琥珀色の戯言

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【読書感想】昭和の怪物 七つの謎 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
昭和史研究の第一人者が出会った「戦争の目撃者たち」。東條英機石原莞爾犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三吉田茂が残した「歴史の闇」に迫る。


 「昭和史」を追い続けてきた保阪正康さんが、自ら取材した「歴史の証言者」たちのことを振り返りながら、なぜ、日本はあの太平洋戦争に向かっていったのか、どうしてあんな状況になるまで戦い続けたのか、を検証している本です。
 
 この本の面白いところは、保阪さんが、それぞれの証言者の懐に入り込んで、その人柄も含めて語っているところなんですよね。

 大日本帝国の軍人は文学書を読まないだけでなく、一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。すべて実学の中で学ぶのと、「軍人勅諭」が示している精神的空間の中の充足感を身につけるだけ。いわば人間形成が偏頗なのである。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点を持つ。「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」。東條(英機)は陸軍内部の指導者に育っていくわけだが、この三つの性格をそのまま実行に移していく(その点では安倍晋三首相と似ているともいえるが)。
 昭和十年代の日本は「戦時一色」になるが、もし東條以外の人物が最高指導者になっていたら、このような形になったであろうか。
 私は赤松の言を確かめながら、日本には決して選んではならない首相像があると実感した。それは前述の三点に加えてさらに幾つかの条件が加わるのだが、つまるところは「自省がない」という点に尽きる。昭和十年代の日本は、「自省なき国家」としてひたすら驀進していった。それは多くの史実をもって語りうる。その行き着く先は国家の存亡の危機である。


 僕はずっと、東條英機という人は、もうアメリカと戦争をするしかない、という状況で首相に推されてしまった、不運な軍人だったのではないか、あの時代であれば、誰が首相になっても、結果は同じだったのではないか、と思っていたのです。
 しかしながら、保阪さんが描いている、狭量で、イエスマンばかりを登用し、戦況が悪くなると精神論に頼る東條英機さんの姿を読むと、「なんでこんな人があの時代に首相になってしまったんだ……」と愕然としてしまいます。

 昭和十九年六月の「あ号作戦」の失敗により、日本はサイパンを失う。このときを境に重臣天皇周辺の人たちの間で、東條を代えなければならないとの声が起こった。東條は「サイパンが陥落したといっても、それは雨水がかかった程度のこと。恐るるには足らない」と豪語している。そして六月二十四日の官邸食堂での昼食の折に、秘書官たちに次のように語った。
サイパンの戦況、昨今の中部太平洋の戦況は天の我々日本人に与へられた警示である。まだ本気にはならぬか、真剣にならぬか、未だか未だかと云う天の警示だと思ふ。今後日本人が更に真剣に頑張らない時はパチリパチリと更に天の警示があるだろう。日本人が最後の場面に押しつめられた場合に、何くそと驚異的な頑張りを出すことは私は信じて疑はない」
 東條はこのような精神論を何度もくり返している。戦争とは精神力の勝負であり、五分五分というときには実は六分四分でわが方が有利、六分四分、あるいは七分三分で不利のときが五分五分なのだと何も根拠を示さずに口にしている。東條にとっては、戦争に勝つこと自体が目的であり、それが自分の責任であり、そのために国民にどれだけの犠牲を強いてもかまわない、というのがその戦争観であった。
 まさに亡国の思想にとり憑かれ、判断力を失っていたというべきである。東條の周辺の軍人たちは、その異様さに気づいていなかった。


 手厳しいな、と感じるところは少なからずあるのですが、その人物が起こしてしまった歴史的な「結果」を考えると、こういう評価もやむをえないのではないか、とも思うのです。
 あの時代にも、日米両国の経済力・軍事力を客観的にみて、「勝てない」「戦争をするべきではない」「せめて長期戦は避けるべき」と考えていた人は、少なからずいました。
 ところが、東條英機という人の周りには、その「異様さ」を指摘する人はいなかった。というか、そういう人たちは、遠ざけられていたのです。
 こういう人が、よりによって、あの時期に首相になってしまったのは、というか、首相になれるようなシステムになっていたのは、不幸というか致命的なシステムエラーだったのでしょう。


 保阪さんは、この本のなかで、これまでずっと資料を集めてはいたものの、あまりに多面的すぎて、まとまった文章にすることができなかったという石原莞爾についても書いておられます。
 今でも信奉者が多い石原さんなのですが、あの時代のことでもあり、その構想には限界も偏見もあった、というのもわかります。
 

 五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫の道子さんの「感情は感情、評価はまた別です」という言葉に、歴史を検証する立場として、保阪さんが深い感銘を受けたことも書かれています。
 第三者が、このように言うのはわかるとしても、あの日、現場にいて、大好きな祖父の最期を目の当たりにした道子さんは、あえて、「祖父をやみくもに美化するのではなく、当時の歴史をそのまま伝える」ことを意識しつづけていたのです。
 

 保阪さんは「五・一五事件は奇妙な事件である」として、事件後、軍人側には弁明の機会が与えられ、彼らの主張する「愛国心」に、日本社会の多くの人が共感し、テロリストたちが英雄視されていったことを書き留めています。

 テロの決行者は英雄だとの受け止め方が一気に広がったのだ。このことはすでに明らかになっている如く、日本社会の価値基準が大きく変わってしまうきっかけになった事件でもあった。
 テロの犠牲になったはずの犬養家のほうがあれこれ社会的な制裁を受けることになったのである、道子氏の話では、犬養家の人びとが後ろ指をさされることになり、厭がらせを受けたのである。道子氏はこのような歪な日本社会を具体的な作品に書き残している。『ある歴史の娘』や『花々と星々と』などである。こうした書に触れていくと、五・一五事件後の母親については、たとえば次のように書いている。
「あの若葉の五月の日をさかいめとして、白と黒、夏と冬ほど、彼女は変った。白樺時代、そしてまたその余韻のいまだ尾を引く時代の、コロコロ笑い、熱病の私をいそいで寝かせて上野の森に、『近衛(秀麿)さんの第五の指揮を聞きにゆく』ような、自分の世界をゆたかに持って、そこでしあわせに生きた女は、あの日以後、どこかに消えてなくなった」
 犬養家の人びとはそれぞれ、毅の死によって、しかもその残酷な形での生の閉じ方に出合い、生き方が変わっていったというのである。十一歳の少女は、そうした昭和の動きをつぶさに見てきたのである。


 これを読みながら、「被害者のほうが白眼視される事例というのは、五・一五事件の時代からあったのか……」と嘆息せざるをえませんでした。道子さんは、世間の人々の「感情」に翻弄され続けたからこそ、「感情と評価は別」だと言い続けておられるのではないかとも思うのです。

 ちなみに、暗殺犯たちが踏み込んできたときに、犬養毅首相が「話せばわかる」と言ったとされていますが、実際に発せられていたのは「話を聞こう」という言葉だったのではないか、という話も出てきます。


 『置かれた場所で咲きなさい』がベストセラーとなった渡辺和子さんは、二・二六事件で暗殺された渡辺錠太郎さんの娘で、あの事件の現場にもいたのです。それが、9歳のときのこと。
 保阪さんは、渡辺和子さんから、直にこんな話を聞いています。

 私が赦しの心をどのように持つべきか、といったことを質したときに、渡辺はきわめて示唆に富む言い方をした。
「私たちの心の中に争いの種はあります。それは人間の性といってもいいでしょう。それを受け止めなければならないのは、いつの時代も同じなのです。苦しさを抱え込んで生きるという意味にもなります。しかし、復讐の感情に身をゆだねれば、心の中の争いという苦しみはいつまでも連鎖を続けるだけだと思います。ではどうすればいいか、何をすればいいか、ということになりますが、私は自分の小さな世界の中だけでもいいですから、できるだけ人を赦して笑顔で過ごしているのです。家族や友人への優しさ、そしてその延長としての優しさなどが大切ということになります」
 渡辺の書いた『置かれた場所で咲きなさい』は、そういう自らの生き方を綴った書であった。こうした話を聞きながら、話はしだいに二・二六事件の自らの体験をどのように人生の中に抱え込んでいるのか、という点に移った。私は、「お父上の命を奪った人間が悪いのではない。もっと大きな構図があり、その中で事件が起こったということでしょうか。そのような考えに達しているということになるのでしょうか」と尋ねた。すると渡辺は、
二・二六事件は、私にとって赦しの対象からは外れています」
 と断言したのである。その瞬間、私は不意に涙が出そうになった。


 『置かれた場所で咲きなさい』なんて、ブラック労働を推奨するようなタイトルで感じ悪いよなあ、って思っていたのですが、この渡辺さんの言葉を読んで、僕も涙が出そうになりました。ああ、この人は正直だなあ、信じられる人なんだなあ、って。
 宗教者としては、「悟りの境地に達していない」のかもしれないけれど、「全部赦します」と言い切ってしまう人にはない「真実」みたいなものが、この人にはあった。


 昭和史の裏側を知ることができた、というよりは、歴史の証言者として生きることを余儀なくされた人々の姿が強く印象に残る本でした。


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