琥珀色の戯言

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【読書感想】フィンランドの教育はなぜ世界一なのか ☆☆☆

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか (新潮新書)

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか (新潮新書)


Kindle版もあります。

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか(新潮新書)

フィンランドの教育はなぜ世界一なのか(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
人口約五五〇万人、小国ながらもPISA(一五歳児童の学習到達度国際比較)で、多分野において一位を獲得、近年は幸福度も世界一となったフィンランド。その教育を我が子に受けさせてみたら、入学式も、運動会も、テストも、制服も、部活も、偏差値もなかった。小学校から大学まで無償、シンプルで合理的な制度、人生観を育む独特の授業…AI時代に対応した理想的な教育の姿を示す。


 1994年にフィンランドで出産し、長男が5歳から8歳までの3年間を除いてフィンランドで生活をしてきた著者による「日本人の親からみたフィンランドの教育」についての本です。

 フィンランドは、人口約550万人、北欧の地味な小国だが、2000年代以降、PISA(15歳児童の学習到達度国際比較)で、読解力や科学的リテラシーなどの多分野において1位を獲得し、世界一の教育と日本でも注目されるようになった。
 私が体験したフィンランドの教育の良さは、何よりもそのシンプルさにある。入学式や始業式、終業式、運動会などの学校行事がない。授業時間は少なく、学力テストも受験も塾も偏差値もない。統一テストは、高校卒業時だけだ。服装や髪型に関する校則も制服もない。部活も教員の長時間労働もない。日本では、「学校、家庭、地域」と言うが、フィンランドには教育に関して地域という考えはなく、さまざまな連絡協議会、青少年育成委員会など、学校を取り巻く煩雑な組織がない。
 そうしたシンプルな教育を支えるのは、徹底した教育無償化と平等、子どもの権利やウェルビーイング、子どもたち自身の教育への参加などの理念である。ウェルビーイングは、日本では福祉と訳されることが多いが、フィンランドでは生きていく上での快適さ、満足感、充足感、安心、自信、健康など、幅広い意味を持つ。
 学校がシンプルであることは、親にとってもストレスが少ない。小学校から大学に至るまで教育費は無償なので、経済的、精神的にとても楽だ。小中学校では、教科書やノート、教材等も無償で支給される。学級費やその他、諸費用はない。給食も、保育園から高校まで無料である。


 この本を読んでいると、日本の学校というのは、イベントの多さや部活が、教員にとっても親にとっても、かなりの負担になっているのだな、と思い知らされます。
 ただ、ずっと日本で教育を受けてきて、子どもも日本の学校に通っている立場とすれば、フィンランドのやりかたは、合理的ではあるけれど、なんだか味気ないな、と思うところもあるのです。

「うえ~ん、お耳が痛い~、お耳が痛い~」
「えっ、また中耳炎!?」
 東京の区立小学校入学式の前夜、息子が急に耳を押さえて泣き始めた。熱もある。小さい時から、何度もかかったていたので、急性中耳炎だとすぐ分かった。翌朝、医者に行ったが、入学式には行けなかった。
 保育園のお友達に会えると楽しみにしていたのに、入学式に行けなくなって、息子はがっかりしていたが、私は少し複雑な気持ちだった。子どもの成長は、もちろん嬉しい。でも、春、桜、ランドセルを背負った1年生、親子の改まった服装、感動する親という日本の入学式のあり方が好きではない。子どもも親もハレの日の服装で出席する。なぜ、普段着で気楽に行くことができないのだろう。学校に入ることは、何か改まったこと、ありがたいことと思われているからだ。私は、フィンランドに移り住んで28年、アメリカにも5年住んだことがあるが、どちらの国にも入学式はない。初めて学校に行く日、親も子も普段着である。入学に関わる儀式もない。


 僕も学生時代、小学生のときも中学・高校生のときも、入学式とか卒業式とかめんどくさいなあ、なんで練習までしないといけないんだろう、と思っていたのです。
 しかしながら、いま、親になってみてこの文章を読んでみると、気持ちはわかるが、ああいう儀式がなければないで寂しいのではないか、という気もするのです。
 あれが何かの役に立つ、ということはなさそうだけれども、シンプルで合理的な西欧のやり方が常に正しいとは限らない。少なくとも、いまの日本人にとっては。
 PTAとか学校行事の数々が、自由に有給休暇をとりづらい日本の親たちにとって、かなりのストレスになっていることは間違いないんですけどね。

 これを読むと「フィンランドでは、どのような流れで子どもを教育して大人にしていくのか」というのと「フィンランドの歴史」、そして「自立を尊重する気風」が伝わってくるんですよ。
 そんなフィンランドも、1960年代から70年代くらいまでは、日本と同じような「母親は家庭で子どもを育てる」というのが美徳とされていたそうです。
 そこから、現在のような「多様性を重んじ、国や社会が育児や教育を強力にサポートする社会」になってきたのです。
 
 著者は「教育で有名なフィンランド」が、小国であるがゆえに、ドイツやソ連の戦争に加わらざるをえず、多くの犠牲者を出したという歴史と、フィンランドではいまも徴兵制があることも紹介しています。
 ロシアに隣接しており、NATOに加盟していないフィンランドの自立心は、「自分たちの国は、自分たちで守るしかない」という危機感にもとづいているのです。
 そして、人口550万人という規模の国だからこそ、こういうやりかたが行き届いている面もあるように思われます。
 
 フィンランドという国の社会情勢や教育事情を知ることができる、興味深い内容ではあるのですが、読んでいて疑問だったのは、「なぜ、フィンランドはこんな『ゆるい』教育でPISA(一五歳児童の学習到達度国際比較)の多分野で1位になれたのか?」ということなんですよ。
 システムが優れているのか、先生たちの教え方のノウハウなのか、家庭教育が充実しているのか。
 フィンランドに「テストも(ほとんど)ない、塾もない」からといって、日本でテストや塾をなくしてしまえば、もっと成績が上がるのだろうか。
 テストの成績=教育の成果、というのは、あまりにも短絡的かもしれないけれど、僕がいちばん知りたいのは、そこだったんですよ。
 親というのは、ずっと子どもと一緒に授業を受けているわけではないので、「わからないことは書かなかった」という点では、すごく誠実ではあると思うのだけれども。
 フィンランドの子どもたちは、もともとすごく「頭がいい」のか、それとも「実はけっこうみんな勉強している」のか。
 「詰め込まないと成績は上がらない」という僕の考え方が「日本の常識に縛られている」のだろうか……

 高校になると選択科目として倫理がある。倫理は、道徳を哲学的に考える分野で、「人生観の知識」とも関連している。生と死、時間、存在論など様々な理論も学んでいく。
 また、教育の意味についても考察している。高校1年生用の教科書(2016年)には、「養育と教育の影響」の章があり、次の様に述べている。「国の教育計画は、それによって生徒を育てようというイデオロギーと価値、目的を映し出す」。そして、練習問題として以下のような設問がされている。


・高校の教育計画の基盤となる価値及び、実際に教育がどう行われるか調べなさい。生徒が、どういった価値を内部化することが想定されているか。そうした価値をどう思うか。
・『人生観の価値』の教育計画を調べなさい。それをどう思うか。


 教育を受動的に受けるのではなく、自分が受けている教育の背後にあるものをチェックし、考えることを促す質問である。また、民主主義国家の教育と、全体主義国家の教育の違いを次のように説明している。


「市民に知識を得る能力や動機、可能性がない場合、民主主義は単なる選挙権の行使に終わってしまう。養育と教育が、批判的に考える市民を育てることを可能にする。それは、民主主義を進める基本である。
 国家が組織的なプロパガンダを行う全体主義的な国では、国民は国家のイデオロギーに従順であるように育てられる。そうした国では、批判的な国民は社会的危険、国家制度を揺るがす存在と見なされるので、自分で考える能力を発達させる価値は認められない」
 日本の高校生が、教科書からこうした知識を得ることはあるのだろうか。


 日本の教育システムがいまひとつ満足できる効果を得られていないのは、結局のところ、子どもたちにとっては「やらされる勉強」だから、「他人にとって使いやすい人間になるための教育」だからなのかもしれません。
 僕の子どもが通っている学校をみると、最近は、少しずつでも変わってきている面はありそうですが。


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