琥珀色の戯言

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【読書感想】ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
「20年、30年というスパンで考えたら人間にはどんな仕事も残らない」「アニメやゲームなどすべてのバーチャルキャラクターは、人工知能によって自律的に行動するようになる」。若者が憧れる職業「ユーチューバー」でさえ、AIが取って代わる時代がすぐ目の前に来ている。十分な収入を得て生計を立てられるのは、一握りの才能だけ。「未来格差」を前に、特殊な技能のない私たちはどうすれば生き残れるのか。拡張現実、人工知能の進化、完全グローバル競争で激変する社会と人間の姿を透視する。 【目次】序章 「未来格差」に備える/第1章 未来予測の3大法則/第2章 自分を「盛る」時代/第3章 AIがユーチューバーを淘汰する/第4章 アイドルは新時代の貴族になる/第5章 アマゾンが不動産へ進出/第6章 バーチャルとリアルの恋愛の境界が消える/第7章 AIロボットが家族の代わりに/第8章 人工知能が政治を変える/終章 未来の幸福論


 AI(人工知能)が人間の仕事を奪っていく、と言われても、日常レベルでの変化を実感することは、なかなか難しいものではありますよね。
 ある程度の長い期間でみると、いつのまにか無くなっている仕事、というのは、本当にたくさんあるのだけれど。
 この新書では、岡田斗司夫さんが、「10年後の(ある程度現実的な)未来に起こっているであろう変化」と、それに対して、どうやって生き延びていくか、について語っておられます。
 内容は、2016年から2017年にかけて、岡田さんが『ニコニコ生放送』の「岡田斗司夫ゼミ」で話しておられたことをまとめたもので、これまで岡田さんの著書をけっこう読んできた僕としては、どこかで読んだり聞いたりしたものがほとんど、という印象を受けました。
 だから間違っている、無意味だ、ということではなくて、近い未来の話であれば、多くの人が予測していることは、ある程度一致している、ということなのかもしれません。

 AI(人工知能)が進化して普及したら、人間の仕事なんてなくなってしまうんじゃないだろうか。
 オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授らは、2013年に発表した「雇用の未来」という論文で、「10~20年以内に(アメリカの)労働人口の約47%が機械に代替されるリスクがある」と主張しました。このあたりから、「人工知能時代にも生き残る職業」だとか、「これからの時代に必要とされるスキル」なんて記事や書籍がやたら出てくるようになりました。
「自動化されない非定型的な仕事」とか、「クリエイティブな仕事」とか、「人間相手のコミュニケーションが必要な仕事」とか、そういう仕事は人工知能時代にも生き残るし、新しい仕事も次々と生まれる、だから心配なんだという人もいます。
 でも、20年、30年というスパンで考えたら人間にはどんな仕事も残らない、そう僕は考えているんです。もちろん、人口のうち5%くらいの人は、何をやらせてもうまくやれるでしょう。恐ろしく知能が高いとか、人を使うのがうまいとか、容姿や振る舞いがすごく魅力的だとか、そんな人はどんな時代でも好きなことをやって楽しく生きていけますし、仕事だっていくらでもあります。
 でも、人口の9割以上は、可もなく不可でもない普通の人たちです。そういう普通の人たちは、クリエイティブ能力やコミュニケーション能力が少々あったところで、仕事がなくなってもまったく不思議ではありません。


 「AIによる人間の仕事の消失」を危惧する人たちの多くは、そこで、「どのような職業や生き方なら、あなたはAI時代になっても現実世界で満足する生をおくることができるのか」を模索していくのですが、岡田さんは、その「AI時代」の流れに逆らう必要があるのか、と疑問を呈しているのです。
 考えてみれば、AIに任せるよりも、人間が仕事をしたほうが得であり快楽であれば、どんなにすぐれたAIがあっても、そんなもの誰も使わないはずですよね。
 結局のところ、多くの人は、「AIで自分の仕事が奪われて収入がなくなるのは不安だけれど、サービスの利用者としては、AIで便利になるのであれば歓迎する」と思われます。
 

 スマートグラスやAR(Augmented Reality:拡張現実)というのは、便利なツールだとか、目新しいゲームとかそういうことに留まりません。この世界における現実を、たんなる「元ネタの1つ」にしてしまうんです。メガネをかけたら、自分の見たい世界、「デコられた」世界が目の前に広がるようになるんです。
 今、現実を「デコってくれる」のはせいぜいフェイクニュースくらいですが、デコられた世界の方がメインになってきたら、どうでしょう?
「現実」を見ずに、自分だけの世界に閉じこもる人たちが増える? 人と人とのコミュニケーションが失われて、ギスギスした社会になる?
 そんなことはないと思います。
 だって、自分の目に映るすべての人間が美少女だけだとしたら、僕らはもっと他人に優しくしますよ。「ただしイケメンに限る」と言って、不細工な男には冷たい態度を取っている女の人だって、優しくなるはず。
 そうやって「現実補正」された社会で暮らす方が、多くの人間にとっては幸せです。
「いやいや、それは幻だよ。そんな幻ではなくて、現実を見なければダメだ!」
 そう反論したくなるかもしれませんね。
 でも、デコられていない現実って何でしょう?

 これだけ格差が開いた世界において、みんなが納得できる解なんてない。それぞれの人が見たい「現実」を見て、楽しく生きた方がずっといい。彼氏/彼女がいなくて肩身の狭い思いをしているのなら、すべての人がイケメン、萌えキャラに見えるメガネをかけて生きた方がずっと幸せです。
 もちろん、今の世の中で生きていくためには最低限のお金が必要ですし、絶対的な貧困状態にある人は「メガネをかけて楽しく生きろ」と言われたら憤慨するでしょう。
 だけど、貧しいとはいってもそこそこ暮らしていけているのに、「あいつらは俺らから搾取していい暮らしをしやがって」とか、「自分の生活は全然キラキラしていない、なんて惨めなんだろう」と不満を感じている人は多くないですか?
 そんな鬱屈を抱えて生きるより、自分の現実をそれぞれデコって生きる。
「みんなが同じ現実に向き合う」のではなく、「それぞれが別々の現実を生きる」。
 これこそ、人間の悲願なのではないでしょうか? これから10年、20年、そうした消費者ニーズはもう止められないでしょう。


 実際、「結婚しない(しようと思ってもできない)人」が増え、子どもの数も減ってきています。
 これまでは、「社会や身内からのプレッシャー」もあり、結婚しなくては、と思っていた人がほとんどだったのですが、最近は、「結婚や育児はコストパフォーマンスが悪い」という考え方をする人も少なくありません。
 仮想現実に浸っていたほうが、現実でのさまざまなトラブルに振り回されるよりも幸福なのかもしれませんよね。僕は、そう思うことがあります。
 現実というオンラインRPGでは、みんなが勇者にはなれないのならば、非オンラインの『ドラゴンクエスト』のように、プレイヤーがみんなそれぞれの世界の勇者となれる世界をメインに生きれば良いのではないか?
 飢え死にしないのであれば、ブラック企業社畜+家族の問題に悩まされて生きるより、仮想世界で勇者をやっているほうがいい。
 むしろ、そのほうが「結果的に平等に近い世の中」になるのかもしれません。
 ただ、「そういう生き方」が社会に受け入れられていくのは、技術的に可能になるよりずっと難しくて、時間がかかりそうな気もします。


 ちなみに、タイトルにある「ユーチューバーの消滅」については、「今後数年で、日本人ユーチューバーの市場もアイドルや芸人に荒らされ、10年以内にはハリウッドスターなどのグローバルスタンダードとの競争を強いられる」と書いてあるのですが、元SMAPのメンバーのYouTubeでの活動は、まさにその先駆けとなりました。現時点では、ネット動画ならではの見せ方において、まだ既存のユーチューバーたちに一日の長があると思いますが、おそらく、技術的な差はどんどん詰まっていくはずです。
 岡田さんは、さらに「最適化されたAIユーチューバー」の出現まで予言しています。
 あまりに進化したAIは、人間の好みに合わせる、というより、人間を意のままに操っているように見えるのではなかろうか。


 いまのネットでも、新しいサービスやSNSが出ても、すでにネットで有名な人たちが先に居場所をつくってしまうので、なかなか新しい人が出てこられないんですよね。
 いま、ユーチューバーに憧れている子どもたちが、将来、ユーチューバーとして活躍するハードルは、ものすごく高い。
 僕の世代では、多くの人が堀井雄二さんに憧れてゲームデザイナーを目指したにもかかわらず、堀井さんに追いつき、追い越せた人はいませんでした。
 

 僕の未来予測はいかがでしたか?
 ワクワクする一方で、生き残っていけるか、食っていけるか不安になった人も多いのではないかと思います。
 じゃあここでは特別に、「残る仕事」ではなく、「生き残るための仕事の見つけ方」とお教えしましょう。
 その方法は、2つだけ。
 うまくやっている人の役に立つか、うまくやっている人の機嫌を取るか、どちらかです。
「なんだそれは!」と思いましたか? でも、仕事を突き詰めていったらそうなるんです。


 岡田さんが現在やっていることを考えると、なんだか手前味噌だな、と感じるところも多いのです。
 それでも、「同じ世界でみんなを幸せにする」よりも、「それぞれ別の世界で勇者になる」ほうが、ベンサムの「最大多数の最大幸福」に近いような気がするんですよ。
 本当に、身も蓋も無い話なんですが。


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