琥珀色の戯言

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【読書感想】限界都市 あなたの街が蝕まれる ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
◆人口減、地方・郊外の高齢化が進むなか、都市を現状の規模のまま維持することは不可能になっている。日経が、独自取材と調査で、危機の実態を明らかにする。

◆2020年に向けて首都圏で各所で進められる行き過ぎた再開発、間に合わないインフラ整備。その一方で高齢化が進み駅前商店街が歯抜け状態になる郊外、空き屋増加で見込みが立たなくなったマンション修繕など、人口減が進むなかで高度経済成長型の都市開発が続けられる歪みの実態を明らかにする。

◆また、不動産情報会社の協力を得て全国規模の独自調査を実施。再開発案件やコンパクトシティ化事業にどれぐらいの補助金が入っているのかや、マンション修繕費用の状況などを明らかに。

◆新しいデータジャーナリズムの取り組みとして日経本紙・電子版で展開した注目特集の単行本化。


 少子化によって、今後も人口減が続いていく国、日本。
 人口が減っていけば、当然、住宅の需要は減り、住む人がいない「空き家」がどんどん増えていくはずです。
 高度成長期を生きてきた人たちは、通勤時間が長くなっても、郊外の一軒家の「マイホーム」を購入するのが人生の大きな目標でした。
 ところが、高齢化が進み、子どもたちは職場に近い都心・駅前のタワーマンションでの暮らしを選び、親が買った「マイホーム」には戻ってこない。
 そして、高齢になると郊外での生活は負担が大きく、買い物難民化する場合も増え、親たちも駅に近いマンションに住むようになる……

 これからも人口減が続いていくとすれば、多くの街は、どんどん「隙間だらけ」になっていきます。
 税収も減るのに、これまでと同じように、隅々まで公的なインフラを整えていくことは非効率であり、難しくなっていく。
 それに対して、住宅や公共の施設、病院などをなるべく集中させて、「コンパクトシティ化」するという政策がすすめられている……ことになっています。
 
 これまで僕が読んできた本で得た知識では、そういう「人口減少時代に起こってくる『空き家問題』や『コンパトシティ化への取り組み』」が語られていたのですが、この本では、さらにそこから一歩先に進めて、「タワーマンションに集まってきた人たちが近い将来に直面するであろう問題」や、掛け声ばかりで、それぞれの自治体の「自分の街の人口を増やしたい」という思惑のために、ほとんど有形無実化している「コンパクトシティ政策」などが紹介されています。
 「空き家問題」は理解できるけれど、現実に、「遠くに住まれるとゴミ捨てとか上下水道の整備とかにコストがかかるので、みんな固まってて住んでください」って行政に言われても、「はいそうですか」という人は、実際にはいないですよね。大金をもらえるとか、住居を無償(あるいは格安)で提供される、というような大きな見返りでもないかぎりは。
 「自分が生まれ育ってきた土地」への愛着が強い人というのもいるし、そういう人たちへの行政サービスを断ち切るわけにもいかないし。


 タワーマンションは「大勢の人口(それも子供を持つ若年層など)を獲得できる」という点で、地元の自治体にとってのメリットも大きい、とされてきました。「人を集約する」という意味でも、効果的だと考えられてきたのです。
 しかしながら、東京の一部の人気エリアにタワーマンションが乱立することによって、行政も対応しきれなくなっています。

 江東区の中でも特にタワーマンションが集中する豊洲エリア。区の担当者は「急激に子どもが増え、これまでは運動場で全学年が一度にできていたことも今は学年を分けてするようにしている」と話す。
 2015年度開校の豊洲小学校(江東区)は新設校にもかかわらず、児童613人に対し運動場は2381平方メートルと基準の4割弱しかない。「休み時間に全生徒が遊ぶと危険。遊ぶ内容で場所を分けている」と副校長。児童同士が衝突しないように、ボールで遊ぶエリアや一輪車で遊ぶエリアなどに分け、曜日ごとに体育館を使う学年を指定しているという。
 運動会でも保護者の応援席を運動場に設置できず、「基本的に校舎のベランダから見てもらう」(副校長)。全体の3分の1にあたる約200人が1年で増えるペース。学区内でさらにタワーマンションの建設計画があり、今後は校舎の増築も必要だ。副校長は「これまでの1年間で浸透させてきた学校のルールなどもまた新たに定着させなければならない」と生徒指導上の難しさも漏らす。
 浅間堅川小(江東区)は豊洲エリアからは離れるものの、ここ10年ほど学区内で大型のマンションの建設が相次いだ。児童数は10年前の2.6倍の1000人となり、休み時間は運動場、体育館、屋上を学年ごとに使い分けている。
 実は浅間堅川小は2000年、児童数の減少に伴い2校を統廃合して開校した。その当時は大型マンション建設の計画はなかったのだという。いまや運動会も全校一度には開催できず「学年ごとに2部制で実施している」(同校)。

 保護者は運動会を校舎のベランダから観らければならないのか……急に人口が増えると、こういうことが起こってきますよね、それは。
 学年ごとに2部制、というのも、昔ながらの運動会しか経験したことのない僕にとっては、すごく違和感があるのです。
 とはいえ、そこに子どもがいれば、学校側としては、何とかしなければならないし、運動場を急に拡張できるような土地もない。
 この本を読んでいくと、一度に同じような「子育て世代」が集まってきた地域というのは、みんなが同じタイミングで年を取っていく、ということもわかります。
 地方の老朽化したマンションでは、建て替えのタイミングがきても、住民の合意が得られず(住民もそれぞれ齢を重ねて費用の捻出も困難になり)、危険な状態になってきているのです。しかも、そういうマンションは、今後も増えていくばかり。

 持ち家に占める空き家予備軍の比率を三大都市圏の10万人以上の市区でランキングしたところ、最も高いのは千葉県の北西に位置する我孫子市で比率は28%だった。
 我孫子市は都心から40キロメートル圏にあり、上野駅からJR常磐線で一本でつながっているとあって都心部に通勤する会社員の住宅地として発展してきた。1970~80年代に戸建て住宅の開発が急速に進み、市制制定の1970年に5万人だった人口は13万人まで成長したが、2011年以降、減少に転じた。現在の空き家の比率は7%と千葉県全体の比率と同じだが、高齢者だけが住む戸建て住宅が1万戸あり、今後の空き家の急増リスクを示す。
 我孫子駅から徒歩20分の閑静な住宅地を歩くと、郵便ポストが粘着テープでとじられ、雑草が生い茂る空き家が多く見受けられた。近くの戸建てを訪ねてみると、70代の男性が出てきた。家は40年前に新築で買ったという。「子ども2人は職場に近い都内に住んでいる。この家をやると言っても、将来の介護などを心配するのか、一緒に住むとは言い出さない。わしらが死んでも、もう子どもたちは戻ってこない」と語った。
 別の家で対応してくれた60代後半の女性は「子どもたちは独立して、今はリタイアした夫と2人。このあたりは私たちのような世代ばかりで、すでにあちこりに空き家がある」と話した。
 これが空き家予備軍の実像だ。住宅開発が進んだ1970~80年代に入居した世代はすでに退職し、鬼籍に入る人も出始めている。我孫子市の市民生活部は「高齢の方が亡くなった後に、相続人が住まずに空き家になる事例が目立つ」という。市がまとめた将来の人口推計では14歳までの年少人口と15~64歳の生産年齢人口が減って人口全体が減る一方で、65歳以上の高齢者数だけが増える傾向が当面続くとみている。


 僕はここで取材にこたえている60~70代の人たちの子ども世代なのですが、たしかに、職場の近くで自活できているのなら、よほどの事情がなければ、親と同居して職場から離れた一軒家に住もうとは思わないだろうな、と感じます。
 親世代からすると、子どもに残してあげるつもりで買った家なのかもしれないけれど、社会の状況は変わってきて、「職場から遠くて不便な持ち家よりも、近くのマンション」と考える人が多くなってきているのです。
 家は残っても、そこに住むはずだった人たちの意識のほうが変わってしまった。

 「合成の誤謬」という言葉がある。それぞれの個人にとって良いことでも、全員が同じことをすると意図せずに悪い結果を生んでしまうことを意味する。たとえば、個人が将来に備えて貯蓄することは良いこととされるが、国民全体が財を蓄えることに熱心になりすぎると消費が減り、経済全体に悪影響を及ぼす。このように説明されると、多くの人は「木を見て森を見ず」の危うさに思いをいたすだろう。
 私たちが市街地再開発や老朽マンション、コンパクトシティーなどの取材を通じて痛感したのは、まさに都市問題には合成の誤謬が凝縮されているということだった。
 再開発を通じてタワーマンションが乱立するのは、デベロッパーにとっては収益性が高く、自治体は住民を一気に増やせるからだ。コンパクトシティー政策を掲げながら郊外の開発規制を緩和しているのも、住民を呼び込んで税収を増やすことを優先している証左である。ミクロの視点による経済合理性の追求が都市の拡散とムダな投資につながり、長期的には国全体で「都市のスポンジ化」という荒廃の道をたどることになる。
 東京都心でも一部の地域ではマンションの潜在的な在庫が積み上がってきているといわれる。2020年の東京オリンピックパラリンピック後の景気、不動産市況がどう転変するのかを正確に言い当てるのは難しい。しかし、確実に言えるのは今後、日本の人口は減少し、都市密度が薄まっていくということである。
 この不都合な未来に気付いている人はいるのに、なぜ拡大路線が止まらないのか。


 結局のところ、いくら「将来の理想」を説いても、それだけでは人は動かない、ということなのでしょう。
 「長期的な視点に立った政策を!」とテレビの前では思うのだけれど、そのために自分が不利益を被るとなると、受け入れるのは難しい。


2020年マンション大崩壊 (文春新書)

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