- 作者: 三好範英
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内容紹介
アフリカからの難民をイタリアが堂々と受け入れ拒否し、EU内では政権参加するポピュリズム政党が増加、ロシアの軍事的脅威には徴兵制復活の動きで対抗する……。ギリシャの共通通貨ユーロ離脱は一応回避し、外からは一見、落ち着きを取り戻したかのように思える欧州。だが、エリートたちが懸命に目指そうとする理想とは裏腹に、普通の人々の生活レベルでの不満は鬱積し、むしろ深化していた――。9年半のベルリン特派員経験を持つ著者が、緊張の現場を丹念に取材。米・英に続く、ヨーロッパの「本音化」というべき現象が、EUの協調を崩し、世界の衝突の震源地となる!
移民排斥の動きやギリシアの経済危機、イギリスのEU離脱など、EUは揺らぎ続けています。
第二次世界大戦後、少なくとも加盟国間での戦争はなかった、という大きな功績がある一方で、経済格差や地理的な移民問題への温度差もあり、次第に、同床異夢、という状況になってきているのです。
2008年の世界金融危機を発端とし、2009年から10年近く続くユーロ危機によってユーロ域内の不均衡は拡大し、2015年から本格化した難民の大量流入によって、治安や文化喪失(identity crisis)への不安は増大している。
普通の人々は、エリートが享受するようにはグローバル化の恩恵に浴することはできない。かつての手厚い福祉からも見放された、いわゆる「忘れられた人々」、あるいは「声なき声」にとって、生活悪化、不安の一番の原因は、勝手にグローバル化を推し進める組織としてのEU、それを主導する政治経済エリート、ジャーナリストである。
左右ポピュリズムとも、解決の道を国家機能の強化に求める。右派はユーロの解体による国民経済の再建や移民・難民受け入れの制限を主張し、左派は社会政策による貧富の格差の解消を求める。ポピュリズムがナショナリズムと結びつきやすいのは、反グローバル化がその核にある以上、自然なことだろう。
右派ポピュリズムの政策には、極端な排外主義や、法の支配や多元主義という先進社会の基盤を掘り崩す危険性、左派の社会的平等を求める政策は、単なるばらまき政策に陥る危険性がある。
しかし、ポピュリズムを無責任な大衆が、扇動的な政治家に操られて起きている一過性の現象と見ると、今ヨーロッパで起きていることの本質を見失う。ユーロ危機と難民危機に直面した市井の人々が取っている、防衛的な異議申し立てと見た方が本質を突いている。先進国の政治の役割を人々の現実の必要にこたえるプロセスとするならば、ポピュリズムはむしろ既成政党よりも素直に民意をくみ上げる機能を果たしているとも言える。ヨーロッパの多くの国で中道右派、左派の既成政党が没落したのも故無しとしない。危機がすぐには解決できない性格のものである以上、その危機に根ざしたポピュリズム現象も当面続くと見なければならない。
この本は、著者が2017年9月に約3週間、ヨーロッパ各地で取材したことを基に書かれています。
ヨーロッパ各国の人々は「ポピュリストに騙されている」というよりは、自分たちの現実の生活のなかで、グローバル化というものから受けている恩恵よりも不安を強く感じていて、その結果として、移民排斥や排外主義の立場をとるようになっている、ということなんですよね。
もちろん、グローバル化によって、安い製品を買うことができる、というようなメリットもあるのですが、仕事を失ったり、地域の風習や生活習慣が変わっていったりすることへの恐怖感のほうが、ずっと上回っているのです。
経済的な「勝ち組」としてEUを牽引しているドイツも、近年は、理想と現実とのギャップに苦しんでいます。
著者は、難民認定を待つ人々が滞在する「仮宿泊所」の一つを訪問し、そこで、事務局長のアンドレア・コッペルマンさんに取材しています。
コッペルマンは話を続けた。そして、棲み分けはダメ、という考え方を述べる。
「『仮宿泊所』は3、4家族が一つの部屋に住む。一人で来た人は12〜13人で一つの部屋に住む。個室はない。手洗いは共同。
宿泊所によっては出身国が同じ人々が集まっているところもある。我々は200床と小規模なので、職員と難民の間、難民相互の関係も非常に近い。彼らは戦争や排外主義があるところから逃げてきた。だからここでは排外主義を許さない(笑)。排外主義を除去するように試みている。
我々はイラン人、イラク人、エリトリア人だろうと、誰であろうと歓迎だ。誰でも歓迎だから多くの人がドイツに来る。ドイツがリベラルな国であるという希望を持って多くの民族がやってきている。それ故、戦争をしていた相手の民族に対する排外主義は、戦場を離れれば忘れるべきだ。それが難しいことは知っている。
音がうるさい、午前3時まで電話をする、汚い、ゴミを下に持っていかない、といった理由で部屋替えを要求することは認められる。しかし、同じ部屋の人間が『間違った国』から来た、イラク人だからいやだ、という理由で替えることは認められない」
日本であれば、仮に同じような条件で難民を受け入れねばならないとしたら、違う民族、宗教の集団を同じ部屋に収容することは避けるだろう。それが、ほぼ確実にトラブルを生み出すことが予測できるからだ。実際、ドイツメディアも収容所内での違う民族、宗教集団間の暴力行為の頻発を報道している。
ドイツは、「リベラルな国」であるということを、難民どうしの関係にも貫こうとしているのです。
著者は、実際の施設の運用においては、「民族間の差別感情」での部屋の移動は許さないけれど、「音がうるさい、とか、生活習慣が違ってやりにくい」というような理由をつけて、棲み分けをしているところもあるのではないか、と述べています。
ドイツは「難民受け入れに寛容であること」「多様性を重んじること」という「建前」を守らなければならず、難民にもドイツに住むためには、「建前」に従うことを求めています。でも、現実の難民たちは、戦争をしていた相手国の人々に対して、好意的に接することができない。まあ、それはそうだろうなあ、と思うのです。
誰でも受け入れてくれる、仕事に就ける可能性があるドイツだからこそ、難民は集まってくるのだけれど、その「誰でも」には、個々の難民にとって、自分と相容れない人々が含まれていることが少なくない。
もともとドイツにいた人々としては、「せっかく受け入れて、差別をしないように『啓蒙』しているのに、他所の国にまで来て、徒党を組んで暴力行為を行うなんて、言語道断」と感じるはず。
「こっちに来てまで喧嘩するくらいなら、来るなよ……」というのが、本音ですよね。
安い労働力が必要な会社経営者や自分の生活に余裕があるエリート層は理想を貫けても、自分が生きていくのに精いっぱいの人々にとっては、難民によって仕事が奪われたり、社会福祉に使われるはずの費用が目減りしたり、難民のほうが優先されたりすると感じることばかり。
ナチス時代の苦い経験から、ドイツは「建前を厳守する国」としてやってきたけれど、もう、それも限界に近いのかもしれません。
ドイツは、1950年代からガストアルバイターという形で、労働者を受け入れ、彼らの多くがドイツに定住するに及んで、2000年代初めには自国を移民国家と定義した。またこの間、幾度かの難民流入の波も経験し、2015年以来、140万人超の難民を受け入れた。
ドイツ国民は今、しきりに、自分たちが考えてきたようなドイツであり続けることができるのか、国の形が変わってしまうのではないか、と問うている。2015年のメルケルの難民大量受け入れ決断は、ドイツ人自身がアイデンティティーを自問するところまできてしまった。
シュピーゲル誌(2018年4月14日号)の表紙には、「これはまだ私の国か」との言葉とともに、ドイツの民家の庭によく置いてある庭の小人(Gartenzwerg)という人形(多くは陶製)が描かれている。「庭の小人」は頭にかぶっている赤い縁なし帽子で顔の半分を覆い、不安そうに片目だけで見つめている。
普通のドイツ人の姿を象徴する「庭の小人」がこれまで築いてきた平和な日常世界である庭から、難民問題などで揺れる外の世界を見つめ、「これはまだ私の国か」とつぶやいている、という図である。
この記事によると、「移民を背景(バックグラウンド)に持つ人(本人か、両親のうち少なくとも一方がドイツ国籍を有さないで生まれた人)」の割合は22.5%(2016年)だが、都市部ではされに割合が高い。フランクフルトでの割合は45.3%、シュトゥットガルト40.9%、ミュンヘン39.4%、ベルリン28.0%となっている。
内なる異邦人の割合は、出生率の違いにより今後も増大していく。
特に出生率の違いについて、移民を背景に持たない女性(我々がイメージするドイツ人女性だろう)の出生率は1.2なのに対して、移民を背景に持つ女性の中でも、自分自身でドイツにやってきた人(移民・難民としてドイツにやってきた女性だろう)の出生率は1.6とかなり高いことを指摘している。移民を背景に持つ人口は、5歳未満では38%に達する。
シュピーゲル誌は「人々は自分の故郷が10年、20年、30年先にどうなっているのか問うている」と書いている。数十年後にはもはや我々がイメージするドイツ人、ドイツの風景はまったく変わっているかもしれない。
ベルリンの基礎学校(Grundschule=日本の小学校に当たる)で、家庭でドイツ語が話されていない生徒の割合は43%、ブレーメン市で41%、ハンブルク市で22%に達する(もっとも、バイエルン州では11%、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州では4%と低い)。
日本にも海外からの労働者が増えているとはいえ、一部の地域を除けば、ここまでの割合を占めてはいません。「移民を積極的に受け入れよう」「みんな同じ人間じゃないか」と言うのは簡単だけれど、「言葉がわからない人々」どうしというのは、どうしても理解しあうのが難しくなるんですよね。
「グローバル化」は当然のことで、好むと好まざるとにかかわらず、受け入れていくしかない、とは言うけれど、自分たちの「暮らしやすさ」が失われていくのを、手をこまねいて見ているだけというのは、いたたまれない。
ドイツについて書かれたところばかり紹介しましたが、著者は、ロシアに対する近隣国の警戒感や、「緊縮」を要求され、閉塞感に覆われているギリシア、最前線で難民船に対応する警備隊など、さまざまな「ヨーロッパの人々の本音」を取材しています。
グローバリズムを推進している人たちは、それが正しいから、というよりは、それによって、自分が得とする立場だというだけではないのか?
それでも、局所的な反グローバリズムが、その地域の市井の人々を幸せにするとは限らないし、中世に時計の針を戻すわけにもいかないのです。
「模範解答」が、どこかにあれば良いのだけれど、現実って、本当に難しい。
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