琥珀色の戯言

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【読書感想】フーテンのマハ ☆☆☆


Kindle版もあります。

フーテンのマハ (集英社文庫)

フーテンのマハ (集英社文庫)

内容紹介
モネやピカソなど、美術にまつわる小説をはじめ、精力的に書籍を刊行する著者、その創作の源は旅にあった!? 世界各地を巡り、観る、食べる、買う。さあ、マハさんと一緒に取材(!?)の旅に出よう!


 『ジヴェルニーの食卓』『楽園のカンヴァス』などの「アート小説」で知られる原田マハさん。長年、美術館でアートに関する仕事をされていたそうで、どんな人なのだろう?と思っていたんですよね。
 このエッセイ集では、その原田マハさんが趣味というか生活の一部である旅行のことや美味しい食べ物のこと、そして、さまざまな画家や美術館のことなどを書いておられます。

 なあんて、ちょっとセンチメンタルに始めてみたが、なんのことはない、単純に「移動フェチ」なんです、私。
 「旅」と呼べるほどの極端な移動はもちろん、日常的にも移動が好き。近所のスーパーやバス停までの移動も楽しい。ふと気づいたのだが、毎日、家の中でも椅子やクッションの位置をけっこうまめに移動している。これもフェチゆえの性かもしれない。
 東京郊外に住んでいるのだが、週に一度くらい、都心への「移動」を楽しむ。車中では、本を読んだり居眠りしたりなど絶対にしない。電車やバスの中は、たくさんの人々の日常を垣間見る絶好のチャンス。車両を見渡して人間観察をする。実にさまざまな人がいる。ヘンなおじさんや不倫カップルをみつけるのも得意だ。ちなみに電車内の不倫カップル観察はかなりおもしろい。人目を避け、時間を惜しんで密会するふたりにとって電車はもはや自分たちの部屋。いい歳をした女性が、「やだぁ~もっと一緒にいたいんだもんっ!」とか言って、もっといい歳をしたおっさんの耳たぶをぎゅうっと引っ張ってるのを見たこともある。こういう場面に遭遇すると、やっぱ移動って奥深いよなあ……と、つい感慨に耽ってしまう。


 原田さんは、「一か所にじっとしていられない人」みたいなんですよ。僕も交通機関での移動はけっこう好きで、それは本を集中して読むのにすごく良い環境である(もちろん満員電車ではそれどころではないので、空いていれば、なんですが)、という理由なのです。
 原田さんのように「移動中は眠らない、読書もしない」というのは、まさに筋金入りの「移動フェチ」あるいは「人間観察好き」なのでしょうね。


 この本のなかには、原田さんの長年の旅仲間の女性がしばしば登場しているのですが、50代半ばになっても、こうして一緒に旅行いてくれる友達がいるというのは、すごく羨ましい。
 そんな生活、独身だからできるのだろう、と思いきや、原田さんには夫がいて、旅先から送られてくる「みやげ物」を嫌な顔ひとつせず(かどうかまではわかりませんが)、家で受け取ってくれているそうです。

 後日、自宅に届いた特大のダンボールが二箱。そこから出てきた大量の安藤作品と大量の座ブトンを発見して、夫がどれだけ驚いたことか。「お前は岐阜県まで座ブトンを買いに行って来たのか……」とさすがにあきれ果てていた。だってシブいベージュの麻のカバー付き、ちょっと横長の小さめサイズ……こんなにおしゃれな座ブトン、なかなか出会えないよ! と反論したが、座ブトンなんかに出会わなくったっていい! ってことのようです、はい。


 たしかに、旅先から座ブトンが大量に送られてきたら、「何なんだこれは……」って思いますよね。
 まあ、これはこれで、夫のほうも自由にできる時間が増えて良いのかもしれませんね。こういうのは、お互いの考え方とか相性だし。
 

 原田さんが別府の鉄輪温泉で見つけた、究極のおばさんの殿堂『ヤングセンター』の話。

 入口で1300円払い、劇場へ向かう。劇場の入り口でさらに100円払うと座布団を貸してくれる。座イスは座布団とセットで一日借りて300円だそうだ。観客席は桟敷になっていて、好きな場所に座イスや座布団を置いて席を確保する。かぶりつきで観たい人はきっと早くから陣取っているんだろう。満員になれば1000人くらいは入るんじゃないかという感じ。寒い季節の平日の昼間にもかかわらず、一階アリーナ席にはおばさんたちがぎっしり。右を見ても左を見ても、前も後ろも、んもうおばさんおばさんおばさんおばさん、おばさん一色。ちらほらと見えるおじさんがちょっとかわいく見えてしまうほどだ。中央の舞台にはここぞとばかりにスポットライトがガツンと当てられて、泣かせの場面の真っ最中。演目はどうやら母子モノ。ならず者の主人公が故郷に帰ってきて、やっと会えたお袋さんの胸の中で絶命する場面。デスメタルのライブ級の大音量でド演歌が流れる。「おっかさァァん」と一声叫んで虚空にぶわぁっと水を吐く主人公(どうやらこの水は血のメタファーらしい)。やんややんやの拍手喝采。いやあ、すごいのなんの。何がすごいって、おばさんが。これが日劇か帝劇なら、ラストシーンでは観客は微動だにせずに呼吸も止めて、役者の一挙手一投足に注目するだろう。ところがここヤングセンターでは、かぶりつきで芝居の行く末を見守る正統派観客はもちろんいるものの、おばさんたちは立つわ座るわ、トイレに行くわ売店で牛乳を買うわ、しゃべるは寝るわ、とにかく好き勝手。もちろん劇場も役者も心得ていて、「座ってください」「お静かに」てなことはいっさい言わない。何しろトイレも売店も桟敷席のすぐ隣にあり、トイレが近いお年寄りにも飲み食いしながら娯楽を楽しみたいおばさんにも優しい劇場なのだ。究極のバリアフリー劇場がこんなところにあったとは。


 都会の小劇場をチェックしている「演劇マニア」は眉をひそめるかもしれませんが、僕はこれを読んでいて、「世の中には、僕が知らなかったニーズと、それに合わせたサービスがあるものなのだな」と感心してしまいました。
 映画を観ているあいだ、トイレを我慢できるかちょっと心配になってしまう僕としては、このくらい「ゆるい雰囲気」というのも、みんなが了解している状況ならば、けっこう楽しそうだと思うのです。
 一度、この『ヤングセンター』を、こっそり覗いてみたいものです。


 福岡での講演の際に、猛吹雪になったときの話もありました。

 ところで、福岡市が美術館の閉鎖を決定する基準はなんなのか。積雪30センチ以上とか、風の強さが何メートル以上とか、そういうことなのだろうか? 晴れ女としては威信をかけて風雪対策を練らねばなるまいと思い、山口さんに閉鎖基準を尋ねたところ、意外いる答えが。
西鉄バスが動いているかどうかです」
 福岡の主力公共交通機関西鉄バスと美術館は命運を共にするという事実。私はストーブにあたりながら天を仰いだ。おお西鉄バス
動いておくれ。講演会の行く末はバスに握られた……!
 翌日、福岡市内は猛吹雪となった。が、美術館の門は開かれた。なぜなら西鉄バスがちゃんと運行したからである。そしていちばんすごかったのは福岡市民の皆さん。大寒波にも負けず、続々と講演会に来てくださったのだ。私は心底感動した。そして、130年以上まえに大寒波がパリを襲ったそのときにこそ、モネは、風景は時々刻々と変化するのだと気づき、独自の画風を見出したことを、ありったけの熱をこめて語った。


 これを読んで、東京の人は「ネタだろう」と思われるかもしれませんが、本当にそうなんですよ福岡って。西鉄のバスと電車の影響力がものすごく大きい。

 原田マハさんの小説のファンにとっては、作品が生まれた背景がわかって、より楽しめるエッセイ集だと思います。
 

楽園のカンヴァス(新潮文庫)

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暗幕のゲルニカ

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