琥珀色の戯言

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【読書感想】大阪的 「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
大阪と聞いて何を思いうかべるだろうか?芸人顔負けのおばちゃん、アンチ巨人の熱狂的阪神ファン、ドケチでがめつい商売人…これらは東京のメディアが誇張し、大阪側も話を盛ってひろがった、作り物の大阪的イメージだ。「おもろいおばはん」の登場は予算のない在阪局が素人出演番組を安く量産した結果だし、阪神戦のテレビ中継がまだない一九六〇年代、甲子園球場は対巨人戦以外ガラガラだった。ドケチな印象もテレビドラマが植えつけたもので、「がめつい」は本来、大阪言葉ではなかった。多面的な視点から、紋切型の大阪像をくつがえす。


 大阪といえば、お笑いと食い倒れの町、というイメージが、九州在住の僕にはあるのです。 
 仕事や観光で大阪を訪れると、大阪弁をしゃべっている人がいるだけで、なんだか吉本の芸人さんのなかに紛れ込んだみたいだなあ、と思うんですよね。
 電車の中で聞こえてくる会話も、なんだか漫才みたいに感じることが多いのです。
 それが、地域性というものなのか、それとも、こちら側がそういう先入観を持っているから、そんな会話ばかり印象に残ってしまうのか。


 この本では、関西に愛着がある著者が、外部の人が(あるいは、大阪に住んでいる人たち自身さえも)抱いている「大阪的なもの」について、詳しく検証しているのです。

 当たり前なのですが、大阪にだって、奥ゆかしい人もいれば、冗談の応酬に加われない人もいます。
 そのくらいの個人差は、あって当然だと思いますよね。
 にもかかわらず、そういう人が「大阪の女らしくない」と、大阪の仲間内でさえ責められることもあるそうです。
 著者は、谷崎潤一郎が1932年に書いた「私の見た大阪及び大阪人」という文章に「意外なことに、大阪の人たちもユーモアがわかっている。その点では、江戸っ子と比べても、ひけをとらない」という内容があることを紹介しています。
 少なくとも、太平洋戦争前の大阪は「お笑いの先進地」とはみなされていなかったのです。


 著者は「大阪のおばちゃん」のルーツのひとつを1983年から93年まで放送されていた、テレビ大阪のニュースワイドショー「まいどワイド30分」というテレビ番組の「決まった!今夜のおかず」というコーナーだと指摘しています。
 17時から17時半の番組のなかで、夕方の買い物客に突撃取材をして、今夜のおかずを聞くという企画なのですが、取材を受けるのは、大阪の主婦がほとんどでした。
 

 テレビ大阪は後発のローカル局であり、既存の在版四局と互角にたたかえない。よそと同じことをやっていたら、負けてしまう。そんな想いも、当時としては目新しいこの企画を、あとおしした。番組担当者であった沢田尚子が、以上のような回想をのべている(「大阪のおばちゃんに助けられて」関西民放クラブ「メディア・ウォッチング」編『民間放送のかがやいていたころ』2015年)。
 とはいえ、この番組も取材したすべての女性に、光をあてたわけではない。おもしろいと制作者たちが判断した者だけをえらび、テレビの画面には、だしていた。
 はじめは、絵になる主婦をさがしだすのに、苦労をしたらしい。何人にも路上で声をかけ、ようやく見つけだすというような状態であったという。だが、街頭インタビューをかさねるにしたがい、担当の沢田は人選の勘もやしなわれた。
「『このお母さんはいけそう』とか、だんだん見えてくるんです」(同)
 路上取材でであった女性の中から、ゆかい気に見える人だけをぬきだし、放送する。のちには、在版各局がこの手法をとりいれた。大阪のおもろいおばちゃんばかりを、画面から洪水のように流しだしたのである。ここでは、それが1980年代以後の、新しい現象であることを、確認しておきたい。


 著者は、朝日放送で番組制作にたずさわっていた西村嘉郎さんのインタビューからも、「お金をかけないで番組を面白くつくるために、素人参加番組での予選会を丹念にやって、事前にエピソードをうまく拾って準備をしていた」ことを紹介しています。
 当時の朝日放送の代表的な番組としてあげられている、「新婚さんいらっしゃい!」(これは現在も放送されています)、「プロポーズ大作戦」などは、僕もよく観ていました。
 これらの番組では、個性的な「素人」たちを前面に押し出すことによって、低予算で面白い番組をつくっていったのです。
 そんな「素人」たちが出演している番組を観ることによって、視聴者も「大阪にはこういう人ばかりなのか」と思うようになったり、そういう「面白い振る舞い」に影響を受け、真似したりしてきたんですね。

 著者の検証を読んでいくと、僕が「昔からの常識とか伝統や地域性」だと思い込んできたことの多くは、けっこう最近、1960年代以降に、テレビの影響でつくられてきたものだということがわかるのです。
 関西人には阪神ファンが多いというのも、以前はむしろ巨人ファンが多かったけれど、サンテレビが安く買えるコンテンツとして阪神戦をテレビ中継するようになってから阪神ファンが増えたのです。
 日本の太平洋戦争後のテレビの影響力は本当に大きくて、「地域性」とか「県民性」には、地元のテレビ局によってつくられたものが少なくないのです。

 こりずに、ノーパン喫茶の話を続ける。大阪の「あべのスキャンダル」は、1980年代後半から、数多くの企画を世に問うた。そして、それらは、けっこう全国区の週刊誌にとりあげられている。その報道ぶりがわかる見出しを、いくつかひろいだしておこう。
「またまた出ましたッ『大阪名物』の効能は……『あべのスキャンダル』」(『FRIDAY」1985年11月8日号)
「エロス発信地<あべのスキャンダル>のブレーンが語るコミカルへの飽くなき挑戦」(『平凡パンチ』1988年9月23日号)
「大阪”トップレス料理店”開店の巻……『あべのスキャンダル』」(『FOCUS』1988年11月25日号)
 同店は、エロスの「発信地」であるという。「大阪」、あるいは「大阪名物」の営業として、つたえられていた。そのブレーンじしんが、「飽くなき挑戦」者として、登場してもいる。東京のメディアが、大阪の好色ぶりに興じていたことを、読みとれよう。
 今引用した週刊誌のある記者と、私は言葉をかわしたことがある。「あべのスキャンダル」の記事とも、かかわった記者である。誌名はさしさわりがあり、と言っても今あげた三誌のひとつだが、公表をひかえたい。
「『あべのスキャンダル』って、エッチなアイデアをいっぱいうちだしていたでしょう。でも、そのすべてを、あの店がひねりだしたわけではありません。うちの編集部も着想については、けっこう助け舟をだしました。こんな企画で新装開店にふみきるんなら、うちの誌面でとりあげるけど、どう? やってみない、なんて言ってね」
 メディアがおもしろがって、「大阪」発を強調した。「大阪」の好き者が、またこういういやらしい仕掛けに、はしっている。そう東京の週刊誌がつたえた企画のなかには、東京側の思い付きもまじっていたのである。
 新しい展開への自転車操業を余儀なくされた店は、創意工夫にうえていた。東京の編集部がもちかけてきた話に、とびつくこともあったろう。それこそ、藁へもすがるように。
 だが、いずれにせよ、助平なアイデアのいくつかは、東京がひねりだしていた。それを、メディアは、「大阪」の好色漢が生みだしたかのように、つたえている。助平な発案では、どちらも共犯者だったのに。
 こういう話題は、やはり大阪を舞台としたほうが、読者によろこばれますから。くだんの記者は、そうも私につげていた。


 「大阪的なもの」の多くは、こんな感じで、マスコミや「東京」によってつくられてきたのです。
 テレビのおかげで、日本全国で同じ情報が得られ、人々が「均質化」した一方で、テレビによって「新しい地域性」が生まれてきた、とも言えるのですね。

 テレビや雑誌の影響力の大きさについて、あらためて考えさせられる本でした。
 フェイクニュースとか偏向報道ではなくても、メディアは、人々の意識をいつのまにか変えているのです。


京都ぎらい (朝日新書)

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コミック版 新婚さんいらっしゃい!

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