琥珀色の戯言

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【読書感想】将軍と側近 ☆☆☆☆

将軍と側近 (新潮新書)

将軍と側近 (新潮新書)


Kindle版もあります。

将軍と側近―室鳩巣の手紙を読む―(新潮新書)

将軍と側近―室鳩巣の手紙を読む―(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
時に将軍の振る舞いに戸惑い、時に老中のバカさ加減に憤る―。家宣・家継・吉宗ら徳川将軍三代に仕えた儒学者、室鳩巣。彼が残した手紙には、政権や社会への批判、皮肉、嘆き、賞賛、喜びが、素直に記されている。最高権力者である将軍と、取り立てられた側近、実務を支える官僚たちが織りなす世界は余りにも人間臭い。いつの世も変わらぬ生身の人間と政治の有り様を、新進の歴史学者が生き生きと描き出す。


 江戸時代の政治システムって、学校の日本史で習ったり、時代劇を観たりして、なんとなくわかっているようなつもりになっていますよね。
 でも、どんなふうに政治が行われ、将軍と老中、側近たちは、どのように役割分担をしていたのかをきちんと説明できる人は、ほとんどいないと思います。
 会社にサラリーマンとして勤務したことがない僕には、「会社員としての日常」が想像し難いように、現代人にも、「江戸時代の江戸城の日常」って、思い浮かべづらいのではないでしょうか。
 時代劇で採り上げられるのは「有事の際」の様子で、「普通に政務を行っている場面」って、ほとんど出てきませんし。


 この新書は、家宣・家継・吉宗という、徳川将軍三代に仕えた儒学者、室鳩巣さんの書簡集から、当時の幕閣の政治の情景を再構築し、紹介したものです。
 

 白石や鳩巣による幕閣の人物評も毒舌で、特に、老中土屋政直の俗っぽさが面白い。ほかにも、かわいらしい将軍家継の姿も見逃せない。幼少将軍を頂くと、政治はどのように動かされるのか、注目である。そして、何と言っても個性派将軍吉宗の存在に圧倒される。彼を支えた側近の一人が、御側御用取次の有馬氏倫。彼もまた、老中とぶつかり合うのである。
 なお、これらの時期の内、家宣、家継政権期について見ていくには、新井白石の『折りたく柴の記』の方が、読者の皆さんには御馴染みだろう。特に、白石の動向については、そちらを読み解く方が、簡便だと考える方もいらっしゃると思われる。しかし、白石が『折たく柴の記』を書き始めたのは、吉宗政権期となった享保元年十月四日のことで、白石が自らの幕府政治との関わりを回顧し、後世に残そうとする考えのもと執筆したものである。それに対して「兼山秘策」は、リアルタイムに、鳩巣が見聞きしたことをその都度書き送ったものであり、現代でいえば、前者は引退した政治家が晩年に書いた回顧録、後者は政治記者による日々の報道やそれを基にした政治学者の評論、ということになろうか。


 著者は、これが室鳩巣という「ひとりの儒学者の視点」であることを前提として、「その時代を生きた人のリアルな生の声」を紹介する、という意図で、この本を書いています。
 室鳩巣さんも、幕府内の儒学者の派閥争いの影響を受けていて、けっして「中立」ではなく、書かれていることには偏見や思い込みもあるのかもしれませんが、それも含めて読んでみる、ということなんですね。
 後日書かれた回顧録となると、まとまっている一方で、記憶が美化されたり、他者への評価もマイルドになったりすることもあるでしょうし。


 この新書のなかでは、老中どうし、あるいは、老中と側近たちの権力争いの様子が、けっこう生々しく描かれています。
 また「俗っぽい」と著者に書かれている老中・土屋政直が、「自分は先代将軍から大事にされていたし、年でもあるから、江戸城の当直を免除してほしい」と間部詮房にもちかけた話も出てきます。

 また、未だに、我々に宿直勤めがあるのは、相応しくない。若年寄がすれば十分であり、万一の事があった際にも、我々は御城の近くに在住しているのだから、間に合わないことはない。兎に角、我らを軽んずることは上様の御為にならないので、すぐに重んじられるようにしたい。決して自分たちのために言っているわけではないことを、分かってほしい。


 結局、間部さんはこの頼みを体よく断ることに成功しているのですが、老中という当時の権力者たちも、持ち回りで「当直」をしなければならなかったのだなあ、と、ちょっと微笑ましく感じたんですよね。
 たぶん、実際に老中に問い合わせなければならない緊急事態というのはほとんど無かったのではないかと思われるのですけど(だからこそ、土屋さんもこんな申し出をしたのでしょうし)、当時の50代とか60代というのはかなりの高齢でもありますし、「当直」はキツかったのでしょうね。
 

 また、『暴れん坊将軍』など、時代劇でのイメージも強い8代将軍・徳川吉宗の将軍就任時のこんなエピソードも紹介されています。

 再三述べているように、将軍側近は、あくまでも将軍個人に附属する立場であるため、仕える将軍が第一線を離れた際には、共に政権を去ることになる。よって、吉宗政権となり、側近が入れ換わった。間部詮房は雁之間詰、本多忠良は譜代大名並を仰せ付けられた。そのほか、そのほか、小性・小納戸は役を解かれ、残らず寄合組か小普請となったのである。
 代わりに吉宗の身近に仕えることになったのは、紀伊藩より随行した四十人余りの者たちである。吉宗が将軍に就任後も、紀伊藩は存続するため、一部の家臣のみ江戸城に入った。その点については、館林藩主時代、甲府藩主時代の家臣をすべて連れて江戸城に入った、綱吉や家宣と大きく違う。となると、当然、吉宗のお気に入りを選抜してきたと思いがちだが、そうではなかった。たまたまその日の当番だった者をそのまま連れてきており、誰かを抜きん出て使っているということもなかったようだ。


 こういう人の使い方というのは、きわめて「異例」ですよね。
 吉宗は当初、将軍職に就くことに消極的だったともいわれ、本人にとっても予想外だったのかもしれませんが、将軍となれば、「選抜メンバー」を連れていくのが普通ではないかと思います。
 紀伊藩も存続する以上は、有能な人を全員連れてはいけないでしょうけど、少なくとも「何らかの意図をもって選ぶ」はず。
 ところが、吉宗は、「偶然その日の当番だった人間を、そのまま連れていった」そうなのです。
 ものすごくおおらかな人だったのか、あえてそうしたのか……
 なんだか、底知れなさを感じる話ではありますね。
 僕はこういうエピソードを知ると、けっこう嬉しくなってしまうのです。
 歴史年表とか日本史の教科書には、載っていませんし。


 歴史好きには、かなり楽しめる新書だと思います。
 当たり前のことなんですが、歴史年表に出てくる名前の持ち主たちも、僕と同じ「人間」だったのだな、ということが伝わってきますよ。


将軍側近 柳沢吉保―いかにして悪名は作られたか―(新潮新書)

将軍側近 柳沢吉保―いかにして悪名は作られたか―(新潮新書)

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