琥珀色の戯言

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【読書感想】戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
15世紀以来、スペインやポルトガルキリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を展開。16世紀にはアジアにまで勢力を広げました。本書は史料を通じて、豊臣秀吉徳川家康伊達政宗らとヨーロッパ列強との虚々実々の駆け引きを再現します。秀吉はなぜ朝鮮出兵したのか、家康はなぜ鎖国へ転じたのか、政宗はなぜ遣欧使節を送ったのか、そして日本が植民地にならなかった理由は――。日本史と世界史の接点に描かれるダイナミックな歴史像がここにあります。


 日本へのキリスト教の伝来から、宣教師たちの布教活動、そして、キリスト教禁止令から鎖国、という歴史の流れについて、僕は「古来の日本の宗教との兼ね合いから、異物を排除した」というような理解をして、それに疑念を抱くことがなかったなあ、と、この新書を読みながら考えていました。

 この本を読むと、これまでの僕のイメージよりもずっと、戦国時代の日本の為政者たちは、大航海時代のヨーロッパの国々のことを知っていて、貿易による経済的なメリットと彼らによる侵略のリスクを天秤にかけて、外交政策のかじ取りを行ってきたのだ、ということがわかります。

 
 そして、歴史には、いろんな解釈のしかたがあるのだ、ということも考えさせられるのです。

 なぜ秀吉は朝鮮に出兵したのか。歴史学界では諸説あるが、基本的に支持されているのは、全国平定を成しとげた秀吉が海外の領地を求めて一方的に侵略したという解釈である。なかには秀吉の狂気のなせるわざだという評価もある。これをうけた一般のドラマや小説でも、秀吉の異常な振る舞いとして描かれることが多い。
 ところが秀吉関係の文献をよくみると、彼は朝鮮出兵のかなり前から明国制服や南蛮(東南アジア)・天竺(インド)の征服まで構想していたとある。たんに領土拡張が目的であれば、まず最初に、隣接した朝鮮の征服構想が出てくるはずだが、不思議なことに、それより遠い明国・南蛮・天竺の征服構想のほうが先に出てきていた。それはいったいなぜなのか。そうした素朴な疑問が本書執筆の出発点である。
 そこで改めて諸種の文献や史料を検証したところ、秀吉は朝鮮出兵の前後にスペインのフィリピン総督に対して服属要求の書簡を送っており、インド・ゴアのポルトガル副王に対してもキリスト教布教の禁止を通知していた。しかも、フィリピン総督への服属要求は一度だけではなかった。きわめて激しい言葉で、スペインによるルソン諸島の征服を批判した秀吉の書簡もある。


 秀吉は、朝鮮出兵に際して、フィリピン総督ポルトガル副王にまで、明国征服の意思を伝えていたそうです。
 いまの時代から当時の世界情勢を俯瞰してみると、秀吉は誇大妄想に陥っていたのだろう、と考えてしまうのです。
 しかしながら、当時の情勢をみると、イエズス会の布教によって、日本にキリスト教徒が激増するのと同時に、スペイン人やポルトガル人が日本人を奴隷として東南アジアやインドに売買しており、キリシタン大名を動員して、日本をキリスト教国化しようとする動きもありました。
 秀吉は、彼らがアジアに進出してくる前に、こちらから打って出ようとした可能性もあるのです。
 もちろん、そのために朝鮮を侵略したことについては、現地での蛮行や、侵略が大失敗に終わったこともあり、けっして称賛すべきことではありませんが。
 ただ、朝鮮出兵によって、諸外国から、「日本という国は侮れない」と怖れられるようになった、というのも事実ではあるようです。
 それが秀吉の本来の目的であったのか、結果としてそうなったのかはさておき。

 こうした秀吉の振る舞いは、スペインの前線基地マニラに恐怖感を与えた。朝鮮出兵や明の征服計画を誇示し、さらにマニラ服属要求などを突きつけてくるのだから、スペイン側はメキシコやペルーなどのように簡単に日本を征服できないことを次第に認識していくことになる。つまり秀吉の国際的な軍事行動や強硬外交は、スペインの日本征服計画を強烈に牽制し、抑止する効果を発揮したのであった。秀吉以前までポルトガルとスペインの勢力では布教・武力征服論が盛んだったが、秀吉段階ではそれが不可能であることを悟った。その結果、後述するように家康段階では武力征服論を放棄し、布教によるキリスト教化をとおして日本支配の実現をはかる戦略へと大幅な転換を余儀なくされるにいたったのである。


 だから朝鮮出兵には意義も価値もあった、とは言い難いものがありますが、結果として、スペインやポルトガルから「侮られなくなった」のは事実ではあるのでしょう。
 
 この本のなかで興味深かったのは、徳川家康の晩年の伊達政宗との駆け引きを描いたところでした。
 キリスト教を禁じる命令を出した家康と、支倉常長を派遣して、伊達領での布教の許可と貿易を求めた政宗。同じ国のなかで、矛盾したメッセ―ジをヨーロッパに送ることになったのですが、政宗は家康との合意のもとに、支倉常長を派遣していたのです。
 まだ豊臣秀頼が大坂にいた時代の家康の力は、けっして盤石のものではなく、政宗を敵に回すのは避けたい、という思惑もあったのです。

 支倉使節の派遣にあたって、政宗と家康は伊達領を布教特区とすることで貿易船の誘致ができるかもしれないと考えていた。幕府の禁教姿勢と政宗の容教姿勢とが折り合いをつけて、スペインとの交渉に臨む奇策だったといってよい。だが、丸ごとの日本支配を期待するスペイン政府やローマ教皇庁からすれば、とても受け入れられる提案ではなかった。だからといって、禁教メッセージを発する徳川政権とは異なる立場の支倉が、日本全国の布教を可能にするために帰国して努力する、といった発言をすることはできなかった。それが伊達大使としての支倉の限界だった。だからこそ苦悩を深めたのである。
 支倉出発前に折り合いをつけたはずの伊達政宗の容教姿勢と徳川幕府の禁教姿勢は、ヨーロッパでその矛盾を露呈することになった。スペイン側には、どうしても貿易がしたい日本は、きっと妥協してくるに違いないという読みもあったのだろう。だが、このころにはオランダとイギリスが幕府の要路に食い込んでおり、スペインとの貿易にこだわらなくてもよい国際条件が出現していた。そのことが徳川幕府に禁教姿勢を強めさせることを可能にしたのであった。


 その後、大坂の陣で豊臣家を滅ぼしたことにより、徳川家と伊達家は一触即発の関係となっていくのです。
 そんななかで、家康は政宗を試し、その危機に対して、政宗はどう行動したのか。

 豊臣秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのかという謎解きは、ポルトガルとスペインによる世界分割支配体制に対抗するためだったという、思いもかけない結論を導き出した。本書で示したように、秀吉関係史料がその根拠となる。16世紀戦国日本における東西接触がもたらした結果であった。朝鮮出兵は日本にとって侵略という負の遺産だが、そこで発揮された日本の国力が日本の植民地化を防いだという、その後の流れにもつながった。のちに徳川政権が強力に展開した貿易管理と出入国規制も、その延長線上にある。朝鮮出兵を朝鮮・明国と日本の関係だけでなく、ポルトガル・スペインの動きと関係づけることでみえてきた歴史の因果関係だった。
 本書では、秀吉による「唐・南蛮・天竺」征服構想を、ポルトガルも併合して世界最強国家となったスペインに対する、東洋からの反抗と挑戦だと評価している。そのあらわれが朝鮮出兵となった。だが隣国を蹂躙した歴史は、本書で解明した世界史レベルでの因果関係とは別に、真摯に受けとめる必要がある。


 この本を読んでいると、キリスト教やスペイン・ポルトガルとの貿易というのも、それぞれの国を富ませるための武器となりうるものであり、有力な武将たちは、それを駆け引きの材料として利用していたのだということがわかります。
 「鎖国」「禁教」とはいうけれど、当時の日本にとって、ヨーロッパ諸国は、けっして「よく知らない、遠い存在」ではなかったのです。
 もちろん、実際に現地に行ったことがある人は、ごくわずかだったのだとしても。


キリスト教と戦争 (中公新書)

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秀吉の朝鮮侵略と民衆 (岩波新書)

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