- 作者: 内田洋子
- 出版社/メーカー: 方丈社
- 発売日: 2018/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容(「BOOK」データベースより)
イタリア、トスカーナの山深い村から、本を担いで旅に出た人たちがいた。ダンテ、活版印刷、禁断の書、ヘミングウェイ。本と本屋の原点がそこにある。
リアル書店がどんどん減っていき、Amazonをはじめとするネット書店やKindleが一般的になった現在からみると、「本の行商」というのは、なんだかちょっと信じがたい感じがするのです。
そもそも、本というのはそれなりに高価ではあるものの、かさばるし、そんなにたくさん売れるとも思えない。人によって、好みが分かれるものではありますし。
ところが、この内田洋子さんが現地に行き、地元の人たちと交流を深めながら書いた文章を読むと、とにかく、本から新しいことを知りたい、と渇望する人々や、本という知識の源を行商することに誇りをもって家業としてきた人々の姿が頭に浮かんでくるんですよね。
形式は変われど、人間の「知りたい」という欲求は、今も昔も変わらないみたいです。
いつか読もう、と積んだまま忘れられている本はないだろうか。
ある日ふと読み始めてみると、面白くてページを繰る手が止まらない。玉手箱の中から、次々と宝物が飛び出してくるような。
モンテレッジォ村は、そういう本のようだ。本棚の端で、手に取られるのと静かに待っている。薦めてくれたのは、ヴェネツィアの古書店だった。とても居心地の良い店である。寡黙で穏やかな店主はまだ若いのに、客たちの小難しい注文を疎まずに聞き、頼まれた本は必ず見つけ出してくる。
<ただ者ではないな>
店主と客たちの本を介したやりとりに魅かれ、買わなくても寄る。たいした棚揃えに感嘆し、修業先を尋ねると、
「代々、本の行商人でしたので」
根を辿ると、トスカーナ州のモンテレッジォという山村に原点があるという。
「何世紀にも亘り、その村の人たちは本の行商で生計を立ててきたのです。今でも毎夏、村では本祭りが開かれていますよ」
驚いた。
籠いっぱいの本を担いで、イタリアじゅうを旅した行商人たちがいただなんて。そのおかげで各地に書店が生まれ、<読むということ>が広まったのだと知った。
なぜ山の住人が食材や日用品ではなく、本を売り歩くようになったのだろう。
矢も盾もたまらず、村に向かった。
実に遠かった。鉄道は果て、その先の石橋を渡り、山に登り、人に会い、古びたアルバムを捲って、山間の食堂で食べ、藪を歩き、教会の鐘の音に震え、川辺の宿に泊まった。
見知らぬイタリアが、そこここに埋もれていた。
ヴェネツィアの書店主から、出身地であるモンテレッジォの話を聞き、そこに行かずにはいられなくなってしまった内田さん。
この本と読んでいると、モンテレッジォの魅力とともに、自分たちの先祖や故郷に誇りを持ち、語り継いでいるイタリアの人々に驚かされるのです。
日本でも、昔からある商店や旅館、伝統工芸の世界では、そういう「引き継ぎ」がなされているのかもしれませんが、モンテレッジォにルーツを持つ有志たちは、無償で、著者の道案内をし、大事にしてきた祖先の話をしてくれています。
『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさんが描いていたイタリアの家族のことを思い出しました。
(ヤマザキさんの夫はイタリア人の研究者なのです)
内田さんは、モンテレッジォをはじめて訪れたときのことを、こんなふうに書いているのです。
折れて、曲がって。奥へ、上へ。
車から降りて、ふらついた。山頂だと思ったそこは、モンテレッジォの入り口だった。古い教会と塔が静かに建っている。冬の陽が降り注ぐ。そして三百六十度、山。
どうです、と、ジャコモとマッシミリアーノは、腕を組んで満面の笑みである。
風が緩やかに山の下方から吹き上り、抜けていく。車を停めたのは村の広場だった。さほど大きくはない四角い広場には、椅子が太陽に向って、四、五脚ほど無造作に置いてある。
座ると、大きな白い大理石の石碑と正面から向き合った。
彫られているのは、籠を肩に担いだ男である。籠には、外に溢れ落ちんばかりの本が積み入れてある。男は強い眼差しで前を向き、一冊の本を開き持っている。ズボンの裾を膝まで手繰り上げて、剥き出しになった脹脛(ふくらはぎ)には隆々と筋肉が盛り上がり、踏み出す一歩は重く力強い。頭上にはツバメが二羽、男に添うように飛んでいる。
<この山に生まれ育ち、その意気を運び伝えた、倹しくも雄々しかった本の行商人たちに捧ぐ>
碑文に、言葉を失う。
石碑の後ろで、教会と塔が見ている。
モンテレッジォの現在の様子は写真でも紹介されているのですが、本当に「山の中の小さな集落」なんですよ。
今は、定住している人も少ないのです。
なぜ、こんなところの人々が、本の行商をしようと思ったのか?
僕はすごく疑問でした。
著者が話を聞いた村の出身者によると、モンテレッジォの人々は、もともとは「腕力」を売っていた、つまり、「肉体労働」の出稼ぎに行っていました。
それが、どんどん仕事が減っていき、山間の村なので、他所で売れるような特産物もない、ということで選ばれたのが「本」でした。
ノウハウを身につけるまでは大変だったようなのですが、本の行商は、だんだん軌道にのっていったのです。
モンテレッジォは山間の小さな村だったからこそ、行商人たちは、訪れる先の似たような境遇の小さな村の人々のニーズをイメージしやすかったそうです。
村勢調査によれば、1858年時のモンテレッジォの人口850人のうち71人が、<職業は本売り>と記載されている。
どのような旅だったのだろう。
五十年ほど前に村人たちからの聞き取りで、1800年代後半から1900年代前半にかけての行商の様子が記録に残されている。春が訪れると、本の行商人たちは同じ日に全員が揃って村を発ちました。海側のラ・スペツィアから北イタリアの平野部ピアチェンッツァを抜けて、ミラノ、ヴェローナへと続く峠道の決まった地点に、本の行商人たちが集合するのです。
1920年5月14日。私は、やっと六歳。行商人たちを見送ろうと、他の子供たちと広場の隅に座っていました。父を含む大勢の村の男たちは、露店を広げる場所がかち合わないように、各自の行き先を念入りに振り分けました。売れ行きの良い本の題名を教え合い、それぞれ仕入れに行く出版社名を確かめていました。
私は、その光景に見とれました。格好良かった。頑丈な靴で足元を固め、地味な色の服を着て質素で、全員が本の包みを自分の脇にしっかりと引き寄せて置いていました。持ち物はそれだけでした。本が父たちの宝物だったのです。
各自の商い場所が決まると、男たちは荷物を担ぎ、握手を交わし、ちょっと冗談を言い合ってから、「じゃあ」と、手を上げてそれぞれの目的地へ向かって黙々と歩き始めたのでした。
峠道で別れた後、本の行商人たちはどこへ向ったのか。大半が、中央から北イタリアの町を目指したという。行商人たちは、ラクイラから南へは行きませんでした。最初のうちはどんどん南下してローマまで行ったのですが、読み書きのできる人が全然いなかった。本は全く売れませんでした。ちなみに当時、一番売れた町は、ボローニャでした。
これを読むだけで、当時のイタリアの文化的な地域差がうかがわれます。
ボローニャか……有名な大学もあるものなあ。
村では、本の行商人の子供のことを<本箱の中で生まれ育った>と言う。多くの母親たちは赤ん坊を連れて、夫といっしょに本を売っていたからだ。
「パンと本を食べて育ったようなものでした。両親は食卓でも、人気作家たちの新作や未回収の月賦などを話していたからです」
行商人の一人は回想する。
寝ても覚めても本だった。本を読むことが好きで選んだ道ではなく、本を待つ人たちのために本屋になったのである。村人は、本を届ける職人だった。
面白いのは、「本を読むことが好きな人が、必ずしもお客さんに本をすすめて売るのが上手なわけではなかった」ということです。
いまの書店でも、同じなのかもしれないけれど。
売り方、読まれ方のかたちは変われど、これからもずっと、多くの人々が「本」を求めつづけるのだろうな、と思えてくる、そんな一冊です。
- 作者: 内田洋子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/03/08
- メディア: 文庫
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