琥珀色の戯言

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【読書感想】町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう ☆☆☆

町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう (角川文庫)

町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう (角川文庫)


Kindle版もあります。

内容紹介
町中華というジャンルをぶちあげた記念碑的書籍が書き下ろしを加え文庫化!

聞けば誰しも「あんな店のことね」と頭に浮かぶ「町中華」。
しかしその「町中華」とは、一体なんなんだ!?
町中華ブーム」のきっかけとなった一冊が書き下ろしを加え文庫化!

ことさら美味いからというわけでもないのになぜか愛着がある「町中華」。
しかし最近、数が減っている?
いつのまにか「町中華」は絶滅危惧種になっていた。

誰かが記録しなければ忘れ去られる味と店がある。
昭和の古きよき食文化をレポる、「町中華探検隊」が結成された!
定義はなにか、どう遊べば楽しいか。
隊長の北尾トロをはじめ、独自のスタイルで町中華探訪を繰り返す隊の面々。
店主の話を聞き、メニューに思いを馳せ……。
数々の店を訪れ見えてきたのは、戦後日本の食文化の歴史だった。

美味さだけじゃない、エンタメと人生がここにある。
異色の食レポエッセイ。


町中華」って、ご存知ですか?
僕はこの本を書店で見かけて、そういう言葉が使われていることをはじめて知りました。
その定義を聞いて、「ああ、そういう店、あるある!僕が子どもの頃(30~40年前)に家族で出かけて、チャーハンを僕が食べている横で、父親が「ここのニラレバ炒めはおいしい」とか言いながら、ビールを飲んていた店があったなあ、あの店、いま、どうしているだろう?と、子どもの頃のことをたくさん思い出したのです。

あの店、もう名前も思い出せないけれど、いまも営業しているのだろうか。

僕が住んでいる地方都市の郊外では、そういう店を見かけることは少ないし、なかなか入る機会もないんですけどね。
僕は、そういう店の味は好きでも、「親密すぎる人間関係や接客」が苦手なので、とりあえずリスクが低そうなチェーン店に入ってしまいます。


この本は、「町中華探検隊」の中核メンバーである北尾トロさん、下関マグロさん、竜超さんの共著なのですが、北尾さんは2015年に、「町中華」をこのように定義しています。

「昭和以前から営業し、1000円以内で満腹になれる庶民的な中華店。単品料理主体や、ラーメンなどに特化した専門店と異なり、麺類、飯類、定食など多彩な味を提供する。カレーやカツ丼、オムライスを備える店も。大規模チェーン店と違ってマニュアルは存在せず、店主の人柄や味の傾向もはっきりあらわれる」

 
 そして、町中華探検隊はこうだ。


「減りゆく町中華を記録、記憶することを目的とし、食にとどまらず、その面白さを多面的にとらえて後世に伝える活動をする親睦団体」


 読者は、なんだかぼんやりしているなと思うかもしれない。ぼくも、できることならビシッと固めたいし、わかりやすいと言われたい。
 できないのである。


 この本を手にとったときは、そういう「町中華」のガイドブック的なものかと思ったんですよ。
 もちろん東京近辺のいろんな店の話題は出てくるのですが、この本の場合は、店のガイドブックというよりは、「町中華探検隊」の活動記録と考えたほうがよさそうです。
 中華料理店なのに、カレーやカツ丼、オムライスがある。でも、「ラーメンもある定食屋」ではなくて、中華料理が主体なのが「町中華」なのだと思うのですが、確かに、キッチリ定義するのは難しい。
 僕が小学校高学年から住んでいる九州北部の場合は、とんこつラーメンに気合を入れている店が多くて、替え玉という麺だけを追加で注文できるシステムがあるので、ラーメン単品、あるいはラーメンと餃子、チャーハンでメニューが完結してしまいがちで、「町中華」はかなり少ないのではないかと感じました。
 定義に曖昧なところがあっても、とにかく懐かしくなってくるのだよなあ、この「町中華」って。

 以前、イラストレーターをしているあきやまみみこという餃子マニアの女性隊員が探検隊ブログに、町中華の本質を突いた”金言”を綴ったことがある。餃子がイチオシの店で自慢の一品を食べたときの感想だ。
「普通においしいけど、お店を出たら忘れちゃう味かなぁー」
 そうそう、そうなんだよ。食べた瞬間に「あ、うまい」と思わされるレベルの料理には割と出くわすんだけど、脳にしっかり刻まれて「また行きたい」と思わされるほどの美味に出会えるチャンスとなると皆無に近いのだ。店を出て数分すると「あれ?どんな味だったっけ?」となり、生活圏内にある店とかでもない限り、再来店する可能性は極めて低い。
 町中華メニューのうまさというのは、あくまでも”並レベルのうまさ”なのである。決してまずくはないけど、絶賛するほどうまいわけでもない。端的に言うなら、可もなく不可もない。これが町中華なのだ。こういう店が、おそらく全体の9割(残り1割は、並はずれてうまい店とまずい店)を占めている、とボクは睨んでいる。

 前のパートで地雷店のことを少し茶化してしまったが、実はボクはそういうトコに通うのもけっこう好きで、行きつけ店の中にも何軒か入っているのだ。 
 中央線の某駅近くにある某店は、なにがまずいってライスがまずい。まずいというか臭いのだ。ちょっとした異臭、と言ってもいいレベルで、どっかで捨てられてた米を拾ってきて使ってるんじゃないかとマジで疑ったくらいである。
 この話をマグロさんにしたら「たぶんジャーの中で長時間加熱保存されてるせいでしょう」と言われた。でも、その店は何時に行ってもそこそこの客がいて、炊いたご飯はすぐに使い切ってしまいそうなのである。にもかかわらず、いつ行っても臭い。安定的に臭い。で、あまりに不思議なのでつい定期的に確認しに行ってしまうのだ。そこには「ダメな子ほど可愛い」的な想いも含まれているのかもしれない。ことによったらあの店は、ボクと同種の愛情を抱く常連たちが支えてるんじゃないだろうか。
 こういう「まずいのに多くの人から愛されてる店」のことを、ボクは「ステキなひどい店」と呼んでいる。


 「ライスが臭い」というのは、飲食店としては致命的な欠陥だと思うのですが、それでも、この店は続いていて、それなりにお客さんもいるのです。
 なんで?と感じつつも、僕自身、「そんなに美味しいわけでも、ものすごく安いわけではないけれど、なんとなく居心地が良い店」っていうのはあるんですよね。
 美味しくて流行っている店は、混んでいたり、あわただしい雰囲気だったりすることが多いですし。

 町中華を食べ歩いていると、開業時に三つのパターンがあることに気がつく。(1)数は少ないが戦前からやっているところ、(2)戦後の1950年から55年、(3)1970年から75年に開店したところである。とくに(2)と(3)が多く、これらの時代に町中華はぐんぐん数を増やしていったと考えられる。店舗数のピークは、おそらく1975年から、1989年に昭和が幕を閉じるまでの期間ではないだろうか。

 この、店舗数がピークの時期に、僕は子どもや学生として、町中華を体験してきたのです。

 マグロとふたりの探検隊の活動で小上がりに座った最初の店は、御徒町おかげ横丁にある『今むら』だったと思う。中華とトンカツが売りの店だ。狭い店内の奥に畳席があるのを発見すると、ぼくはそこにどうしても座りたくなってしまった。長居する構えだからか、ぼくは小上がりに陣取ると店主や女将さんにあれこれ話しかける傾向がある。そのとき、終戦直後の闇市時代から現在に至る店の歴史を聞き、ぼくは衝撃を受けた。なぜ中華屋をと質問したら、女将さんはこんなふうに答えたのだ。
「こういう店をしたいとか考える余裕はなかったですよ。どうやって食べていくかが第一でした。最初はあるルートで仕入れたモツの煮込みを売ってたのよ。食糧難の時代だから飛ぶように売れてね、そのうち今度はラーメンがはやるとなって中華もやるようになったの。トンカツもそう。だから、うちは中華屋になりたかったんじゃなくて、だんだん中華屋になっていった店なのよ」
 町中華で食事をすることは、その店の歴史も一緒に食べることなんだと思った。


 「中華屋を目指したわけではなくて、自分たちが生活していくためにいろんなものを取り入れていくうちに、中華屋になってしまった」
 ああ、これぞ「昭和の生きざま」だなあ、と思うのです。
 こうして「町中華」という言葉がちょっとした流行になっている一方で、「町中華」は、店主の高齢化やチェーン店との競合に勝てなくなったことで、次々と店を閉めているのです。
 「もう、食べるにも記録するにもあまり時間がない」と、著者たちは繰り返しています。

 とはいえ、「わざわざ計画を立てて食べにいくほどのこともないかな」と考えこんでしまうのも、「町中華らしさ」ではありますよね。


fujipon.hatenadiary.com

関西の町中華 (ぴあMOOK関西)

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散歩の達人 2018年 01 月号 [雑誌]

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