琥珀色の戯言

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【映画感想】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー ☆☆

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少年リュカは、ゲマが率いる魔物たちにさらわれた母を取り戻すため、父のパパスと共に旅をしていた。旅路の途中で彼らはついにゲマと出くわし、パパスは魔物たちと激しく戦うが、リュカが人質にとられてしまう。反撃できなくなったパパスが息子の目前で失意のうちに命を落としてから10年が過ぎ、故郷に戻ったリュカは父の日記を見つける。


www.dq-movie.com


2019年、映画館での17作目。
日曜日の夕方の回で、観客は30人くらいでした。


 なんなんだよこの腐った『マトリックス』……



 すみません、今回は全面ネタバレでいきますので、未見の方は読まないでください、といつもはお願いするのですが、正直、『ドラゴンクエスト5』というゲームに愛着がある方は、この先を読まないほうがいいのと同時に、この映画を観ないことをおすすめします。僕もできれば記憶を消したいです。なんで堀井さんやすぎやまこういちさんやスクウェア・エニックスがこんなものを世に出すことを許したのか理解不能です。
 こんなもの出されても、幻滅するか嘲笑するかキワモノとしてネタにするかしかないし、一度こういうのを映画館で見せられると、前と同じ気持ちで『ドラゴンクエスト』に接することができなくなる。



 以下はネタバレで書いています。
 言葉も汚いです。
 スルー推奨



 僕は「ゲマ打倒後」のあの場面を目の当たりにしたとき、やり場のない怒りがこみあげてきました。
 ジュースの紙コップとか靴とか、なんでもいいから、手にしたものをスクリーンにバンバン投げつけてやりたくて仕方がなかった。
 つまらない映画はたくさんあるし、監督がやりたいことをやったおかげで、観客がついていけない映画もある。
 そういう映画にうんざりすることはあるけれど、基本的には「それもネタになるし、つまんない映画があるから、面白い映画もあるんだよな」と考えることにしています。

 だが、これはダメだ……
 この作品の監督や脚本家は、ただひたすら『ドラゴンクエスト』とテレビゲーム、そして、そのプレイヤーたちを馬鹿にしている。
 いや、本気で批判してくるのなら、そこに衝突があるのも「クリエイターと観客とのガチンコ勝負」として、受けて立つよ。
 でも、この『ユア・ストーリー』って、遊んだこともない、思い入れもない原作を与えられた山崎貴という人が、自分の「作家性」をアピールするためだけに、使い古された「意外な展開」を描いて、『ドラゴンクエスト5』を長年愛し続けている人たちを不快にさせている、というリーマンショック級のクソ映画なのです。

「実はこれはゲームなんだ」
 うるせー、そんなの百も承知だし、僕はこれまで40年くらい、ゲームと一緒に生きてきたんだよ。
 そんなことはいまさらお前なんかに言われなくたって知っているし、ゲームを終えたあとの自分の周りの現実が悲しくなったことなんて腐るほどある。
 いや、だからこそ、ゲームの世界はゲームの世界として、純粋なものであり、没入できる時間にしたいんだ。
 
 
 おまけに、最後に「言い訳」として、「ゲームにのめりこんでいる時間も、自分にとって大切な時間なんだ!」とプレイヤーに言わせる、というクソ演出の上にクソ演出を重ねて、『ドラゴンクエスト』を愛してきた人たちの「怒り」すら封じようとするなんて、卑怯千万。
 本当に観客の心をえぐりたいのなら、そこでとってつけたようなエクスキューズをやるんじゃねえよ。

 少なくとも『エヴァンゲリオン』の旧劇場版での庵野監督には、「覚悟」があった。
 山崎貴という人には、その覚悟が微塵も感じられなかった。なんか言われたら、「でも、ゲームを愛している人たちにも『配慮』していますから」って言うつもりなんだろうな、ほんと、なんでこんな人に『ドラゴンクエスト』を映像化させたのか……
インタビューを読んだら、『ドラゴンクエスト5』は未プレイらしいし。
 
なんでこの人に任せたのか、誰か止められなかったのか。
悲しくて涙が止まらない。


正直、僕はあのラストのくっだらない「これはゲームなんですよ」の場面までは、「まあ、ベタだけど、映像は綺麗だし、『ドラゴンクエスト』シリーズのひとつの派生物として、こういう映画もアリだな」って思っていました。
主人公は天空の勇者じゃなかったけど、主人公の子どもが勇者だった、うむうむ。中島らもさん、あの世で元気かなあ。

あのまま普通にミルドラースが出てきて倒して終われよ。みんな「ゲームそのままじゃん」とか言うだろうけど、それでよかったんだよ。
どうしても捻ったやつをやりたかったら、同人誌でも出すか、『ガロ』(漫画誌)にでも描いてくれ……
「どんでん返し」とか言われていたから、フローラと結婚?あるいはデボラ?とか思っていた頃が懐かしい……


これは、『ドラゴンクエスト』にとってはじめての映画化だったんだぞ。


「大人になれ」ってメッセージ、僕はそのままこのクソ映画を製作した人たちにお返ししたい。
あなたたちの「作家性を見せたい」「意外だったと思わせたい」というくだらない功名心のおかげで、『ドラゴンクエスト5』を「劣化マトリックス」にしやがって。
そのままでも、十分ドラマチックな物語なんだよ。心配してくれなくても、みんな映画館を出れば、現実に向き合ってるよ。僕らが何年テレビゲームと付き合っていると思っているんだ。
というか、絶対に観客に何か伝えようなんて思ってあんな展開にしたんじゃない。ただ、「観客をびっくりさせて、話題をつくりたかった」だけ。
「どんでん返し」も、斬新なやり方なら、好き嫌いは別として、「それはそれで面白い」のかもしれないけれど、『ドラゴンクエスト』というコンテンツの魅力を犠牲にして、ありきたりの「はい、これ実はゲームでしたー!」ってオチなんだから、どうしようもない。

脚本ができた時点で、誰かが「もうそんなメタ視点的な『どんでん返し』には観客は飽き飽きしてますよ。20年遅れてますよ」って言ってやれよ……


エヴァンゲリオン』や『ダンガンロンパ』とかでやるのなら、まだ「もともとそういう世界観だし」と言えるかもしれないけどねえ(個人的には『ダンガンロンパ3』にはかなりムカついたのですが)。


fujipon.hatenablog.com



『ベスト・オブ・映画欠席裁判』という本があって、町山智浩さん(=ウェイン町山)と柳下毅一郎さん(ガース柳下)のふたりの映画評論家の対談形式で、さまざまな映画が語られています。

ALWAYS 三丁目の夕日』の回より。

fujipon.hatenadiary.com

ガース:いや、どうも監督は「全部セリフでわかりやすく説明してやらなきゃ観客にはわからないんだ」と信じてるみたい。だって、子供が自動車に乗せられて去った後、吉岡は少年が書き残した手紙を見つけるんですが、そこには「おじさんといたときがいちばん幸せでした」って書いてあって、それが子供の声で画面にかぶさるんですよ!


ウェイン:そんなもん、金持ちの息子になるのに憂鬱そうな子供の顔を見せるだけで充分だろうが! どうしてセリフで観客の心を無理やり誘導するんだ?


ガース:誘導どころか無理やり手を引っ張って、「ハイ、ここが泣くところです!」って引きずりまわしているみたいなもんです。観客に自主的に考えさせる隙をいっさい与えないんですよ。


ウェイン:最近の小説やマンガもみんな同じだけどね。「悲しい」とか書き手の感情がそのまま書いてある。それこそ夕日や風景に託して言外に語るという和歌や俳句の伝統はどこへ行っちゃったんだ?


僕も『三丁目の夕日』を観て、同じように考えていたのです。
「こんなに過保護だと、誘導されているみたいで気持ち悪いな」って。
でも、世間では評判が良いみたいだし、僕のほうが間違っているのかという気もしていました。
 『STAND BY ME ドラえもん』で、こんなベストアルバムみたいな、名場面を繋ぎ合わせたような映画をつくったら、ヒットするのは当たり前、『三丁目の夕日』では、台詞で全部説明していて興ざめ、などと批判されてムカついていたのかもしれないけど、『ドラゴンクエスト5』で憂さ晴らしするんじゃねえ。
 世の中には、百田尚樹先生みたいに「自分が取材したものをそのまま書くときにはそれなりの能力を発揮するけれど、オリジナル要素を入れて作家性をアピールしようとしたとたんに唖然とするくらい破綻してしまう作家がいるんですけど、山崎貴という人はまさにそのタイプだよなあ。
 『ドラえもん』みたいに「何も考えずにいいとこどりして100分にまとめる」だけにしておいてくれれば。まだマシだったのに……

 『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、映像の力を脚本で台無しにしているよね……


 一緒にみていた息子が、観終えたあと聞いてきたのです。
「なんでリュカはフローラと結婚しなかったの?」って。
 その疑問はもっともだ。

 『ドラゴンクエスト5』で遊んだことがない息子(小学5年生)には、この映画の中だけの情報では、主人公がフローラではなくビアンカを選んだ理由がはっきりわからなかったのです。
 作中でも、ビアンカには「言いたいことを言える」「安心して後ろを任せられる」とか言っているけど、ゲーム版で遊んだことがなければ、人生の一大事をあんなにあっさり決めてしまうことに納得がいかないのが普通ですよね。ビアンカとは再会したばかりで、魅かれあうシーンは描かれておらず、フローラとはずっといい感じだったのに。

 結局のところ、僕はスーパーファミコンPS2ニンテンドーDSと遊んできたゲーム版『ドラゴンクエスト5』の記憶で補完することで、「やっぱりビアンカか」と自分を納得させていただけなのです。
 それと、声の出演者が有村架純さんと波瑠さんだったので、これは有村さんか……とは思っていました。
 でも、波瑠さんの声の演技は素晴らしかった。


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 僕は、『ドラゴンクエスト5』をスーパーファミコン、プレステ2、ニンテンドーDSと3機種でクリアしたのですが、初回プレイでは、全部ビアンカと結婚したのです。
 妻が、あっさりフローラと結婚してしまったのをみて、「それってひどくない?」と異議を申し立てたところ、「フローラのほうが呪文強いじゃん」と言い放たれたのは、けっこう衝撃的でした。
 いやまあ、それはたしかに、合理的なんだけどさ。
 ルドマンさんが「フローラと結婚しないと、アイテムあげないよ!」って言っていたらどうしただろう、とか考えてみたりもして。

 結婚前夜に「すやすやと眠っているフローラ」と「眠れずに窓の外を眺めつつ、『私のことは心配しないで。フローラさんを選んだほうがいいよ』と気遣ってくれるビアンカ」を目の前にすると、「ここは人間としてビアンカだろ!」という気持ちになってしまうのです。「フローラ(あるいはデボラ)を選ぶつもりだった人」でさえ、あの場でビアンカを捨てるのはなかなか難しいはず(だよね)。

 そういえば、堀井さんも、なにかのインタビューで「基本的にはビアンカを選ぶように作っている」と話していました。
 「8割くらいの人は、ビアンカを選んでいる」とも。
 たとえそれがデキレースであったとしても、「ただビアンカと結婚する」というのではなく、「いろんな意味で魅力的なフローラの誘惑を断ってビアンカを選ぶ」からこそ、プレイヤーの思い入れも強くなるのでしょう。
 たしかに、「人間としてビアンカを選ぶしかない!」とプレイヤーに思わせることができたとしたら、「作者の勝ち」ですよねこれは。


 でも、この映画では、そういう「ビアンカを選ばずにはいられなくなる魅力的なシーン」が、何も描かれていない。
 原作を知っている人は、記憶で補填してしまうのだけれど、知らない人にとっては、「なぜ?有村架純さんだから?」と疑問になって当然だと思います。
 
 この映画でのフローラは、すごく魅力的に描かれているんですよ。
 そして、フローラが化けたオババが「隠された気持ちが見える薬」とかを使って、リュカを変心させてしまう。
 なんて短絡的な演出!くっだらねえ!

 原作では、夜、眠れない主人公がウロウロしていて、ドットで描かれたビアンカに話しかけると、「私のことは心配しないで。フローラさんを選んだほうがいいよ」っていうセリフが表示されるだけですよ。でも、あの場面では、ビアンカの「主人公を想う気持ち」がビュンビュン伝わってきたのです。ああ、ビアンカも眠れないんだ……

 『ドラゴンクエスト2』のラストで、サマルトリアの王子の「さあ、いきなよ。」に涙した僕としては、堀井雄二さんの書く言葉の「極限まで言葉を削ぎ落す美学」をあらためて思い知らされました。
 「極限まで言葉で説明してしまう脚本家(監督)」とは、そりゃ相性悪いよ。


 フローラを魅力的に描きたかったのだとは思うけどさ、主人公の決断の前に、ビアンカにも説得力のある見せ場をつくってほしかった。
 少なくとも、この映画で『ドラゴンクエスト5』を観た人にとっては、「なんでそうなるのかよくわからない」という場面だらけのはず。
 しかも、あちこちに「これはゲームだから、プレイヤーが事前にこういうふうに設定していたんだから、おかしなところがあってもしょうがないよね。ゲームだから!」っていう言い訳がちりばめられている。

 
 この映画のどうしようもなさは、観客が原作のゲーム版『ドラゴンクエスト5』について、ある程度予備知識を持っていることを期待し、前提としたつくりになっているにもかかわらず、原作に思い入れがある人ほど失望させられる、というところにあるのです。
 
 原作に思い入れが無い人も唖然とするだろうけど。


 僕のいちばん率直な感想は「俺と『ドラゴンクエスト5』をバカにしやがって!」なんですよ。
 面白いとかつまらないとか以前の問題です。
 これをつくる費用と技術と時間があれば、せめて、あの手垢がつきまくった「これはゲームだ展開」がなくて、そのまま英雄譚として終わっていてくれれば……
 ぶっちゃけ、『デビルマン』くらい破綻しまくっていてくれれば、「あれはノーカンね」って、ネタとして消化できる。
 でも、この『ユア・ストーリー』は、最後の最後で、制作陣の『マイ・ストーリー』になって、観客、とくに長年の『ドラゴンクエスト』ファンは置いていかれてしまった。
 いっそのこと、主人公の男が、あのVRで自分が海賊コブラだったことを思い出すくらいぶっ飛んでくれていれば、まだ笑えたのに。


 『ドラゴンクエスト5』は、山崎貴さんとその郎党が乏しい「作家性」をアピールするために気軽に利用されるような安いコンテンツじゃねえんだよ!
 
 すぎやまこういち先生の音楽はよかったです。名曲を安売りしすぎな印象はあったけど。
 あと、小学5年生の息子は、観終えて、「何これ……」と言いながらも「ゲーム好きの自分にとってのゲームとはどういうものか」について、延々と語っていたので、子どもには通過儀礼的な役割を果たす可能性はあるのかもしれません。

 僕にとっては、とにかく「スクリーンにいろんなものを投げつけたくなる映画」でした。
 これを観た記憶を消したい……
 


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