琥珀色の戯言

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【読書感想】師弟 棋士たち魂の伝承 ☆☆☆☆

師弟 棋士たち魂の伝承

師弟 棋士たち魂の伝承

内容紹介
「君は、羽生善治を超えるんだよ」
6師弟全13棋士を完全取材した渾身のノンフィクション

将棋の棋士になるには、まず親代わりともいえる師匠を見つけなければならない。
将棋を志した少年と師の運命の出会い、地獄の奨励会時代、プロ棋士として活躍する現在までの共闘を描く。
「師」の多くは昭和から平成を彩った名棋士たち。その名語録は圧巻です。
また、「弟」はいまをときめく人気若手棋士たち。一人の棋士が育つ道のりと、それを支える家族の物語として読める内容となっています。
「師弟」の対談ではなく、一人一人のインタビューを行うことによって、お互いの前では言えなかった本音に溢れた内容となっています。
口絵のカラーと各章には、棋士たちの普段見られない姿や貴重なシーンが満載です。


 将棋界の「師弟」で僕が最初に思い出すのは、故・村山聖九段と彼の師匠であった森信雄七段(2017年に引退)です。


fujipon.hatenadiary.com

 この『聖の青春』のなかに、こんなエピソードが出てきます。

 森は何だかだんだんと馬鹿らしくなってきた。自分の子供でも恋人でもないのだ、どうして心配して部屋を訪ねて廊下で待たされた上に何を言っても無視されなければならないのだろう。
「もう、わし知らん。帰るで」 しびれを切らして森は言った。するとまたごそりとゴミの山が動いた。
「あのー」
 蚊の鳴くような声が聞こえた。
「森先生」
「何や?」
「のり巻きを買ってきていただけませんか?」
「腹、すかしとるんか?」
「はあ」
 村山の声を聞いたとたん、森はなぜか吹き出しそうになってしまった。さっきまでの腹立たしさが、一瞬にしてどこかへ消え去っていた。
 村山はまるで待っていたかのようにのり巻きの種類と、それを売っているコンビニの店まで指定した。「それと」と言って村山はやっとゴミの山から顔を出した。しかし森が蛍光灯の紐を引っ張るとまた慌てて顔を引っこめてしまった。何日も暗闇の中ですごした村山にとって、蛍光灯の光ですら眩しすぎるのだ。
「それと、ミネラルウォーターもお願いします」と村山。
「あんなあ」と森は言った。
「はあ」と村山は答えた。
「どこのや?」
南アルプスの天然水です」
 森は自転車を走らせコンビニに向かった。もう午前2時を過ぎようとしていた。自転車を漕ぎながら森は思った。師匠である自分が何で夜中に買い出しに走り回らなければならないのだろう。しかも、そんなことが平気などころかどこかで喜びさえ感じている自分が、さすがに不思議に思えた。


 村山さんが重い腎臓病を抱えていたとはいえ、17歳も年下の「弟子」に献身的に尽くす森さんに、僕は驚いてしまいました。
 えっ、将棋の「師匠」って、こんなことまでやるの?って。
 実際は、森さんと村山さんの師弟関係というのは、特別なものであったことが、この本を読むとわかります。というか、森さんが、あまりにも面倒見のよい師匠でありすぎた、というのと、だからこそ、村山聖さんは、ギリギリまで将棋を指しつづけることができたのではないか、というのと。


 この本には、その森信雄さんと、弟子のひとりである糸谷哲郎さんも採りあげられているのです。
 

 飲みながら話を始めて、3時間以上が過ぎた。午後10時を過ぎて客も少なくなる。仕事を終えたタクシーの運転手が二人ほど遅い晩酌をしていた。おでんが美味しそうだ。我々も卵と大根、数品を注文する。ダシが染み込んで美味い。女将が「村山(聖)さんも山崎(隆之)さんも、昔はよう食べてくれはったよ」と言った。森に弟子の中で将棋の才能を感じたのは誰かと聞いてみた。
「才能っていうのは、将棋に対する思いみたいなものですかね。ふつう凡人は、飯食ってから将棋をしようとするでしょ。天才はね、食事が将棋なんですよ。将棋が飯だっていう人は、なかなかいない。山崎君は、完全にそういうタイプです。
 村山君はね、才能じゃない。あれは才能を超えたものがあるんだ、将棋に対するね。執念で才能に近いものまで持っていったというか。
 糸谷君は勝ち負けには本来向かないんだよ。何か考えているところが違う。勝負に淡白というか。彼が張り切るというか、刺激されるのは、ライバルが勝ったときです。今、豊島(将之)さんとか稲葉(陽)さんが勝っているから刺激されてる。そんなときは強いんです。でもその辺が調子を落とすと、糸谷君もまた安心してしまう。馬でいうたら、トップに立ったら走らない。前に馬がおったら、パアッと抜くのに。そういうもんなんですよ。
 昔、糸谷君と二人だけで飯食いに行ったときに『先生、僕、コンピュータに負けたら、もう将棋やめますよ』って言うから、これ危ないなと思った。そこで『やめたらあかんで』と言っても意味ないから、あぁ、そうかって聞いていました。何か意識が凄い高いんでしょうね。その何かはわからんけど」


 森はジョッキのビールをグイッと飲むと、深く息を吐いて言葉を続けた。
「やっぱり内弟子は情が入るよねえ。身内だって感じになる。それはしょうがない。本当に腹が立ったけど、今は内弟子だった山崎(隆之)君のことが一番着になるなあ。糸谷君も、僕の目線が村山・山崎に行く、というのは感じとるだろうね。彼とは歳も離れているし、会っていた時期も少ないんで。悪いなあと思うときはありますよ」
 糸谷は森と話していて違うと感じれば、「師匠、お言葉ですけど」と反論してくる。最初は生意気に感じたが、今は素直に言ってくれることを嬉しく思うという。
「一緒にいるとよくわかる。純粋な気持ちで言ってくる。根回しみたいなことは嫌いなんだ。曲げる必要がないことは絶対に曲げないから、人によっては反感を買うこともあるだろうね」
 斜陽産業と発言したのも、真剣に将棋界の未来を考えているから。森にはそんな糸谷の真っ直ぐさが好ましくも危うく映る。
「糸谷君は頭の回転も行動も早い。心も汚れていない。エリート中のエリート。大変やろううね、そういう人間がふつうの社会で生きていくのは」


 森さん自身は、大きなタイトルとは無縁だったのですが、師匠として、11名もの棋士を育てているのです。
 「名選手、必ずしも名監督ならず」というのは、プロ野球をはじめとする多くの世界で言われていることではありますが、森さんは、棋士の師匠としての類まれなる才能を持った人だった、とも言えそうです。棋士たちは、すごい頭脳を持っている一方で、あまりにも純粋、あるいは、あまりにもワガママ、ということが多いので、うまく手綱を握って走らせるのも一苦労みたいです。


 この本のなかには、谷川浩司永世名人が唯一採った弟子である、都成竜馬五段とのエピソードが最初に紹介されています。
 谷川さんは、自身の対局や将棋連盟での仕事が忙しく、なかなか弟子をとる機会も、その意思もなかったそうです。
 その谷川さんが、都成さんを弟子にしたきっかけは、弟子入り希望の手紙にあった、「平成2年1月17日」という都成さんの誕生日でした。
 1月17日は、阪神淡路大震災が起こった日で、谷川さん自身も神戸の自宅で被災しています。
 その日付を誕生日に持つ子どもに、谷川さんは、何らかの縁を感じたのです。

「あの頃の自分に会ったら、𠮟ってやりたいです」。都成竜馬は手紙の束を見つめて言う。もう14、5年前のものになる。綺麗に封を切られた封筒、折り目が乱れることなく残された和紙。手紙を開くと、綴られた文字は今も瑞々しい。

 今年は都成君にとって勝負の年になると思います。奨励会に入って一年四カ月、この間本当にしっかり勉強していたかどうか。今年結果を出せないと、都成君が棋士に向いているかどうかを真面目に考えなければいけないと思っています。お正月から厳しい言葉ばかりならべてしまいましたが、ほかの人の二倍も三倍も勉強するという気持ちで頑張りましょう。ご両親にはくれぐれもよろしくと伝えてください。   谷川浩司


 将棋の世界で弟子を採ることは、一人の子どもの人生を預かることに等しい。プロ棋士の養成機関である奨励会を受験するのは、将棋連盟に所属する棋士の門下に入らなければならない。奨励会の試験は毎年一度行われ、全国から「天才」と呼ばれた子どもたちが集まる。合格率は約3割。しかし、本当に厳しいのは入会後にプロになるまでの過程である。奨励会に合格した子どもの約8割が、年齢制限までに規定の段位に達することができないか、自分の才能に限界を感じて辞めていく。プロになれる者でも、平均8年はかかる。彼らは10代の青春のほとんどを、将棋の修行に捧げる。
 手紙は、都成竜馬が小学五年で谷川浩司に弟子入りした後、数年間にわたってやりとりされたものだ。当時、都成は奨励会の対局のために、実家のある宮崎から大阪の将棋会館へ飛行機で月に2回通っていた。谷川は勉強のために、そこで指した将棋の記録を送らせて指導添削を加えて返信、そして自筆の手紙を添えた。地方に住む子は、東京や大阪の子に比べて、仲間と将棋の研究をする機会に恵まれない。谷川の住まいは神戸にある。遠く離れた弟子のために、そのハンデを少しでも補ってあげようとした。

 本を送りますので、読んで勉強してください。成績が良くないようですが、とにかく対局のときは自信を持って臨む事。それが実力を100%出すことにつながってゆくはずです。


 あの谷川永世名人が、ひとりの弟子のために、棋譜を添削して、手紙まで書いて励ましていたのか……
 谷川さんは「報酬なし」で、こうして、都成さんを見守りつづけていたのです。
 しかしながら、弟子はなかなか奨励会で結果を出せませんでした。
「あの谷川浩司の唯一の弟子」というのは、励みになるとともに、大きなプレッシャーにもなっていたはずです。
 それでも、都成さんは、年齢制限ギリギリで四段となり、プロ棋士としてデビューすることができました。
 谷川さんにはじめて会ってから、16年が経っていたそうです。

 
 この本を読んでいると、師弟の深い結びつきとともに、コンピュータによって変わってきている世の中と将棋界のなかで、師匠と弟子との世代間のギャップが大きくなっていることも痛感します。


 森下卓九段(師匠)と増田康宏六段(弟子)の項より。

 森下は増田が三段に上がって、一緒の研究会を終わりにした。「技術面で私が教えることはなくなりました。もっと強い人と指すべきだと思ったのです」。ただ、増田の勝負所での気持ちの弱さが気になった。
 森下はこの頃、増田に記録係をやることを勧めた。
「将棋の勉強というだけでなく、記録係は集中力、忍耐力を養う特効薬なんです。長い対局は12時間以上かかります。ずっと正座をして、盤から目を離さずにいるというのは、かなり辛い。それを奨励会時代にしっかりやっておけば、プロになってからどんな長時間の対局でも乗り切れる根性が身につくのです」
 しかし、増田は一度も自ら記録係を申し出ることはなかった。


 増田が森下の指導に従わなかったのは、ただ反発していたわけではない。それまで経験したことのない壁に当たり、不安のなかで自分なりに打開する道を探っていた。
「師匠にはよく記録係をやるように言われました。精神的に鍛えられるからやりなさいと。でも、どうして必要なのか、わからなかったのです。勉強という意味では、今は棋譜をデータで調べられますし、対局も中継で観ることができます。それに精神修行をしているよりも、目の前の対局に勝つために、研究する時間の方が欲しかった」
 確かに増田の意見は理にかなっている。一方で、森下が伝えたい精神論もわかる。技術の習得には、コンピュータを使った合理的な方法が有効だ。だが将棋を指すのは人間であり、体力や感情、思考力といった総合的な能力が求められる。「体で鍛えた将棋」という言葉があるが、”将棋ではなく勝負”という部分において、心身の鍛錬が大きいことを森下は伝えたかったのだろう。
 ただ若さと才能を持った増田は、今は精神的鍛錬よりも、技術的強さを求める気持ちの方が強い。
「記録係を断っていたので、師匠からは根性がないと思われていたようです。深浦康市九段(森下の弟弟子で、熱血漢の棋士)と比較して『増田に深浦の根性の十分の一でもあれば、タイトルを獲れる』と三段時代から人伝てに聞いていたので、納得いかないものがありました。僕は読みの深さで勝負する自身があるので、時間の長い将棋は歓迎なんです。正直、記録係の件に関しては、師匠の考え方は古いと思います」


 記録係として、半日も緊張しながら、その一局だけをみているより、コンピュータを使っての研究のほうが時間を有効に使えるのではないか、というのは、確かにその通りなのでしょう。
 でも、師匠は自分が記録係として苦労しながら実力をつけてきた、と考えているので、同じ方法を弟子に勧めているのです。
 コンピュータやネットを使っての研究には慣れていないので、その効果は実感できないし、人にも薦められない。
 ただ、本当はどちらが正しいのか、というのは、なかなか難しいところではあります。
 実際の対局、ときに大きなタイトル戦が何時間も対面で緊張感のなか行われることを考えると、記録係もそれなりに意義はあるでしょうし。
 「そんな割に合わないことは、やりたくない」という増田さんの気持ちはよくわかるし、僕も同じ立場だったら敬遠するとは思うんですけどね。
 そういうときに、師匠の言葉だからと鵜呑みにせずに自分のやり方を貫けるくらいじゃないと、棋士として上には行けないのかもしれません。

 この本、将棋の世界に限らず、誰かの上司や指導者になる人にとっては、すごく勉強になると思います。
 師匠が弟子に対して「教えるべきこと」「指導するべきこと」と、「押しつけてはいけないこと」を考えさせられるのです。
 自分より有能な部下や弟子っていうのは、お互いにとって、けっこうやりづらいものではありますし。


将棋の子 (講談社文庫)

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聖の青春

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中学生棋士 (角川新書)

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