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【読書感想】マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する ☆☆☆☆

マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)

マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書 569)


Kindle版もあります。

マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書)

マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する (NHK出版新書)

内容紹介
話題沸騰! 若き天才哲学者の思想に触れる格好の入門書


著書が日本で異例の売れ行きを見せている“哲学界の新星"、マルクス・ガブリエル。2018年6月の来日時の滞在記録をまとめて大反響となったNHK番組「欲望の時代の哲学」を待望の書籍化。あのガブリエルが、誰にでも分かる言葉で「戦後史」から「日本」までを語りつくす! 世界的ロボット工学者・石黒浩氏とのスリリングな対論も収録。


 いま、この時代に「哲学」か……
 マルクス・ガブリエルさんの名前はよく耳にしますし、興味は持ちつつも、「哲学」というジャンルのハードルの高さに尻込みしていたのですが、この本は、取っつきやすそうだったので、読んでみたのです。

 うん、確かに、日本滞在中のマルクス・ガブリエルさんの言行なども書かれていて、僕にもスムースに読むことができました。
 ただし、自分が本当に正しく読めているのかどうかには、正直、自信はないけれど。

 「世界は存在しない」


 一昔前なら、こんなテーゼを耳にした多くの人は、一笑に付したことだろう。いや、今でもそうなのかもしれない。あるいは、いっそバブル絶頂の頃にまで遡れば、「面白いコンセプトだね」と喜ぶ人も少なからずいて、文化産業を標榜するどこかの企業が大々的にコピーに採用してくれたのかもしれないが。
 しかし時代はめぐり、社会の空気も大きく変わる中、平成も30年を越えて最後になろうという年に、この言葉の真意を真剣に探ろうという人々が増えている。
 発言の主は、ドイツの哲学者。マルクス・ガブリエル。


(中略)


 さて、冒頭の「コピー」に戻ろう。ガブリエルの思想を凝縮したこの言葉、いささか独り歩きした感があるが、もう少し続きがあり、後段までセットで理解しないと、本質を取り逃がす。


 「世界は存在しない。だが、一角獣は存在する」


 ますます謎めいてしまっただろうか? 「一角獣」、馬の体でねじれた一本の角を持つ、ヨーロッパの伝説の動物、ユニコーン。そんな想像上の生き物の存在も認める。だが、「世界」は存在しない、というわけだ。
 私たちはあるモノ、ある状況を、意味の場において認識する。だから、「存在する」ということは、その認識者によって「意味を付与される」ということでもある。だから、ある意味が付与されれば、想像上の存在であっても、私たちは様々な認識を持ち得る。
 しかし一方、「世界」を「すべてを包括する全体」と定義する時、「すべてを包括する全体」が、意味の場において認識されることはあり得ない。なぜなら、「すべて」を考える際に、その場もまた「世界」に含まれているはずなのであり、世界それ自体が、世界を含む場において認識される、ということはあり得ないのだから……。


 「世界は存在しない。だが、一角獣は存在する」
 こういう考え方って、アニメやマンガのキャラクター、「非実在青年」であっても、みんながそのキャラクターを「存在するもの」として認識していれば、それは「フィクションであっても、実在するものと同じ」だということなのかな、と僕は解釈したのですが、たぶん、それだと浅すぎるのだろう、とも感じています。
 マルクス・ガブリエルさんの思想は、この本を読んでいくと、なんとなくわかってきたような気分にはなるのですが、「わかった!」と言い切れないのも哲学というジャンルではあるわけで。


 読んでいて感じるのは、この人の思想の新しさというよりは、語り口の親しみやすさなんですよね。
 ソクラテス(について書かれた本)やヘーゲルハイデガーなどの、もはや「教養」とも言えるような哲学書(とはいえ、ちゃんと読んだことがある人は少ないはず)は、例示されている事物がこれらの大物哲学者が生きていた時代のもので、日本語への翻訳も何十年前にされたものがそのままで、2019年に生きている僕にとっては、やっぱり、「読みにくい」のです。
 とはいえ、読みやすさ重視の「超訳」みたいなものは、「本当に原書の内容に忠実なのだろうか?」と疑問に感じることも多いのですよね。
 ところが、マルクス・ガブリエルさんの話に出てくるのは、現代社会であり、コンピューターであり、僕も観たことがあるハリウッド映画なのです。

 いつもエイリアンが地球にやってきたらどうなるのかなって想像しているんだ。彼らは誰と話しに行くだろう? アメリカ人じゃないな。なぜかいつもワシントンに襲来して大統領に会おうとするのを発想してしまうけど、彼らがドナルド・トランプと話したいと思う? 僕はもし彼らがやってきたら、植物と対話したがると思うんだ。彼らは、植物が呼吸するために人間を利用していると考えるかもしれないからね。

遊星からの物体X ファーストコンタクト』っていうSFホラー映画を知っているかい? 素晴らしい映画なんだ。人間の姿をしたエイリアンが人々を襲い、人間たちは反撃に出る。だが、ある時点で気づくんだ。これが笑える瞬間なんだけど、「エイリアンは野菜だ」って気づくセリフがある。ニンジンみたいなんだ。銃で撃っても破壊できない。ニンジンを撃ってもニンジンはニンジンのままだ。全部、野菜なんだ。だから撃っても傷つけることができない。この映画を見れば、エイリアンは大統領より植物と対話したがると、みんな確信すると思うよ(笑)。


 このほかにも、『マトリックス』のネオは、ある種のウイルスであり、日本社会の文化的な壁や同調圧力ファイアウォール)が民主主義を押しつぶそうとするときには、人々はネオとなって、ファイアウォールに「ノー」と言うべきだ、とも仰っています。
 武器を手にとっての「革命」ではなく、ひとりひとりが自分の意思で、身近な同調圧力に「ノー」を突きつけるのだ、と。
 僕はこれを読みながら、村上春樹さんがイスラエルで行った「壁と卵」のスピーチみたいだな、と思ったんですよ。

 民主的な社会にいる個人として、相手がどの層にいるとしても、それを指摘するべきだ。偽の権威は壊していくべきだと思う。会社でも同じことだ。革命家になどならなくていいんだ。上司のところに行って、コーヒーをぶっかけろとは言っていない。それはアイロニーではなくて、クビになるだけだ。そんなことは言っていないし、コーヒーをかけるような行為に対しては、上司はあなたをクビにする権利がある。
 でもアイロニストの場合、違う形で上司の権威を壊し始めるんだ。もっとさりげなく、上司も民主的な社会の一部のわけだから、敵を社会的に殺すということではない。戦争でも革命でもないからだ。みんなが平等だ。ただ他人の権威を減らすことだ。彼らのことを笑う。権威をからかう可能性を生み出すことはとても大事だ。自分の生活における権威を笑うことができなければ、健全な民主主義社会は生まれない。


 こういう発言を追っていくと、たしかに「わかりやすくて、実生活にも取り入れやすい」のですよね。今の時代にもてはやされるのも理解できます。
 
 マルクス・ガブリエルさんは、哲学者としての立場から、現代のテクノロジーについても、積極的に言及しているのです。
 

 何ごとも関係なく重要でないように見えるが、インターネットでは、誰かをビデオゲームの中で殺しても問題ない。ただのビデオゲームだから。どうやら、あなたがインターネットで誰かに対してヘイトスピーチを書き込んでも問題ないらしい、なぜなら現実には思えないから。
 だから、僕らはすでにコンピューター・シミュレーションの中、もしくはSF映画の中に生きているような印象を受ける。これこそが金正恩を見て、人々が「これはSF映画なんだ」という印象を受けるであろうと指摘できる理由だ。なぜならある意味、金正恩ドナルド・トランプの両方が、SF映画の台本に従っているからだ。
 彼らは、僕らがすべてデジタルであるコンピューター・シミュレーションの中に生きていると考えてしまう事実を利用している。彼らはこの思い込みの事実を僕らに対して利用しているんだ。


 哲学って、「浮世離れ」しているというイメージを持っていたのですが、マルクス・ガブリエルさんは、「今」や「政治」について、積極的に発言を続けているのです。
 そういえば、ソクラテスも、当時の「権力」に屈しようとしなかったために、死刑になっているんですよね。
 僕には理解しきれないところも多かったのですが、「哲学」に興味はあっても、どこから入って良いかわからない、という人には、良いきっかけになる本ではないかと思います。


fujipon.hatenadiary.com

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

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