琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】その落語家、住所不定。 タンスはアマゾン、家のない生き方 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
身一つで世界中の落語会を飛び回る、家さえ持たない究極のミニマリストである著者が、自らの生き方哲学と実践を初めて明かす。


 堀江貴文さんが、特定の「家」を持たずに、ホテルを転々として生活している、というのを以前、聞いたことがあるのです。
 ただ、堀江さんの場合は、お金持ちだから、そういう生活ができるんだよな、と僕は思っていたんですよね。
 やっぱり、ホテル住まいとなると、お金もかかるし、自分の家や部屋に比べると、落ち着かないような気がします。
 いつも綺麗に掃除してもらえたり、新鮮な気分になれる、というメリットはあるかもしれないけれど。

 この本の著者である立川こしらさんは、立川志らくさんの弟子で、立川流の真打の落語家です。
 真打というのは、落語家の世界では一人前と認められている存在であり、こしらさんも、落語で食べている人なのです。
 読んでいると、落語だけではなくて、さまざまな「サイドビジネス」にも手を出していて(とはいっても、「あやしげなネットサロンやねずみ講みたいなものではないのですが)、落語の仕事+ネットやパソコンの知識を活かしての小商いで、いろんな場所を移動しながら生計を立てている、という感じ。
 そうか、今の世の中、こんな生き方もできるのだな、と思いながら読みました。
 もちろん、同じ会社に週5回とか6回通うような人生であれば、定住したほうが、気分的にも、コストの面でもラクだとは思うのですが、こういう「移動生活」のほうがストレスから解放される、という人も少なからずいるのではなかろうか。
 

 昨夜、VPC(ネットワーク越しに借りている海外のパソコン)でエンコード(映像などアナログ情報をデジタル情報に変換すること)をかけていた動画ができあがっている。
 スマホにダウンロードして、荷造りをして米沢駅へと向かう。
 ノートパソコンを持ち歩くことはない。小さく軽く高性能と言われても、ノートパソコンはデスクトップのパソコンには敵わない。それならばいっそのこと、デスクトップを持ち歩くほうが粋である。VPCのサービスとスマホはそれを可能にしてくれるのだ。


 新幹線で東京へ向かう車内で、未完了だったモバイルバッテリーの充電を行い、アマゾンで下着と、私のオリジナルグッズ(手拭い)を注文する。送り先は次の仕事先である名古屋だ。
 品物は名古屋へ、私は大阪へと向かう。


「寝るためだけに家に帰ってるようなもんだよ」
 こういう忙しい人をたまに見かける。
 私は睡眠時間の大半を移動中にまかなっている。眠くなったら移動するのだ。新幹線でも飛行機でもいい。
 何日も前から予約すると安くなるというチケットがあるが、私からすると安くない。行動を縛られてしまうことの機会損失の方が、よっぽど痛手である。
 どこかに行きたい、誰かに会いたい、何かを食べたい――。
 何でもいいのだ、わずかでも湧き上がる衝動があれば、それこそが道標になるのだから、素直に従えばいい。文明に圧迫されている今だからこそ、わずかに残る本能を掘り起こさなくてはいけない。
 それもこれも、家を持たないからこそ選択肢が広がるのだ。
 場所に縛られない大きな要因は、インターネットの充実だ。
 しかし、気軽にネット通販が利用できるからといっても、そこには人の気持ちが存在する。
 落語会で「アマゾンでネット注文してくださいな」とオリジナル手拭いの宣伝をするより、会場で直接手売りする方が興味を示してくれるのだ。
 そこは品物でなく、心と心の触れ合いだから。
 在庫はアマゾンの倉庫(正確にはフルフィルメントセンター)に置いておけばいい。そしてそこから必要な分だけ引き出せばいいのだ。
 陳列販売と在庫管理を同時にこなせるのは、通販の発達と、日本の配送システムが優秀だからこそだろう。


 大阪に到着して、Airbnbで近そうな宿を予約する。
 夜は、落語会だ。
 それまでの時間、喫茶店で仮想通貨の値動きをチェックしたり、ネットゲームをやったりして息抜きの時間を積極的に作る。
 この「息抜き」も仕事につながっていくのが私の特性だ。
 仮想通貨研究家としてラジオ番組(文化放送)に呼ばれたりするから、息抜きも大切なのである。


 著者のなかでは、仕事と息抜き(遊び)の境界が曖昧というか、ある意味、すべてが仕事になっている、とも言えるのです。
 僕自身は、電車や飛行機の中では、なかなか寝付けず、眠っても疲れが取れないので、こういう生活は、ちょっと難しいかな、とも思うのですが。

 こしらさんは、食事はすべて外食で、地方に滞在しているときも、「ファミレスやコンビニで良い」と仰っています。「食に対するこだわりが皆無」というのが最大の武器だと思っているそうです。

 読んでみると、今の世の中というのは、ネットの発達もあって、定住しなくても十分に生活できる、ということがわかります。
 ただし、それには自分のスケジュール管理をきちんと行うことができるマメさ、衣食住へのこだわりのなさが求められるのです。

 私はタンスを持たない生活を送っている。私にとってのタンスはアマゾンだ。必要な衣服だけ注文して、使ったら捨てる。選択だってほとんどしない。定住してるわけではないので荷物は最小限だ。
 このように衣服を減らせると最小限の単位が変わってくる。着替えに自分の人生をどれだけ左右されていたかがよくわかるのだ。
 次に泊まる予定のホテルに、アマゾンから衣服が届いている。今日までの服はそこに脱ぎ捨てて、新たなシャツで次の仕事場に向かうのだ。
 アマゾンタンスもこなれてくると、新しい使い方が見えてくる。
 下着はこまめに買うことになる。ならば大量に買えばいい。探せば中国の業者が安く出していることがある。この時にまとめ買いをして、アマゾンの倉庫に全ての在庫を送っておくのだ。
 そしてアマゾンに売り物として出品する。買った時の倍ぐらいの値付けでいいだろう。もう、こんなのは適当である。
 この下着を自分で買うのだ。ついでに誰かが買ってくれるかもしれない。
 これは商売ではない。だから利益率とか考えなくていい。うまくいけば小遣い稼ぎぐらいにはなるかも……程度でいいのだ。


 衣類に関しても、落語で使う着物は、各地のレンタルスペースなどを利用し、普段着はネットで買って泊まる場所に送ってもらい、着たあとは、持ち歩かずにそのまま捨ててしまうことも多いのだとか。
「持たない生活」にもいろいろあって、「少ないものを丁寧に使う」というやりかたもあれば、どんどん使い捨てにしていく、という方法もある。
 後者は、僕には、「もったいない」と感じもするのです。
 それでも、衣類というのは、たしかにかさばるんですよね。これを持ち歩かなくて済むならば、移動するときの荷物は、たしかに、だいぶ減るのだよなあ。

 この本を読んでいると、こしらさんのスタイルでの「持たない生活」というのは、「自由」ではあるけれど、さまざまな日々のスケジュール管理を自分で行っていかないと、行き詰ってしまう可能性も高いのです。
 こういう生き方そのものが、こしらさんの「芸」であり、「実験」なのかもしれません。


 こしらさんは、アニメやゲームが大好きで(「気持ち悪いぐらいアニメを観るし、ゲームをやる」そうです)、それを自分の落語にも取り入れているのです。

 例えば「死神」という落語がある。死神と契約して医者になる力を手に入れるという筋書きだ。
 そして、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメがある。インキュベーターと契約して魔法少女になるという筋書きだ。
 何という親和性だろう。
 これはもう、同じ話なのではないだろうか。
 両者とも話の大筋は、主人公はリスクを取って大きなリターンを得る、しかし、このリスク部分に関する説明の多くが未知数、というもの。リターンの大きさに伴ってリスクが変化するというテーマまでもリンクしてくる。だから細かい設定をいじるだけで、「死神」が「まどマギ」になってしまうのだ。
 これをやらない手はない。
 パクリではない、リスペクトだ! 
 わかる人(「まどマギ」を知っている人)だけがより楽しめるという構成で、私は「死神」という落語をやっている。
 このように私は、わかる人だけがより楽しめるというスタンスで、落語を作っている。改作のネタには事欠かない。好きな作品は無数にあるのだ。それらを組み合わせていけばいい。


 面白そうだな、これは。
 と僕は思ったのですが、古典落語好きには、あまり評判がよろしくない、とのことでした。
 いや、それが良いとか悪いとかじゃなくて、自分が知らない話をベースにされてしまうと、知らない人にとってはつらいですよね。
 僕はこしらさんより少しだけ長く生きているのですが、最近はテレビゲームとかマンガの知識が、ごくあたりまえのように「常識」として扱われ、さまざまなコンテンツで利用されていることに感慨を抱いています。
 僕が子供の頃は、「テレビゲームは不良がやるもの」だったのになあ、って。


 こしらさんの生きざまそのものが、ひとつの「芸」であり、真似はできないけど、楽しく読むことができました。
 「家がなくても幸せそうに生きている人がいる」
 そういう人の存在を知っているだけでも、心のセーフティネットになるのです。


死神

死神

落語家のようなもの: 立川こしら論

落語家のようなもの: 立川こしら論

落語進化論(新潮選書)

落語進化論(新潮選書)

アクセスカウンター