琥珀色の戯言

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【読書感想】一発屋芸人の不本意な日常 ☆☆☆☆

一発屋芸人の不本意な日常

一発屋芸人の不本意な日常


Kindle版もあります。

一発屋芸人の不本意な日常

一発屋芸人の不本意な日常

内容紹介
「テレビ局に、入れません」
自ら「負け人生」と語る日々をコミカルにつづった、切なくも笑える渾身のエッセイ。
ある日は地方営業でワイングラスに石を投げられ、ある日はサインをネットで売られる。またある日はファンでもない人からゴミにサインを書いてと頼まれ、たまのキー局の特番では一言もしゃべれずひな壇をあとにする……。
ヤフートップニュースを幾度も賑わわせたwithnewsの大人気連載が、大幅改稿・加筆されて待望の書籍化!
なりたい自分になれなかった、すべての人へ


 髭男爵山田ルイ53世さんの著書。
 山田さんには、『一発屋芸人列伝』という著書もあります。
 山田さんの執筆活動を追っていると、浅草キッド水道橋博士を思い出すというか、本来はルポライターや作家の資質を持っていた人が、芸能界に入って、売れたがために、「バードウォッチャーが鳥になってしまった」ようにも見えるのです。
 
 山田さんにとっては、「一発屋芸人」というのは、もちろん「不本意」なところはあるのでしょうけど、ルポライター山田ルイ53世にとっては、自分自身を観察して書けるというメリットもあるのではなかろうか。
 

 一発屋の朝は早い。我々の職場が、都内のスタジオ、つまりテレビ局にはないからである。
 そこは売れっ子の皆様で、すでに満席。結果、一発屋が向かうのは、東京から遠く離れた地点となる。俗にいう”地方営業”というやつだが、自然、起床時間も早くなる。毎日というわけではないが、朝4時起きなどという日も結構ある。
 その生活サイクルは、もはや魚市場で働く仲買人の方々とほぼ同じ。
 当然、移動も多い。我々が毎日幾度となくこなしている『東海道中膝栗毛』顔負けの旅には、十返舎一九も絶句するだろう。
 秋田でなまはげの着ぐるみと一緒に「しょっつる焼きそば」なるご当地B級グルメを売り捌く日もあれば、静岡のスーパーの店頭で、お客様にひたすらフランスパンを配る日もある。
 いつぞやなどは沖縄まで足を延ばし、全く面識のない新郎新婦の披露宴に登場、2人の門出を祝うべく、「ルネッサーンス!!」と乾杯の音頭だけとって、東京へとんぼ返りしたこともあった。


 髭男爵の「ルネッサーンス!!」には、こういう「お祝い需要」がけっこうあるのはプラスではないか、とは思うのです。
 この「披露宴で乾杯の音頭だけ」って、どのくらいのギャラなのだろう……
 一発屋というのは難しい存在で、寄ってくる人たちも、名前も顔もネタも知ってはいるけれど、今もファンとちやほやするのは、ちょっと恥ずかしい、という感じのことが多く、サインを頼まれるときも、子どもがファンで……とか、自分自身ファンなわけじゃないんですけどね、という態度をとられるのだそうです。
 そこは、嘘でも「(自分が)ファンです!」って言ってくれても良いのでは……って、頼まれる側からすれば、そう思いますよね。

 しかしこれすらまだましな方。最悪なのは、「ゴミ」にサインを書く場合である。
「サインしてください!」
 と駆け寄ってきたのは小学生の男の子。彼が差し出したその手にはハンバーガーの包み紙が……なんてことも珍しくない。
 ゴミを受け取り、サインをするのはもはや、”産廃業者”だけである。
 ちなみに、この「ゴミにサイン」、他にも、スーパーのチラシ、レシートの裏、ファミレスの紙ナプキン、割り箸の袋等々バリエーションには事欠かない。
(急なことで、何も用意できなかったのだ)
(それほどサインが欲しかったのだ)
 と自分に言い聞かせる。声に出せば、”棒読み”だが。。
 全く、親の顔が見たいものだなどと思っていると、その願いはすぐに叶う。
 男の子の後ろで、微笑んでいるのがそれだ。息子を注意するでもなく、申し訳なさそうにしているわけでもない。


 「今が旬の、売れている芸能人」に対しては、ものすごく丁重かつ熱狂的に接するのに、相手が今、売れていない、となると、徹底的に侮るというか、バカにした態度をとる人は、かなり多いみたいなのです。
 それでも、「神対応」しなければ、「一発屋のくせに調子に乗っている」などとネットで叩かれる時代ですから、本当にラクじゃないですよね。


 それでも、この本を読んでいると、山田さんに「一発屋芸人としての矜持」みたいなものを感じるところもあるのです。

 僕の経験上、作家やディレクター好みのタイプは基本、「”独特の世界観”のネタが持ち味!!」と評されるような芸人である。
 いやいや、独特の世界観なら、一発屋とて負けてはいない。シルクハットにワイングラスを携え、貴族と自称し乾杯をしながら漫才をする。むしろ、世界観の塊・権化である。
 しかし、残念ながら、肉眼で目視できるような”即物的”世界観では、彼らの食指は動かない。
 宗教じみた物言いになるが、作家やディレクターのお好みは、もっと目に見えぬ世界観であり、「ウソ、大袈裟、紛らわしい!」といった”ナントカ機構”に通報されかねない芸風のコスプレキャラ芸人では、むろん興醒め。誰しも、ブスなど連れて歩きたくないのが人情である。
”世界観”の芸人のネタは、漫才にしろコントにしろ、題材がさりげない。
「パンを盗んだ貧しい少年をさとす!」
「ディナーに舌鼓を打っていたら、毒殺されかけた!」
 我々のように、キャラありきの過剰であざとい設定は選ばないし、「ルネッサーンス!!」などと、不必要に騒ぎ立てたりもしない。ネタ中の声のトーンはむしろ抑え気味。
 日常の些細な場面を、笑いに昇華させるそのお手並みは、同業者ながらお見事の一言である。いわば、何の変哲もないTシャツやカーディガンをオシャレに着こなすような芸。


 作家やディレクターのような「業界人」、そして、「お笑い通」たちにちやほやされるような「世界観芸人」に反発と憧れを抱きつつも、山田さんは、彼らも万能ではないことを見逃しません。

 とある企業パーティーの現場。酔客相手に漫才をする。営業の仕事である。
 我々以外にもう1組芸人がブッキングされていた。事務所の後輩でもある、とある世界観芸人である。
(こんな所に来なくていいのに……)
 企業パーティーは修羅場である。泥酔したおじさん連中の発するガヤガヤとした喧噪。飛び交う野次の銃弾。それを掻い潜り円卓テーブルの間を飛び回る仲居のドタバタとした気配。食器と食器がぶつかり合う音。
 とにかく、騒がしく、場が荒れている。
(大丈夫だろうか……)
 世界観の芸人は、総じて声が小さい。
 彼らは基本、「大声」とか「元気」、あるいは「媚びを売る」などの行為が醸し出す、分かり易さ、即ち”ベタ”と毛嫌いする傾向にある。大きな声は、彼らの”世界”を壊すのだ。
 よって、俳優浅野忠信氏がボソボソと声を張らずに芝居をするように、彼らも小声でコントをする。
 しかし、企業パーティーという戦場は、彼らの世界観が通じる”世界”ではない。彼らの世界観はもっと違う場所で披露すべきであって、端的に言えば向いていないのである。
 案の定、苦戦する彼らを袖から見ながら、
(違う、そうじゃない!! もっと声張って!!)
(もっと目の前の社長をイジって!!)
(もしくは、社長の隣の冴えない係長を、社長と間違えるボケを!!)
(野次に反応して! いい野次来てたよ今!!)
(1回お客さん褒めて! 「今日は本当にやり易くて! いいお客さんですねー!!」とか、嘘でもいいから!! 客を味方に付けないと!!)
 しかし、彼らの”世界”には、社長も係長も、そもそも客イジりもない。
 余計な登場人物は”世界”を壊す。
 ただネタを披露する、それだけである。


 ウケぬまま、舞台袖へと帰ってくる彼らに、
(俺らの見とけ!! こうやるんだよーーー!!)
 口には出さぬが、俺達の”世界”を教えてやる。そんな気概を胸に、
「どーもーーーー!」
 声も大に舞台へと駆け上がっていく。
 社長を弄り、係長を社長と間違え土下座し、笑いを取る。
 大いに盛り上げ、楽屋に帰ると彼らの姿はなかった。
 落ち込んで逃げだしたわけではない。ネタ番組への収録へと向かったそうな。
 企業パーティーは我々の世界。
 住む世界が違うのである。


 「地方の営業」とか「企業パーティ」というのは、「一発屋芸人が簡単に稼げるお仕事」のように思い込んでいたけれど、その「戦場」で生き残るためには、それなりの技術や発想の転換が必要なのです。
 お笑い好きの観客が集まっている舞台と、お酒が入っている人が多い企業パーティでは、会場の騒がしさも、相手の見る姿勢も違うわけで、うまく適応できずに消えていった「一発屋芸人」というのも少なからずいるはず。
 このほかにも、山田さんの「キャラ芸人」への分析などもあって、この人は本当は、演者ではなく、ジャーナリストになったほうが良かったのではないか、と考えてしまいます。

 一発屋芸人の恍惚と不安。
 「不本意」な芸能生活そのものをネタにできる、稀有な立場と才能に、ルネッサーーンス!!


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