 個人的には、落語家があんまりちゃんとした人ばっかりというのも、それはそれで、物足りないような気もするんですけどね。
 歌丸さんと歌助さんは「根が真面目」という点においては、通じるところがある師弟だったのだと思います。


 歌丸さんは、弟子にあれこれ用事を言いつけたり、身のまわりの世話を頼むことも少なかったそうです。
 基本的に「自分のことは自分でやる」主義の人だったのです。

 旅といえば、前座時代、かばん持ちとして日本各地で行われる歌丸の公演について回った。
 歌丸は家や寄席では厳しかったが、なぜか旅先ではやさしかった。わたしに気を遣ってくれているようなふしもあった。
 旅先では、ホテルでの過ごし方や前座としての身のこなし方などをやさしく教えてくれた。
 歌丸は基本的に出かけるときの身支度を、おかみさんや弟子にはやらせない。着物や足袋など、高座に必要なものはぜんぶ自分で用意していた。なぜか?
 忘れ物をしたときに誰かのせいにしたくないからだ。自分で用意すれば、忘れ物は自分の責任になる。だから、身支度はぜんぶ自分でやっていた。
 実際、歌丸も自分で着物を忘れてきたことがあったが、誰かのせいにしたり八つ当たりしたりはもちろんなかった。
 旅に出るときも例外ではなく、身支度は歌丸が自分でやるので、あまりわたしの出番はない。
 いつだったか、歌丸と旅に出たとき、わたしは自分の足袋を忘れてしまった。なにも歌丸から「自分で用意するんだったら、何を忘れてもいいよ」と甘やかされていたわけじゃない。時間やお金、身の回りのことは厳しかったから、さすがに足袋を忘れた、となったらとんでもなく怒られるだろう、と思っていた。
「師匠、足袋を忘れてしまいました」。わたしはおそるおそる歌丸に伝えた。
「そうか」。歌丸は怒らない。だが、列車の時間があり、どこかのお店で買ってからというわけにもいかない。出演者はわたしと歌丸だけだったから、ほかの誰かのを借りるってわけにもいかない。
 歌丸は怒るのでもなく冷静に、「会場に来る○○さんに電話して、道中で足袋を買ってきてもらいなさい」と指示してくれた。わたしはさっそく電話をかけて、無事に会場で足袋を受け取ることができた。


 この歌助さんの書きかたからすると、たぶん、日常の些細な忘れ物や遅刻に関しては、歌丸さんはけっこう口うるさいところがあったのだと思います。
 でも、歌助さんが本当に困って、にっちもさっちもいかなくなってしまった状況では、歌助さんを責めることも、怒ることもなく、冷静に対処法を教えてくれたのです。
 こんなふうに、相手の状況をよくみて、「突き放しても大丈夫なとき」と「助けてあげなければならないとき」を判断できる親や先生というのは、なかなかいないものです。
 まあ、歌丸さんのような師匠は「立派すぎて、弟子としては、やりにくい」ところもあるのかもしれませんね。

 歌丸はつねづね「『笑点』はアルバイト、本業は高座」と言っていた。もちろん「笑点」も真剣にやっていたはずだが、わたしはいつも、そういう歌丸の背中を見ていた。だから、なんとか二ツ目時代を乗り切ることができたのだ。

 歌丸は口上で「うまい落語家になることはない。おもしろい落語家になれ」とくり返した。これは歌若、歌蔵、枝太郎が真打に昇進したときも歌丸が言う「決まり文句」でもある。


 『笑点』のイメージが強い歌丸さんだったのですが、自身としては、テレビ出演よりも、高座で噺をやることが自分の本業だと考えていたのです。
 だからこそ、『笑点』では、観客や視聴者に「サービス」していたのかもしれません。
 
 「師匠」としての桂歌丸という人のありかたは、いろんなシチュエーションで、誰かに何かを教える立場になった人に、すごく参考になると思うのです。
 そして、桂歌丸の「落語」を、あらためてじっくり聴いてみたくなる。そんな本でした。


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