琥珀色の戯言

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【読書感想】寂しい生活 ☆☆☆

寂しい生活

寂しい生活


Kindle版もあります。

寂しい生活

寂しい生活

 アフロの自由人・稲垣えみ子が語りかけるように描く、『魂の退社』に続く第2弾!


 会社を辞め、大切なものと別れ、一人ぼっち・・・・。
それがどーした!


 『魂の退社』は「退社」をメインにした内容だったが、今回の『寂しい生活』は「退社」以降、あらゆるしがらみと別れを告げた著者の日々の生活、日々の思いを歳時記的につづったもの。
アフロのイナガキさんの『魂の退社』その後の物語。

 電気代は月150円、洋服は10着、質素な食事、最大の娯楽は2日に1度の銭湯・・・・。
そんな著者がいかにして家電製品たちと縁を切ってきたか。寒い冬、熱い夏をどうやって過ごしているか。
自然や季節を体感する暮らし、ものを捨てた後のスペースにこれまで気づかなかったいろいろなものが入り込んできて感じる豊かな気持ち、そういった著者にしか実感できない自由と充実感をシンプルな言葉でつづった稲垣哲学。


 「アフロ記者」こと、元朝日新聞記者の稲垣えみ子さんが、退社後の生活を書いたものです。
 稲垣さんが、朝日新聞という大きな会社をやめるまでの経緯は『魂の退社』という本で読めます。


fujipon.hatenadiary.com


 この稲垣さん、会社を辞めて「フリー」になったあと、どうされていたのかというと、なんだか「ミニマリスト生活」「断捨離」にハマっておられたようなのです。
 なかでも、原発事故を受けての「節電」に対する徹底ぶりには、読んでいて唖然とさせられます。
 独身で、会社をやめてフリーだから、こういう「節電に特化した生活」を送れるのではないか、とも思うんですよね。

 妙な暮らしをしている。
 きっかけは原発事故であった。あまりの惨事に、我々は原発がなくても生きられるはずだと勝手に節電を始めた。恐る恐る家電製品を手放し始めたら止まらなくなった。最後には冷蔵庫も洗濯機もテレビも捨て、ついには会社員という地位も手放し、築50年近いワンルームマンションへ引っ越しを余儀なくされ今に至る。
 その暮らしと言えば、電気代は月150円台、洋服も靴例のフランス人レベル(10着)しか持たず、暑さ寒さはただ甘んじて受け入れ、日々の家事は手足と試行錯誤でこなし、食事はカセットコンロで炊く飯と味噌汁と漬物。さらにはガス契約もやめてしまったので二日に一度の銭湯が最大の娯楽という体たらくの独身51歳である。


 電気代、月「150円」ですよ!
 これ、1500円の間違いだろ、と思われたかもしれませんが、百五十円です。
 これを読んでいると、「日常生活のひとつひとつの手順を大切にする」というのは、たしかに大事なことかもしれないなあ、と考えさせられるんですよ。
 しかしながら、僕の心の8割くらいは、「新聞社の仕事をリタイアして暇になった人が、次の趣味として、節電、ミニマリスト生活に凝りまくっているだけではないのか」という美しくない感情で占められていたことを告白しておきます。
 電気温水器を使わずに、近所の銭湯に行く、という話などは、銭湯に行くのが隔日とはいえ、「電気温水器使ったほうが、かえって安上がりなんじゃない?」とも思いましたし。
 いや、高い安いじゃなくて、原発でつくられる電気がなくても暮らせるようにするんだ、と言うことなのかもしれないけれど。
 僕自身も、あの東日本大震災直後には、「自分がいま所有しているものの殆どを失ってもいいから、なんとか自分と家族と被災地の多くの人の命が助かりますように」って、願っていたんですよね。
 喉元過ぎれば、熱さを忘れる。


 そして、インターネットの普及もあって、「所有する」ということの概念が変わってきていると僕も感じています。

 例えば冷蔵庫。外からプラグを引き込むことで、外に出なくても家の中で全てを完結させようとした冷蔵庫という存在は、実はいつだってやめられるんだ。家の外にある冷蔵庫、つまりはスーパーやコンビニの冷蔵庫を使わせてもらうって考えれば、何も家で籠城するかのように食品をため込むことはない。外に大きな大きな冷蔵庫を所有しているんだよすでに我々は!
 風呂だってそうだ。都会にはまだ銭湯がある。もし歩いて行けるところに銭湯があるなら、それがあなたの風呂と考えたっていいじゃない。そうなれば特大風呂付きの温泉旅館に住んでいるみたいなもんだよ。お風呂屋さんという専門家が、掃除もしてくれるし最高にイカしたお湯も沸かしてくれる。近所付き合いも広がる。それで460円って、スタバでラテを飲むことを思えば決して高くないよ。

 こうして「所有することがリッチなのだ」という思い込みから離れると、すべてが違って見えてくる。プラグを外してみると、家の内と外という考え方がバカバカしくなってくる。所有じゃなくて、シェアするという考え方を軸に据えると、家電製品だけじゃない、これまでため込んできたあらゆるモノと自分の関係も変わってくる。


 正直、映画のDVDや本の所有に関しては、僕も最近ようやく少し割り切れてきて、家に置かずに、観たいときにTSUTAYAで借りればいいか、とか、読みたくなったら、Amazonで取り寄せればいいや、と思うようになってきました。
 とはいえ、まだ所有ゼロには程遠い状態ですが。
 そして、稲垣さんの話を読んでいて痛感するのは、便利さというのは、追いかけていってもキリがない、ということなんですよね。
 僕の母親の実家は旧い農家で、トイレが家の外にあったんですよ。夜、トイレに行くときは本当に怖かった。
 それを考えると、マンションで10歩くらいでトイレまで行けるのは快適なのだけれど、酔っぱらって夜寝ているときに尿意を感じると、その10歩ですら「行くのめんどくさいな」と思うわけです。まあ、行きますけどね(中には、ペットボトルを部屋に常備しているツワモノもいるそうですが)。
 便利さや近さに慣れると、なかなか不便な生活には戻れない。
 そもそも、僕の場合は、銭湯や温泉での「裸の付き合い」みたいなのが苦手なんだよなあ。
 なるべく他人との接点を減らすことができるようになっただけでも、テクノロジー万歳!とか思ってしまうのです。
 モノがない生活というのは、けっこう、コミュニケーション力を求められる。


fujipon.hatenadiary.com


 とはいえ、この「便利さ」がどこまで本当に必要なものなのか、という疑問は、僕も理解できるような気がするのです。

 『朝日新聞』「すべてがネットにつながる時代(ニュースの本棚)」2016年2月21日


「1969年の誕生以来、私たちの暮らしや仕事に必須となったインターネット。この便利なツールが今、新たなフェーズに突入しようとしている。それが『Internet of Thing (IoT)』、つまりすべてのモノがインターネットにつながる時代だ」


「例えばペンや時計、あるいは衣服やメガネなど見慣れた日用品が極小のコンピューター・プロセッサーを内蔵し、これらが通信ネットワークとつながることにより、互いに連係して私たちに奉仕するようになる」


「手ごわいのは標準化だ。例えばIoTの一例として『外出先から帰りがけにスマホで自宅のエアコンをつける』状況が考えられるが、ユーザがそれらの製品を同一ブランドで統一することは珍しい」


 これを読んで素直に「すごい!」とは思えない私がいるのです。いろいろなものが「私たちに奉仕するようになる」……それが当たり前に良いことのようにおっしゃっておられますが、そもそもこれ以上私たちは何かに奉仕をされることを望んでいるのでしょうか? また望んでいたとしても、それを実現することが人々の幸せにつながるのでしょうか?
 つまりはこれ以上、我々は欲望を解放させければいけないのでしょうか。物事には限界があります。それでいいのではないでしょうか。限界があるからこそ、人は今この時を一生懸命生きようとするのです。限界を超えてなんでもできるようになる必要なんて本当にあるんでしょうか。で、そこまでしていったい何がしたいのかと思いきや、「外出先から帰りがけにスマホで部屋の外からエアコンをつけたい」と。
 いやー、ちっちゃすぎる!
 人の幸せって本当にそんなところにあるんでしょうか? そうなれば人は本当に今よりも豊かになれるのでしょうか? もしそうならば、私たちは今、なぜこれほどまでに便利を獲得しつつも不平と不満と怒りにまみれて生きているのでしょうか?


 たしかに、「別にそこまでしなくても良い便利さ」が目立ってきているような気はするんですよね。
 このエアコンの話は、朝日新聞の人が挙げた例が悪すぎるのではないか、とは思うのだけれど。
 もう、このくらいで十分なのではないか、と僕も思うことは多いのです。
 でも、若者たちや自分の子どもたちが、どんどん新しいテクノロジーを取りいれて、「もっともっと」と期待しているのを見ると、「このくらいで進化の限界だ」とか「下山の思想」なんていうのは、技術の限界というよりは、われわれが年をとって、新しいことをやるのがめんどくさくなってきただけなのかもしれないな、とも感じます。
 これまで、技術の革新や豊かになっていく日本の恩恵をさんざん受けてきた僕が、自分が年長者になったとたんに、若い人たちには「足るを知れ」とか説教するのは、あまりにも厚顔無恥なのではないだろうか。
 いま、袋小路だと思い込んでいる世界は、未来の人からみれば、上がっていく階段の、ちょっとした踊り場にしかすぎないのかもしれません。


 「僕はやっぱり、ミニマリストって苦手だなあ」という結論になってしまって、申し訳ない。
 たぶん、感化される人も少なからずいると思いますし、できる範囲での節電というのは、大事なことだとはわかっているのですが……


魂の退社―会社を辞めるということ。

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ぼくはお金を使わずに生きることにした

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