琥珀色の戯言

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【読書感想】世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない――「直感」と「感性」の時代――組織開発・リーダー育成を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのパートナーによる、複雑化・不安定化したビジネス社会で勝つための画期的論考!


 けっこう話題になっていた新書なのですが、僕はこのタイトルをみて、「世界のエリートの話なんて、自分には関係ないからなあ……」と敬遠していたのです。
 でも、読んでみると、エリート限定というよりは、いまの世の中で多くの人が感じている「行き詰まり」みたいなものを解決するための試みが紹介されている本だったんですよね。

 英国のロイヤルカレッジオブアート(以下RCA)は、修士号・博士号を授与できる世界で唯一の美術系大学院大学です。2015年のQS世界大学ランキングでは「アート・デザイン分野」の世界第1位に選出されており、視覚芸術分野では世界最高の実績と評価を得ている学校と言っていいでしょう。ちなみに、次々と革新的な家電製品を世に送り出しているダイソン社の創業者であるジェームス・ダイソンは、このRCAでプロダクトデザインを学んでいます。
 さて、このRCAが、ここ数年のあいだ、企業向けに意外なビジネスを拡大しつつあるのですが、なんだと思いますか?
 それは「グローバル企業の幹部トレーニング」です。
 現在、RCAでは様々な種類のエグゼクティブ向けのプログラムを用意しており、自動車のフォード、クレジットカードのビザ、製薬のグラクソ・スミスクラインといった名だたるグローバル企業が、各社の将来を担うであろうと期待されている幹部候補を参加させています。
 世界的に高名な美術系大学院とグローバル企業の幹部というのは、どう考えても連想ゲームの最初に出てくる組み合わせではありません。しかし、こういった取り組みは全世界的なトレンドになりつつあるようなのです。


 貴族というか、エリートのたしなみ、みたいなものかと思いきや、これらの企業は、「他者との差別化」や「競争力を高めること」を目的として、幹部候補をアートスクールに送り込んでいるのだそうです。
 それって、どういうことなんだろう?
 趣味として、ならともかく、アートの勉強を本格的にやるくらいなら、経済学とかを極めたほうが良さそうなのに。


 その疑問に対して、著者はこう述べています。

 情報処理を「論理的」かつ「理性的」に行う以上、入力される情報が同じであれば出てくる解も同じだということになります。しかしここにパラドックスがあります。というのも、経営というのは基本的に「差別化」を追及する営みだからです。
 今日、多くのビジネスパーソンが、論理的な思考力、理性的な判断力を高めるために努力しているわけですが、そのような努力の行き着く先は「他の人と同じ答えが出せる」という終着駅、つまりレッドオーシャンでしかありません。そしてまさしく、多くの企業はこのレッドオーシャンを勝ち抜くために、必死になって努力しているわけです。
 論理思考というのは「正解を出す技術」です。私たちは、物心ついた頃から、この「正解を出す技術」を鍛えられてきているわけですが、このような教育があまねく行き渡ったことによって発生しているのは、多くの人が正解に至る世界における「正解のコモディディ化(市場参入時に、高付加価値を持っていた商品の市場価値が低下し、一般的な商品になること)」という問題です。教育の成果という点では、まことご同慶の至りという他ありませんが、個人の知的戦闘能力という点ではこれは大きな問題となります。
 なぜなら、過剰に供給されるものには価値がないからです。経済学では「財の価値」は、需給バランスによって決まることになります。「正解を出せる人」が少なかった時代には、「正解」には高い値札がつけられましたが、これほどまでに「論理思考」などの「正解を出す技術」を普遍化した結果、いまや「正解」は量販店で特売される安物、つまり「コモディティ」に成り下がってしまったわけです。
 これは考えてみれば非常に奇妙な状況です。必死に「論理的かつ理性的」に意思決定する組織能力を高めた結果、皆が同じ職場に集まって消耗戦を戦っているという、まるで囚人のジレンマのような状況に陥っているわけです。
 さて、では「他の人と戦略が同じ」という場合、勝つためには何が必要でしょうか?
 答えは二つしかありません。「スピード」と「コスト」です。実は「論理と理性」に軸足をおいた多くの日本企業が、長いあいだ追求してきたのがまさにこの二つでした。


 僕はこれを読んで、棋士羽生善治さんが、『直感力』という本で仰っていたことを思い出しました。

fujipon.hatenadiary.com


 羽生さんは、「直感」について、こう語っています。

 直感は、本当に何もないところから湧き出してくるわけではない。考えて考えて、あれこれ模索した経験を前提として蓄積させておかねばならない。また、経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある。
 もがき、努力したすべての経験をいわば土壌として、そこからある瞬間、生み出されるものが直感なのだ。それがほとんど無意識の中で行われるようになり、どこまでそれを意図的に行っているのか本人にも分からないようになれば、直感が板についてきたといえるだろう。
 さらに、湧き出たそれを信じることで、直感は初めて有効なものとなる。


 僕などは、「直感」という言葉に対して、ある種の超能力的なイメージを持ってしまうのですが、羽生さんによると、「直感というのは、鍛錬と経験によって、結論に至るまでの時間を短くしていき、瞬時に判断できるようになる能力」ということのようです。
 言ってみれば、「脳のCPUの処理速度を上げていく」ことが、「直感力を磨く」ことになるんですね。
 大昔のパソコンで時間がかっていたことが、いまのパソコンでは一瞬のうちにできるようになっています。
 でも、それはあくまでも「パソコンの性能が上がって、速く処理することが可能になった」だけで、「処理をしないでいきなり結果が出せるようになった」わけではありません。
 「経験」と「直感」は対義語だと思われがちだけれど、「経験」と「思考」がないところには「ヤマ勘」はあっても、「直感」は生まれないのです。

 ちなみに、羽生さんは「直感を磨くには、多様な価値観をもつことだと思う」とも書かれています。
 いろんな考えに触れたり、試行錯誤した結果としての直感でなければ、どうしても選択の幅が狭くなるから、と。
 これは、日頃から「直感」にばかり頼っていては、「直感力」は磨かれない、ということでもあるんですよね。


 コンピュータの進化もあって、論理的思考どうしの競争というのは、まさに「レッドオーシャン」になっています。もう、そこで他者に差をつけるのは、難しくなってしまった。
 そこで、サイエンスでは説明しきれない「直感力」ともいえる「アート」が、これからの差別化のポイントとして注目されているんですね。

 著者は、あまりにも合理的・功利的になってしまい、モラルを見失ってしまった企業経営についても警鐘を鳴らしています。

 以前、DeNAが主催した投資家向けの説明会に参加させてもらったことがあるのですが、事業の起案や投資に関する意思決定は徹頭徹尾、経済的な側面に基づいており、事業の意義やビジョンについては「それが経済的利益に結びつくと考えられる際には作成されるだけで、別に必要ない」とのコメントに慄然とさせられたことがあります。
 システムとしてわかりやすいと言えば、これ以上にわかりやすい仕組みはないわけで、とにかく結果さえ出されば、大手企業に勤めている人が数十年かけて上るようなキャリアの階段を、数年で一挙に駆け上がって高額の報酬を得ることができる仕組みになっているわけです。
 さらに指摘すれば、一見すると人材の交流があまりないように思われる「戦略コンサルティング業界」と「新興ベンチャー業界」ですが、昨今では「新卒で戦略コンサルティング会社に入り、途中から新興ベンチャー企業に転職する」というのは一つのキャリアパターンになりつつあります。
 前章で事例をとりあげたDeNAの創業メンバーのほとんどが、戦略コンサルティング会社の出身者であったことを思い返せば、これらの業界に集まる人たちに共通する「思考の様式」がおわかりいただけると思います。その思考様式とはつまり「社会というシステムの是非を問わず、そのシステムの中で高い得点を取ることだけにしか興味がない」という考え方です。


 こういう「結果を出すためには、手段を選ばない」というのが是とされたがために、DeNAWELQ問題を起こしてしまったのです。
 「美意識を鍛える」というのは、人間として、企業としてのモラルを守る」ことにもつながってくるのです。

 論理思考の普及による「正解のコモディティ化」や「差別化の消失」、あるいは「全地球規模の自己実現欲求市場の誕生」や「システムの変化にルールの整備が追いつかない社会」といった、現在の世界で進行しつつある大きな変化により、これまでの世界で有効に機能してきた「客観的な外部のモノサシ」が、むしろ経営のパフォーマンスを阻害する要因になってきています。
 世界のエリートが必死になって美意識を高めるための取り組みを行っているのは、このような世界において「より高品質の意識決定」を行うために「主観的な内部のモノサシ」を持つためだということです。


 もう「論理的思考」では差がつかなくなった社会では、いかに自分の内面を磨くか、が大事になってきている、ということなんですね。
 「アート」の理解はAIには永遠に実現不可能とは言えないかもしれないけれど、もうしばらくは人間にアドバンテージがありそうですし。
 ただ、これを鍛えるというのは、とても難しいことではありますね。積極的に触れていかないと鍛えられないものであることは間違いないけれど。


fujipon.hatenablog.com

直感力 (PHP新書)

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