琥珀色の戯言

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【読書感想】第161回芥川賞選評(抄録)

文藝春秋2019年9月号

文藝春秋2019年9月号


Kindle版もあります。


今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった、今村夏子さんの『むらさきのスカートの女』の全文と芥川賞の選評が掲載されています。


恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

小川洋子
奇妙にピントの外れた人間を、本人を語り手にして描くのは困難だが、目の前にむらさきのスカートの女を存在させることで、”わたし”の陰影は一気に奥行きを増した。二人は鏡に映った者同士のように密着し、境界線を失ってゆく。


(中略)


 悪ふざけがすぎると見せかけながら、そうしたやり方でしか周囲を関わりを持てず、求めれば求めるほど多くを失ってしまう彼女の切実さが、あぶり出される。滑稽な生きものであるからこそ、人はいとおしい。常軌を逸した人間の魅力を、これほど生き生きと描けるのは、間違いなく今村さんの才能である。

高樹のぶ子
「むらさきのスカートの女」は、新進作家らしからぬトリッキーな小説で、語り手と語られる女が、重なったり離れたりしながら、最後には語られる女が消えて、その席に語り手が座っている。語られる女は妄想の産物か。女は羨望や恨みや韜晦の情動から、ときにこのような別人物を創造する。二人を別人とすれば状況的に無理があり、同一人物だとしても矛盾がある。どちらでも良い、と思うことが出来れば、この作品を認めることができる。

奥泉光
 今回自分が一番推したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、だいぶ弱った。参考文献の利用の仕方を含め、小説作法がやや安易ではないかといった意見には頷かされるものもあったけれど、外にあるさまざまな言葉をコラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分は肯定的に捉えた。主人公の就職事情や、母親との関係といった、いかにも「小説」らしい部分には感心しなかったものの、複数のかたりの交錯のなかから、都市空間の「手触り」ともいうべきものが浮かび上がるあたりは面白く読んだ。

山田詠美
『百の夜は跳ねて』。いくつも列記されている参考文献の中に、書籍化されていない小説作品があるのを知った。小説の参考文献に、古典でもない小説作品とは、これいかに。そういうのってありな訳? と思ったので、その木村夕祐作「天空の絵描きたち」を読んでみた。
 そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法。候補作よりはるかにおもしろい……どうなってんの? 候補作に関しては、前作よりも内面が丁寧に描かれていて豊か、という書評をどこかで目にしたが当然だろう。だって、きちんとした下地が既にあるんだからさ。
 いや、しかし、だからといって、候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっと、ずっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る。「天空の絵描きたち」の書籍化を望む。

島田雅彦
今村夏子の『むらさきのスカートの女』は商品としては実にウエルメイドで、平易な文章に、寓話的なストーリー運びの巧みさ、キャラクター設定の明快さ、批評のしやすさなど、ビギナーから批評家まで幅広い層に受け入れられるだろう。だが、エンターテインメント・スキルだけでは「物足りない」のも事実である。

川上弘美
結論から言います。わたしは悲しかった。木村友祐さんの声が、そのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまったからです。小説家が、いや、小説に限らず何かを創り出す人びとが、自分の、自分だけの声を生みだすということが、どんなに苦しく、またこよなく楽しいことなのか、古市さんにはわかっていないのではないか。だからこんなにも安易に、木村さんの声を「参考」にしてしまったのではないか。たとえ木村さんご自身が「参考」にすることを了解していたとしても、古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為であると、わたしは思います。

宮本輝
高山羽根子さんの「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」を強く推す委員もいたが、わたしは前作の「居た場所」のほうがはるかに優れていると思った。
 しかし、どちらにも共通するわかりづらさは、抑制のしすぎ、省略のしすぎではなく、「書かなさ過ぎ」であって、「書き過ぎ」よりも始末に負えない。核心を解く鍵はたったの一行、もしくは二行でいいが、それがなければ小説の芯が見えなくなる。高山さんは「書かなさ過ぎ」を修正しなければならないと思う。

吉田修一
あと、参考文献に挙げられていた木村友祐氏の佳品『天空の絵描きたち』を読み、本作に対して盗作とはまた別種のいやらしさを感じた。ぜひ読み比べてほしいのだが、あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。

堀江敏幸
高層ビルの窓の清掃をする人たちは、都会の景色に背を向けて、目の前のガラスの汚れに神経を集中する。古市憲寿さんの「百の夜は跳ねて」の主人公は、そういう仕事に就きながら、表面に映じた自分の顔しか見ていない。地上二百五十メートルの高さにではなく、参考文献にあげられた他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか。


 前回、第160回で、ほとんどの選考委員から酷評されていた古市憲寿さんが連続ノミネート。
 良くも悪くも(主に悪くも)今回の選考会でも話題になってしまったようです。


(前回、第160回の選評(抄録)はこちら)
fujipon.hatenadiary.com


 今回の古市さんには「前作より進歩している」という評価の選評もいくつかあったのですが、「参考文献の小説(木村友祐さんの『天空の絵描きたち』)を参考にしすぎている問題」で、かなり厳しい意見が出ていたようです。
 
anond.hatelabo.jp
b.hatena.ne.jp


 当事者である木村さんは「盗作」「剽窃」だと主張しているわけではなく、「自分が紹介した同じ『窓ふきの達人』に取材して書いたのであれば、内容が同じようなものになるのは自然なこと」だとTwitterで述べておられます。「被害者」みたいに語られるのは嫌だ、というスタンスですね。
 前回、第160回のとき、選考委員の「古市アレルギー」はかなり強いと感じたのですが、今回も「こんな実力でノミネートされやがって!」「こいつは芥川賞の『話題性狙い』の申し子」とばかりに、苛立ちをぶつけられまくっているようにも感じます。
 明らかな「パクリ」は小説として論外だけれど、「参考文献と明示している作品からのコピー&ペースト的なもの」は「文学ではない」と言い切れるのかどうか。
 そうなると、第160回受賞作の『ニムロッド』は、「まとめサイトからの引用と思われる部分(ダメな飛行機について)」が面白さのかなりの割合を占めていたのを、どう説明するのか。

fujipon.hatenadiary.com


 いまの「小説」というもの、「小説についての考え方」からすると、奥泉光さんの「小説作法がやや安易ではないかといった意見には頷かされるものもあったけれど、外にあるさまざまな言葉をコラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分は肯定的に捉えた」という言葉にも十分すぎるくらいの理があると僕は思います。
 新聞記事とか他の作品からの引用とかを切り貼りしてつくられた作品なんて、もう何十年も前から存在しているわけですし。
 正直、「こんなに糞味噌に言われるような作品を、なんでノミネートしてしまったんだ?」と、下読みのレベルのほうが疑問です。
 やっぱり、「話題になりそうな候補者をひとりくらいは入れておかないと」という空気みたいなものがあるのだろうか。
 この酷評には「古市嫌いブースト」がかかっていて、叩かれるためにノミネートされているみたいで、古市さんがちょっとかわいそうになりました。他の人が同じ作品を書いても、ここまでは酷評されなかったはず。
 ただ、選考委員がみんな古市作品よりも良い、と言っている『天空の絵描きたち』が芥川賞にノミネートされていないどころか、単行本にもなっていないという現実は悲しいものではありますね。
 「純文学」が商業的に厳しい状況であるからこそ、古市さんの小説を候補にしなければならないのかもしれません。
 あと、それぞれ人気作家である選考委員が候補作の「参考文献」にまでちゃんと目を通している、ということに少し驚きました。『美しい顔』の事件などもあって、盗作や剽窃にかなり敏感になっているのかもしれませんが、この号に掲載されている高樹のぶ子さんの「選考委員引退のあいさつ」を読むと、選考するほうも生半可な気持ちでやっているのではない、ということが伝わってきます。
 

fujipon.hatenablog.com

 
 この羽田圭介さんのときのことを考えると、酷評されながらノミネートされているうちに、「だいぶ良くなった」と手のひらを返すように授賞する、ということも少なくないので、古市さんの受賞は案外遠くないような気もします。なんのかんの言っても「話題になっている」というのは強いので。
 そして、これからの時代を考えると、「誰かが書いたものをブラッシュアップしたり、引用してパッチワークにしたり、改変したりして(もちろん無断じゃダメですが)売れるようにした小説」というのは、当たり前になっていきそうな気がします。
 Kindleの、どんどんオンラインで「更新」されていく本のように。

 島田雅彦さんの『むらさきのスカートの女』に対する、「商品としては実にウエルメイドで、平易な文章に、寓話的なストーリー運びの巧みさ、キャラクター設定の明快さ、批評のしやすさなど、ビギナーから批評家まで幅広い層に受け入れられる」という評は、「SNSで話題になりやすい作品」ということでもありますよね。


 この「芥川賞選考委員 vs 古市憲寿」というのもまた、「作られたアングル」っぽくもあるわけで、今後どういう展開になっていくのか、僕はけっこう楽しみにしています。


fujipon.hatenadiary.com

むらさきのスカートの女

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百の夜は跳ねて

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