琥珀色の戯言

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【読書感想】ドライブイン探訪 ☆☆☆☆☆

ドライブイン探訪 (単行本)

ドライブイン探訪 (単行本)


Kindle版もあります。

ドライブイン探訪

ドライブイン探訪

内容紹介
道路沿いにひっそりと佇むドライブイン。クルマ社会、外食産業の激変の荒波を受けながら、ドライバーたちに食事を提供し続けた人々の人生と思いに迫る傑作ルポ。


 ロードサイドにたたずむ、ドライブイン
 今は廃墟となっているところも数多くみられます。
 僕が子どもの頃、1970年代後半くらいには、まだコンビニもそんなに日本中にできてはおらず(24時間開いているコンビニが当たり前の存在になったのは、1990年代くらいからだと記憶しています)、ドライブ中に車を止めて食事ができる場所、というのはけっこう貴重だったんですよね。
 

 国道沿いの風景を注意深く眺めてみると、廃墟のようになってしまった建物も含めて、無数のドライブインがあった。日本全国にこれだけの数のドライブインが点在しているからには、ドライブインの時代があったのだろう。
 ドライブインが花盛りとなったのは昭和、より具体的に言えば戦後の昭和だ。昭和57(1982)年生まれの僕は、昭和という時代に対してわずかな記憶しか残っていなくて、「平成」と書かれた紙が掲げられる瞬間をかろうじておぼえているくらいだ。
 日本全国に点在するドライブインは、一軒、また一軒と姿を消しつつある。でも、今ならまだ営業を続ける店が残っていて、話を聞くことができる。なぜドライブインを始めたのか。どうしてその場所だったのか。そこにどんな時間が流れてきたのか。そんな話をひとつひとつ拾い集めれば、日本の戦後史のようなものに触れることができるのではないか――そんなことを思い立ち、ドライブイン巡りをするようになった。
 ドライブイン巡りを始めたのは2011年だ。友人に軽バンを借りると、後部座席に布団を敷き、ぐるりと日本を駆け回った。ドライブインを見つけるたびに立ち寄り、200軒近い店を訪れた。そこで特に印象深かったお店を再訪し、話を聞かせてもらったのがこの『ドライブイン探訪』だ。

 この本は、そんなドライブインを長年経営してきた(というか、「やってきた」という言葉のほうが正しいのかもしれません)人たちに、ドライブインをはじめたきっかけから、車やドライブというレジャーが普及し、店が繁盛していた時代のこと、そして、ドライブインという業態が斜陽となり、どんどん少なくなっている今のことを、丁寧にインタビューしたものです。


 北海道の直別にある「ミッキーハウスドライブイン」の店主・千葉晃子さんの話。

 ドライブインを始めたとき、夫婦は還暦を迎えていた。そのままのんびり老後を過ごそうと思わなかったのかと訊ねると、「人間が貧乏性にできてるから、何しろ働きたかったわけ」と晃子さんは言う。初めのうちは店名に「ミッキー」とある通りミッキーマウスの看板を出していたけれど、ある日ディズニーから直々に抗議の電話があり、外すことにしたのだという。
「ミッキーハウスドライブイン」は、今もライダーハウスとして営業を続けている。「体が持たないから」と連泊は断っているけれど、一泊2000円であれば宿泊が可能だ。部屋は広々とした和室。流し台とコインランドリーもあり、値段を考えれば十分な設備だ。廊下には額装された写真が飾られており、開店まもないドライブインの前で晃子さんと武雄さんが常連客と一緒にポーズを決めている。
「ここで店を初めて、最初の何年かは一杯だったよ。表にバイクがずらーっと停まってたもん。女の子も多かったんだよ。『おばさん、私手伝うわ』って洗い物してくれたり、『はい、これ作ったから出しなさい』って運ばせたりね。本当に面白かったもんね。それで、ライダーの子たちは寝袋を持って旅してるんだわ。部屋に入りきれないときは『ここで良いから寝かせてもらえませんか』って言うから、小上がりのところで寝かせたりしてね」
 店の本棚には、お客さんが残していった本が並べられている。『特攻の拓』や『BOY』、『よろしくメカドック』といった漫画と一緒に、バイク情報誌やツーリングガイドも並んでいた。


 この「ミッキーハウスドライブイン」がオープンしたのは1986年だそうです。
 なんだか、ものすごく昔の話を聞いているようだったのだけれど、僕が高校生のときだったのか。
 いま、ドライブインに対しては、「懐かしい」イメージがあるのですが、「ミッキーハウスドライブイン」は、ファミコンよりも少し若いのです(ファミコンの発売日は、1983年(昭和58年)7月15日)。
 人間の記憶なんて、いいかげんなものですよね。
 一度「古い」とか「懐かしい」というイメージでみるようになると、実際以上に「古臭い感じがしてくる」のです。
 それにしても、北海道の一軒のドライブインにまで抗議してくるディズニーの情報力!これは、昔からすごかったんだなあ。

 ドライブインが廃れていったのは、コンビニやファミレスなどの業種の発展とともに、若者や家族連れが「ドライブ」とか「ツーリング」というレジャーから離れていった影響が大きいのです。
 観光バスを利用する人も減りました。
 地元の常連さんをつかんだ店や名物料理をつくることができた店は残っているけれど、多くの店が潰れていったのです。
 正直言って、大概のドライブインの料理はおいしくも安くもなく、この本で紹介されるくらい長年営業を続けられているというだけでも、それなりに繁盛してきた店ではあるのです。ドライブインに限らず、長続きする飲食店は少ないですし。

 市井の人々がモータリゼーションの時代に「ドライブインとかだったら、手に職がない自分にもできるのではないか」という理由で、この商売をはじめていったのです。
 そのなかで、「ちゃんとやってきた」人たちが生き残っているのだけれど、それだけに、見切りをつけて閉店するのをためらってしまう。
 人との出会いや店への愛着などで、明らかに「商売としては限界」に達しているような店でも開けつづけ、著者に「誰かドライブインをやりたい人を紹介してください」と話していた、というのを読みと、なんだかしんみりしてしまいます。
 さびれた店でも、店主にとっては「自分の人生そのもの」なのだろうなあ、こういうのって。
 

 奈良県の「山添ドライブイン」の項より。

(店主の吉田富美代さんの話)


「うちに来てくれるお客さんも、長距離トラックのお客さんが多かったです。向こうに座敷もあるんですけどね、ごはんを食べてお酒を飲んで、座敷に寝て休んで行かれる方も多かったですよ。名阪のお客さんも多かったし、地元のお客さんも多かったから、当時は茶碗を洗う暇がないぐらい忙しかったみたいです。地元の人はね、稲を出荷したときとか、お茶を出荷したときとか、行事の帰りに『吉田屋さんで食べて飲んで帰ろうか』という人もいてましたね。今はクルマでちょっと走ればお店がありますけど、その頃は他に店がなかったから、皆喜んで利用してくれたみたいです」
 地元のお客さんはもちろんのこと、長距離トラックの運転手にも常連客が多く、顔なじみのお客さんは大勢いた。おかずのメニューを豊富に取り揃えているのは、そうしたことも関係している。
「今だとね、焼き魚だけでもサケ、サバ、ブリ、カレイ、赤魚五種類ぐらいは出すようにしてるんです。揚げもんも、エビフライ、アジフライ、イカフライ、唐揚げと、なるべくたくさん並べるようにしてますね。同じ人が来てくれることが多いから、自分で今日のメニューを決めてもらったほうが毎日違うもんを食べれますよね。一個の料理をたくさん出すんじゃなくて、品数を多く、数を少なくです。そうすると手間も大変ですけど、自分だって毎日同じもん食べるのは嫌やしなと思うたら、こうなってしまいますね」
 お客さんたちが自分でお皿を下げているのは、お店のそうした心遣いが伝わっているのだろう。ちょっと強面のお客さんでも、他のお客さんに倣って手伝ってくれるのだという。
「初めて来はったときはわからなくても、二回、三回と来てくださっているうちに『他のお客さんたち、自分でお茶出してきてるわ』というのを見て、自分でお茶を持って行ってくれるようになるんです。半分セルフですね。そんなこんなでお客さんに助けてもらってます。お客さんのほうも、自分が早く食べようと思ったら、他のお客さんの食器を下げたほうが早く食べられると思ってくださるのかもしれませんけど。皆さん協力してくださって、ありがたいですね」
 何より驚かされるのは、お店には伝票が存在しないということ。つまり会計は自己申告制なのだ。


 淡々と、「自分の仕事」をやり続けて生きてきた人にスポットライトが当たることは珍しいし、その言葉が記録されることもほとんどありません。
 「普通の人の、普通の人生」は、みんなが「ありふれたもの」だと思っているうちに、いつのまにか歴史から失われていくのです。
 この本には、そんな「太平洋戦争後の高度成長期の日本を生きてきた、普通の人々」の肉声が詰まっています。


懐かしの昭和ドライブイン

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ドライブイン鳥 鳥めしの素 130g

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