琥珀色の戯言

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【読書感想】死に山: 世界一不気味な遭難事故 ☆☆☆☆

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

内容(「BOOK」データベースより)
一九五九年、冷戦下のソ連ウラル山脈で起きた遭難事故。登山チーム九名はテントから一キロ半ほども離れた場所で、この世のものとは思えない凄惨な死に様で発見された。氷点下の中で衣服をろくに着けておらず、全員が靴を履いていない。三人は頭蓋骨折などの重傷、女性メンバーの一人は舌を喪失。遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出された。最終報告書は「未知の不可抗力によって死亡」と語るのみ―。地元住民に「死に山」と名づけられ、事件から五〇年を経てもなおインターネットを席巻、われわれを翻弄しつづけるこの事件に、アメリカ人ドキュメンタリー映画作家が挑む。彼が到達した驚くべき結末とは…!


 半世紀以上も未解決のままのソ連の「謎の遭難事故」をアメリカのドキュメンタリー作家が追ったノンフィクションです。
 この『ディアトロフ峠事件』のきっかけは、当時としては珍しくもない、アウトドア好きの冒険心に富んだ若い9人の男女によるトレッキングでした。

 まずは事実だけを述べてみよう。1959年初めの冬、ウラル工科大学(現ウラル州立工科大学)の学生と卒業してまもないOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山に登るためにスヴェルドロフスク市(エカテリンブルクソ連時代の名称)を出発した。全員が長距離スキーや登山で経験を積んでいたが、季節的な条件からして、グループがとったルートは難易度にして第三度、すなわちもっとも困難なルートと評価されていた。出発して10日後の2月1日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営して夜を過ごそうとした。ところが、その夜なにかが起こってメンバーは全員テントを飛び出し、厳寒の暗闇に逃げていった。一行が戻ってこなかったため、三週間近くたってから捜索隊が送り込まれた。テントは見つかったが、最初のうちはメンバーの形跡はまったく見当たらなかった。最終的に、遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれべつべつの場所で、氷点下の季節だというのにろくに服も着ていなかった。雪のなかにうつ伏せに倒れている者もいれば、胎児のように丸まっている者も、また谷底で抱きあって死んでいる者もいた。ほぼ全員が靴を履いていなかった。
 遺体の回収後に検死がおこなわれたが、その結果は不可解だった。九人のうち六人の死因は低体温症だったが、残る三人は頭蓋骨折などの重い外傷によって死亡していた。また事件簿によると、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに、遺体の着衣について汚染物質検査をおこなったところ、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出されたという。
 捜査の終了後、当局はホラチャフリ山とその周辺を三年間立入禁止とした。主任捜査官を務めたレフ・イヴァノフの最終報告書には、トレッカーたちは「未知の不可抗力」によって死亡したと書かれている。以後の科学技術の進歩にもかかわらず、50年以上たったいまでも、この事件の原因を語る言葉はこのあいまいな表現以外にないのだ。


 「ひとりは舌がなくなっていた」なんていうのを読むと、ホラー映画みたいに、冬の雪山に猟奇殺人鬼が出現したのか?などという想像もしてしまうのですが、状況証拠や遺物を検証しても、「なぜこんなことが起こったのか」わからないまま、時間だけが過ぎていったのです。
 ロシアでは、これまで、この事件を扱った本が多数出版されてきたそうですが、いまだに誰もが納得できるような結論は出ていません。
 「雪崩、吹雪、殺人、放射線被爆、脱獄囚の攻撃、衝撃波または爆発によるショック死、放射性廃棄物による死、UFO、宇宙人、狂暴な熊、異常な冬の竜巻などなど。強烈な密造酒を飲んで、ただちに失明したせいだという説まである」とのことです。
 最近20年間では、最高機密のミサイルの発射実験を目撃したために殺されたのではないか、という説も出てきたのだとか。
 当時の「ソ連」という国の閉鎖性もあり、災害から事故、謀殺まで、本当にたくさんの原因が浮かんではきているのですが、きちんと検証してみると、どれも、この事件をうまく説明することができないのです。
 それこそ、「宇宙人の仕業だ」というほうが、説明がつくのではないか、というくらいに。
 まあ、それは「宇宙人がいて、そんな行動をとることがある」というのを先に証明できれば、なのですけど。


 著者は、この事件について、資料を可能なかぎり収集し、当時の関係者の証言や、存命の関係者にも粘り強く取材をしています。さらに、現地を訪れてもいるのです。

 この本のタイトルと事件の説明からは、横溝正史のミステリのような内容を想像してしまうのですが、実際に読んでみると、著者は、無くなった若者たちが「こんな事件で命を落としてしまうまで」の姿を、自分の取材のプロセスと並行して、丁寧に描いているんですよね。
 読んでいて、彼らの人間関係や、みんなで歌をうたったり、「愛」について何度も議論したりしていた、なんていう話も出てきます。
 彼らのこのトレッキングには、難易度の高いコースを制覇して、より上の資格をとる、という目的もあったため、事故までの写真や記録が残っているのです。
 その写真も、記録として必要なもの以外に、いまの若者でも仲間との旅行のときに撮影しそうな、ちょっとふざけてみた場面がたくさんある、なんていうのを読むと、彼らは「謎の事件の被害者」になってしまったけれど、もともとは、ごく普通の(といっても、当時のソ連ではエリートではありました)アウトドア好きの若者だったのだよなあ、と、しんみりしてしまいます。
 こんな事件に遭わなければ、「奇妙な死に方をした若者たち」として語り継がれることなんて、なかったはずなのに。


 ただ、僕は著者が推測している、この事故の原因については、消去法として可能性は十分あるとは思うけれど、本当にそんなことがありうるのだろうか?と、信じかねているのです。
 再現実験ができるようなことではありませんし、タイムマシンで答え合わせもできない。これまで出てきた仮設のなかでは、もっとも「それらしい」感じはするのだけれど、よくわからないまま時間が流れてしまって、ようやく見えた可能性にしがみつき、その仮設を補強する情報ばかり集めているようにも見えます。
 著者も、「これが絶対に正解」と言っているわけではありませんが、読んでいると、うーん、もうページ数も少ないし、これ、なんらかの結論が出るのだろうか……と読み進めていくと、けっこう唐突に「答え」が出てくるのだよなあ。
 この事件の経緯を詳述しているのも、「原因についての議論」だけでは、ボリュームが足りなくなってしまったからではないか、と勘繰ってしまいます。
 それは、ドキュメンタリー作家としての、著者の誠実さでもあるし、宇宙人とか猟奇殺人とかよりは、よほど現実味はあるのだけれど、僕は「そういうこともあるかもしれないけど……」と、納得しきれないまま読み終えてしまったんですよ。
 とても素晴らしいドキュメンタリーなのだけれど、「なぜ?」の部分に関しては、消化不良だったのです。
 それでも、おそらく、いま日本語で読めるこの事件に関するレポートとしては、もっとも読みやすく、面白い作品であると思われます。


 この本の巻末には、佐藤健寿さんの「解説」が収められているのですが、それを読んで、「なぜ、この謎の事故がこんなにも2018年を生きている人々に興味を持たれるのか」がわかったような気がしました。

 本書の中でこんな印象的な場面がある。

 アメリカ人がロシアへやって来て、本人とはまるで関係のなさそうな謎を解こうとするというのが、クンツェヴィッチと同じくユーディンにもやはり不可解に思えるらしい。
「あなたの国には、未解決の謎はないんですか」とまた尋ねられた。


 ロシアを訪れた著者ドニー・アイカーは、事件の唯一の生き残りであるユーリ・ユーディンにこう問われて、困惑する。「もちろんないわけがない」。著者は心の中でそう呟いてみせるが、アメリカ人のドニーがわざわざロシアにまで来てしまった理由はたぶん、単純である。現代のアメリカには、もうディアトロフ峠事件のように「新たな謎」がないのだ。事実、20世紀の「世界の謎」は、アメリカや英国、つまり英語圏を中心に発信されたものであった。中東や南米、ヨーロッパで発掘された不思議な出来事の多くも、英米の研究者らが発掘して英語で発表したものがほとんどである(例えばヒマラヤの雪男伝説でさえ、英国のゴシップ紙が取材して世界に広めたものだ)。つまり20世紀の謎は多分に、英語圏中心の文化だった。だから例えばロズウェル事件やバミューダ・トライアングル、あるいは水晶ドクロのような「世界の謎」の多くは、20世紀のうちに開陳され、消費され、そしてインターネットという恐怖の大王によって沈黙させられた(それはネットの事実上の通用言語が英語であることとも無関係ではないだろう)。


 その世界の構造のなかで、第二次世界大戦後、アメリカに対抗し、西側からは「鉄のカーテン」で覆われていた時代のソ連だけは「未知の世界」であり続けている、と佐藤さんは述べています。
 ディアトロフ峠事件についても、情報が公開されたのは、1980年代のグラスノスチ以降で、Wikipediaでも英語ページの初出は2006年、ロシア語ページは2008年だそうです。


 この本を読みながら、僕は子どもの頃に知って以来、ずっと気になっている「マリー・セレスト(メアリー・セレスト)号事件」のことを思い出していたのです。


メアリー・セレスト - Wikipedia


 この「船から乗組員が消失した謎の事件」も未解決なんですよね。
 ただ、「メアリー・セレスト号事件」が起こったのは1872年で、当時の調査記録や資料についても、現代人からすると、信頼に足るものとは言い難いのです。
 
 それに比べると、1960年くらいのソ連の調査資料というのは、写真もあるし、遺体の検死も行われているし、状況についても詳述されています。
 「かなり正確な資料が残されていて、いまでも未解決の奇怪な事件」というのは、実際はそんなに多くはないのです。
 この『ディアトロフ峠事件』というのは、まさに「インターネットの時代に残された、数少ない未踏峰のひとつ」と言えるのでしょうね。
 そう思うと、「解明」されてほしいような、ほしくないような……


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