琥珀色の戯言

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【読書感想】給食の歴史 ☆☆☆☆

給食の歴史 (岩波新書)

給食の歴史 (岩波新書)

内容紹介
小中学校で毎日のように口にしてきた給食。楽しかったという人も、苦痛の時間だったという人もいるはず。子どもの味覚に対する権力行使の側面と、未来へ命をつなぎ新しい教育を模索する側面。給食は、明暗二面が交錯する「舞台」である。貧困、災害、運動、教育、世界という五つの視角から知られざる歴史に迫り、今後の可能性を探る。


 給食、好きでしたか?
 1970年代のはじめに生まれ、好き嫌いが多くて、食べるのが遅かった僕にとって、給食というのはまさに「鬼門」だったのです。なかなか噛みきれない鯨肉に、味もそっけもないコッペパン、謎の味付けのおかず。
 そして、残してはいけない、というプレッシャー。
 今食べたら、それなりに栄養のバランスもとれているし、けっこう美味しく食べられるのではないか、と思うんですけどね。
 僕が子どもの頃は、すでに「脱脂粉乳」の時代ではなかったのですが、「飢え」がリアルに感じられる時代ではなく、弁当とか購買部で買うパンのほうが良いなあ、と、いうのが正直な気持ちでした。
 こうして自分の子供が学校に通うようになると、給食ってありがたい、と、つくづく感じます。
 子どもは子どもで、「最近、給食がおいしくなくなった」と不満みたいなのですが。


 この新書は、給食の歴史について、さまざまな史料や関係者の証言をもとにまとめたものです。
 僕にとっては「あってあたりまえ」だった給食という制度が実現するまでには、さまざまな障害があり、多くの人の努力でつくりあげられてきたのです。

 給食史の簡単な推移を確認しておきたい。大きく分けて、萌芽期、占領期、発展期、行革期の四期である。
 萌芽期(第2章)は、19世紀後半から敗戦までの「禍の時代」。関東大震災東京府の給食制度誕生のきっかけとなり、1930年代の東北凶作から戦災まで、国庫支出の給食による子どもの救済が行われる。
 占領期(第3期)は、敗戦後から1952年まで、「ララ」という慈善団体による脱脂粉乳コッペパンの「贈与の時代」。1946年の文部・厚生・農林三省次官の通達によって、散発的だった給食が全国展開の国家プロジェクトに変貌を遂げる。
 発展期(第4章)は、占領後から1970年代まで、占領からの「脱皮の時代」。依然として外国からの食糧輸入に依拠しつつも、1954年の学校給食法を中心に日本独自の展開を模索する時代である。
 行革期(第5章)は、1970年代、とくに1973年の石油危機から現在に至るまでの時代。低成長時代に突入し、行革、すなわち行政改革による公的部門の合理化が進む「新自由主義(neo-liberalism)の時代」である。中曽根康弘政権下の第二次臨時行政調査会(臨調)がその頂点に位置づけられる。給食センター化が進み、学校栄養職員、調理員、教師、親などの陳情や抵抗運動が活発化する時代でもある。


 著者は、この本のはじめに、給食の基本的性格として、以下の三点を挙げています。

(1)家族以外の人と食べること
(2)家が貧しいということのスティグマを子どもに刻印しないという鉄則
(3)給食は食品関連企業の市場であること


 給食というのは、食べ物が十分にない時代の社会にとって、子供たちに最低限の栄養を摂ってもらう手段なのです。
 それは日本にとっては、戦後の一時期だけの話だと思われがちなのですが、現在、2010年代においても、学校での給食が貴重な食事の機会、という子どもたちが少なからず存在しています。
 給食では、豊かな家庭の子どもも、貧しい家の子どもも、同じメニューを食べる、ということも重要で、「弁当のない子ども」や「メニューの内容の格差」がない、というのも大きなポイントです。
 しかしながら、「みんなが同じものを食べる」という給食の理念というのは、ある種のイデオロギーと結び付けられて、危険視されたこともありました。

 第一に、共産主義との関係抜きには給食の歴史は描けないということである。
 冷戦構造のなかで、「共産主義への大きな一歩」とサムスに警戒されていた給食の領域は、非常にセンシティヴであった。そのことをサムスはよく理解していた。学校教師が共産主義化することへの警戒を怠らなかったGHQはいうまでもなく、池田勇人の「給食は社会主義」という発言や沖縄の議員の、給食は「まるで共産主義と同じ」という発言にみられるように、それは日本でも同様であった。また、給食が民衆の暴動を予防する役割を期待されていたことも、GHQの文書で明らかになったが、これも第一次世界大戦で飢えた人びとが政治体制を打倒して以来の、世界現代史の基調であった。


 マイケル・ムーア監督のアメリカの医療問題を扱ったドキュメンタリー映画『シッコ SiCKO』をみて、アメリカで、国民皆保険制度を「共産主義的だ」と批判するキャンペーンが行われ、それを信じてしまう人々に愕然としたことがあります。それって、利益を追い求める民間保険会社が深くかかわっているものなのに。
 でも、この本で、「給食による共産主義化」を危惧していた人々を知ると、そういう「共産化への警戒心」というのは、日本にも少なからずあったのだなあ、と思い知らされます。給食くらいで、とか考えてしまうのですが、なんのかんの言っても「食べるものがなければはじまらない」のも事実ではあるんですよね。
 
 そして、これを読むと、太平洋戦争での敗戦後に普及したイメ―ジがある日本の学校給食は、太平洋戦争前から試行されていた、ということや、日本の食生活を「欧米化」して、農産物を売ろうとしたアメリカの一方的な押し付けで、給食のメニューがパンなどの小麦食中心となった、というのは誤解だったこともわかります。
 日本側からも給食の内容に関しては、アメリカにかなりの提案をしていたのです。
 戦後の日本では、米食は頭が悪くなる、というような説がかなりの人々に信じられていたそうですし。
 戦争に負けるというのは、そこまでいろんなことに自信を失ってしまうのか……と愕然としてしまいます。

 
 給食についての、懐かしいエピソードの数々も、この本の「読みどころ」です。

 まずは、練馬区のある小学校で著しく人気のなかったオーロラ煮である。「甘ったるくてパンに合わない」「油がギラギラしている」ので、残しが多い。オーロラ煮とは、ジャガイモ、タマネギ、インゲン豆と鶏肉、フランクフルトソーセージ、ベーコンなどをケチャップで煮込んだものである。学校栄養職員によれば、「甘くまろやか」に味付けされている。これまでに二回だけだが、料理が冷えると油がギラギラ浮き、子どもたちには大不評であった。

 1970年、71年が最盛期であった。年間600万本の注文が入り、会社の売上額の三分の一は給食用スプーンである。珍事もあった。1975年頃、柄の付け根が曲がったり、折れたりしたスプーンが修理のために回収されたことが突然増えたのである。これは、1974年に、超能力でスプーンを曲げるというユリ・ゲラーが来日し、スプーン曲げブームが起こったからであった。
 先割れスプーンの注文が減り始めるのは、子どもたちの「犬食い」が社会問題化したからである。森井は「スプーンだけの問題じゃない。熱くて持てないアルマイト製の器や、家庭や学校でのマナー教育の問題もあった」と述べている。
 先割れスプーン反対派の攻勢は、三鷹市の議会で阿部文雄市議が「給食時での子どものマナーが悪いのは、スプーンのせいだ」と市を追及したのが発端だった。阿部は、小学校四年生の子が姿勢悪く食事をしている様子を見て問いただしたところ、「給食を食べるの大変なんだよ。スプーン一本で食べるんだから」と教えられ、犬食い問題の存在を知ったという。
 阿部は「肉やウドンなど、スプーンで食べにくいものまで先割れスプーン1本で食べている。こぼさないように、つまりマナーをよくしようと思えば思うほど、口が食器の方に突き出る」と給食の様子を振り返る(『学校給食』)。


 給食が苦手だった僕も、思い返してみれば、「あれは不味かった」という話で同世代の人と盛り上がることもあるわけで、みんなで同じメニューを食べる、というのは、かなり貴重な体験だったように思われます。「スプーン曲げ」もやりましたし。あのスプーン、修理して使っていたのか……


 これだけ日本が豊かになったのだから、給食はもう、その役割を終えたのではないか、と考えられがちなのですが、格差が広がっていくにつれ、給食の「貧困対策」としての役割が再びよみがえってきているのです。

 現在でも、学校給食が唯一の良質な食事である家庭は少なくない。「小学校教諭の友人から、クラス内に六人、給食で飢えをしのぐ子がいると聞きました。夏休みが明けるとガリガリになっているそうです」と伝える京都の30代女性もいれば、「小学校で給食を作る仕事をしていました。朝ご飯を食べずに学校へきて、夕飯は菓子パンを食べるだけ、給食だけが唯一きちんとした食事だという子どもがいました」と答えたのは、千葉県に住む40代女性の調理員である。
 大阪府で高校の教員をしていた60代の女性は「昼休み弁当もお金もなく、校内をさまよい歩く生徒」を報告しているし、「母子家庭です。横浜市は中学で給食がなく、部活に異常なまでの費用がかかる。食べ盛りなのに、なんでもお金がかかりすぎて精神的にもつらい」とやるせない思いを吐露する神奈川県在住の30代女性もいる。


 正直、僕自身は、そういう世界があることを知識としては持っていても、いまひとつ実感がわかないところがあるのです。
 日本は、そんなに貧しくなってしまったのだろうか。


 その役割が、あらためて見直されつつある日本の給食。
 もう、「共産化」にも夢を持てない時代だしなあ。


fujipon.hatenadiary.com

スノーピーク(snow peak) チタン 先割れスプーン SCT-004

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おうちで食べたい給食ごはん

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