琥珀色の戯言

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【読書感想】アップルのリンゴはなぜかじりかけなのか? 心をつかむニューロマーケティング ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
消費者への聞き取りやモニタリング調査のマーケティングは終わった。いまや「脳」を見て、無意識のニーズを探る「科学」の時代だ。商品開発の鉄則は、人々が自分でも気が付いていない「欲求」を呼び覚ますモノを提示すること。そのための、より確実で効率的な戦略がニューロマーケティングである。「新奇性」と「親近性」、「サプライズ」、「計画的陳腐化」、「単純接触効果」、「他者の力」―。最新の脳科学が明らかにしたヒットの方程式を一斉公開。新規ビジネス計画、既存商品の売り方の見直しはここから始まる。


 「ニューロマーケティング」という言葉をご存じですか?
 僕にとっては「聞いたことはあるし、それなりに知っているつもりだったけれど、あらためて他者に説明しろと言われると困り果てる」という感じなんですよね。
 この新書は、その「ニューロマーケティング」について、新書サイズで、初学者にもわかりやすく、それでいて、「専門家がみても、噓がないレベルで」ということを意識して書かれたそうです。

 いま、市場にはモノがあふれている。このうえ何を作ってどう売ればヒットするのか、見えにくい世の中だ。そういう厳しい環境の中で各社がしのぎを削っている。
 競争には情報を握った方が勝つ。
 その情報の中でもいま、最も価値が高いと思われているものは、人間が何を好み、どんなモノを欲しがるのかを教えてくれるような情報、つまり人間の「こころ」を動かす根本原理である。
 その原理は、アンケート調査や官能検査など、これまでよく使われてきた方法ではわからない。なぜなら人間の本当の気持ちは言葉で表すことのできない深層心理が作り出しているからだ。
 その深層心理が科学の力で解き明かされつつある。
 すなわち、脳科学と商品開発やマーケティングの実践が結びついた「ニューロマーケティング」がこの十年余りで大きく進歩した。本書はそのエッセンスをわかりやすく解説したものである。


 この本を読んでいると、自分の「好み」なんて、案外アテにならないものだな、と思い知らされるのです。

 商品を開発して売る側は、常に特別な物語を提供しなければならないのだろうか?
 いつも都合よくそんな物語のネタが転がっているものだろうか?
 そう考える必要はない。
 実はこの物語づくりは、常にうまくいく可能性がある。
 なぜなら、顧客のアタマに浮かんだ物語は「正しい」とは限らないからだ。それどころか「後知恵」のことが多い。そしてそういう物語はどのようにでも作れる。


 スーパーマーケットの店頭で行われた実験にこんなものがある。二種類のジャムを試食してもらい、どちらが好きかを尋ねる。店員に化けた実験者は、「では、もう一度試食して、なぜこちらが好きなのかお答えください」と言う。お客はもう一度口にして、いろいろ理由を言う。
 しかし、この実験にはからくりがあって、ジャムの瓶には、実は上下に二種類のジャムが仕切りを隔てて一緒に入っているのだ。
「ではもう一度」と言うときに、実験者はお客に気づかれないように瓶の上下をそっとひっくり返す。つまり、もう一度試食して、どうして好きかを説明した方は、最初は「好きではない」と判断した方だったのである。しかし、お客はそのことに気づかない。
 アップルシナモンとグレープフルーツのように、はっきり違いがわかるはずのものでも、「実はひっくり返された」ことに気づいたのは半数足らずの人であった。
 これが人間の脳の高次機能、大脳新皮質で行っていることの秘密である。
 つまり知性の役割とは、自分のやったことに「後から」都合の良い理屈を考えること、すなわち自作自演で納得感を創出することだ。


 これを読んで、「あの人は、なぜ、噓をついて自分を正当化するのか?」の理由の一端がわかったような気がします。
 あれは、「自分がやっていることを忘れたふりをしている」とか「間違っているのを承知の上で誤魔化している」わけではなくて、本当に忘れてしまっていたり、本人は自分がやったことが本当に正しかったとずっと認識している、ということなんですね。
 他人事みたいに書いてしまいましたが、僕自身にもそういう回路はあるのです。
 あらためて考えてみると、人がある選択をした「理由」というのは、理性よりも第一印象とか思いつきが多くを占めていて、その選択の言い訳をするために、「知性」が使われているだけ、ということなのかもしれません。
 それが知性の役割なのだとしたら、正直、悲しくもなるのだけれど。
 誰かや何かが「好き」というのも、最初は「あっ、これ好き!」からはじまって、理由はあとからついてくるのだよなあ。
 人間というのは、「反省し、それを活かす」ことに向いていない脳のつくりをしているみたいです。


 著者は、なじみがあるものを好むようになる、という「単純接触効果」の一例として、インターネットのバナー広告をあげています。

 私たちがよく見るサイトには必ずと言って良いほど広告がある。ブログでアフィリエイトをやっている人たちは広告をクリックしてもらうことが大事だろう。
 そこで架空の商品名を使ったウェブページを作り、50人ほどの大学生に次々に見てもらって好感度を調べた。実はこの研究は最初はうまくいかず、好感度が期待したほど上がらなかったのだが、その原因は被験者が広告に注意していないことにあった。
 その点を改良すると、最初は「珍しい」「奇妙だ」と感じていた商品名、たとえばレトルトカレー「辛え爆発」、シャンプー「アクアリア」といったような商品名(もちろん架空の名前)がだんだんなじめるものになり、十回ほど見た後には好意度が上がった。それだけではなく、そのモノを「買ってみよう」という気にもなったのである。
 あなたが何となく良い印象を持っているブランドは、実はいつも見ているサイトに出ているものではないだろうか。


 単純接触効果はどうして起こるのか?
 心理学的には、「本当は好きになっているわけではない」と考えられている。
 好きになっているのではなく、繰り返して接することによって、脳がそのモノを効率よく処理するようになったと考える。
 処理と言うと難しいが、「これは何だ?」「形は? 色は? 特徴は?」「何に使うの?」といったことをあまり考えず、すんなりとアタマの中に入ってくるということである(「知覚的流暢性」という)。


 おそらく、「被験者(閲覧者)を広告に注意させる」というのが、バナー広告の最も難しいところだと思うのですが、よほど反社会的、あるいは不快なものではいかぎり、何度もユーザーに見てもらうだけでも、それなりの効果があるものみたいなのです。
 「またこの広告か」というのは、意味がなさそうな気がするのだけれど、実際は、そのくらい接触を増やすことによって、「すんなりとアタマの中に入ってくる」ようになるわけです。

 
 著者は、最後に問題提起をしています。

「心を操作する時代」が、すぐそこまで来ている。
 そうすると、「人間には自由な意思があるのか?」という問題を考えなくてはならない。
 私たちは自分の自由な意思で学校の専攻を決め、職場を決めて今日に至っているように思っているが、実のところそれは「あれか、これか」という選択の連続だった。その都度どのような選択をするかは、脳のからくりがわかっていれば正確に予測できたのではないだろうか?
 ニューロマーケティングが消費者の自由意思を奪うという懸念は古くからあった。私たちは普通、「自由」という生き方を大事にしたいと思っている。だかもし、私の行動が完璧に予測できるならば、我々には自由はないというべきである。
 本当のところ、私たちには「自由」はないのかも知れない。茂木健一郎さんの研究によると、自由意思を信じている人はUFOやサイキックパワーといった超常現象を信じる傾向が強いという。今や「自由」は「パラノーマル」の一種なのだ。それならば私たちには自由のないことを認め、より良いコントロールとは何かを考えた方が現実的ではないだろうか。


 たぶん、僕の世代(現在40代半ば)くらいは、マーケティングに操られている感じがして不快だな、というレベルで退場していくことになると思うのです。
 でも、今の子どもたち、あるいはその次の世代になると、なんらかの制限をしないかぎり、「国家や企業の利益を最大に高めるために」人々の意思がコントロールされるのが当たり前の時代が来るのではなかろうか。
 それは、人間にとって「幸せ」なのか?
 少なくとも、「当事者は幸せだと感じるようにする」のだとは思うのですが……


the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

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