琥珀色の戯言

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【読書感想】ひとつむぎの手 ☆☆☆☆

ひとつむぎの手

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Kindle版もあります。

ひとつむぎの手

ひとつむぎの手

内容(「BOOK」データベースより)
大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。


 2019年『ひとり本屋大賞』9作目。
 僕は「医療もの」って、小説もドラマも、なんだか苦手なんですよ。
 あまりにもいいかげんなもの(最近はあまりそういうのは見なくなりましたが)は、ツッコミを入れまくりたくなるし、理想のスーパードクターが活躍する作品は、ダメ医者である自分と比べて、落ち込んでしまう。
 2019年の『本屋大賞』のノミネート作品のなかでも、『熱帯』(分厚いし捉えどころがなさそう)、『さざなみのよる』(作者が苦手)と並ぶ、「手にとろうとすると気が重くなる本」だったのです。

 実際に読み始めてみると、なんというか、「医局に属する中堅医師の悲哀と矜持」みたいなものが、かなり的確に描写されていて、読みながら、主人公の心臓外科医に共感しまくりました。
 いや、僕はこんなに優秀でも誠実でもないのだけれど、研修医を指導することの難しさとか、教授をはじめとする上司に対して、どう振る舞うべきなのかという困惑とか、本当に身につまされるのです。
 悪代官みたいな上司や、やる気がある一方で、指導医に喧嘩を売りまくってくる研修医など、さすがにこれはキャラクター設定が極端すぎないか?と思うところはあるのです。現実的に考えて、いくら評判が良くても、ひとりの指導医だけに3人の研修医を全員つけるなんていうのはありえない話だし。
 
 それにしても、同じ「医者」というカテゴリーに属するとはいえ、標榜している科によって、仕事の内容や生き方は、かなり違ったものになってくるよなあ、と考えずにはいられません。
 僕は体力的にも精神的にも(いつもみんなで一緒にチームプレイ、というのはつらい)外科でやっていくことは無理だと早い時期から悟っていて、内科の中でも、比較的落ち着いて仕事ができる科に入ったのです。
 それでも夜間の呼び出しとか救急車が次から次に来る当直とかに消耗しまくった末に限界を感じて、「自分がすごい医者であることを証明する」ことを早々に諦めて、比較的仕事がきつくなく、休める職場に移って、今
至ります。
 
 そんな僕でも、「医者」という世界の中で生きていると、「自分はたいした人間ではない」と悟りつつも、それを認めるのは、すごく難しかったし、いまでも、「身を粉にして患者さんのために尽くしている医者たち」への劣等感はあるのです。
 
 結局のところ、現在の医者という「勉強がすごくできる人たちの集団」のなかで、世界的に有名な教授になるとか、難しい手術の権威になるには、ある種の「突き抜けた才能」が必要なのだと思います。努力で教授になれる人だっているのだけれど、「いい人なんだけど、どうもパッとしないねえ……」なんて言われてしまいがち。

 患者の側になれば、人間性よりも、とにかく「腕が良い、上手い」人に手術をやってもらいたい、というのが本音だと思うんですよ。僕だって、自分が手術される側だったらそうだし。
 手塚治虫先生の名作『ブラック・ジャック』の、「手術料は3000万円!」なんてセリフはインパクト大なのですが、あの物語が成立するのは「とにかくブラックジャックは手術が上手い」からなのです。あれで下手くそだったら詐欺師だよ。
 天というのは、すぐれた人格者に手術の才能を与えるとはかぎらない。というか、手術というのは、「非常事態」なのだから、「普通の人間」は、どんなにトレーニンフしても、うまくやれるかどうかはわからない。
 むしろ、「緊張して手が動かなくなる」ほうが「普通の人間の感覚」なんですよ、たぶん。
 そこで、マシーンのような揺れない心で極限状態に臨めるのは「超人」としか言いようがない。
 医者も、トレーニングである程度は非常事態に対応できるようになるけれども、心臓外科のオペレーターになれる人は、まさに選ばれた存在なのです。
 ほとんどの人は、向き不向きはあっても車の普通免許はとれるけれど、F1レーサーにはなれないように。

 2004年からはじまった新研修制度により、研修医は容易に市中病院で研修を受けられるようになった。その結果、大学病院の研修医は大きく減少し、研修終了後に医局に入る医師の数も激減した。力を失った医局は地方の関連病院から医局員を引き上げはじめ、地域医療の過疎化が進行している。
「研修医の側からしたら、選択肢を広げてくれるありがたいシステムですけど、いまの臨床研修制度ってデメリットも多いですよね。地域医療が崩壊しそうになったり、外科系の医者が減少したり、こうしてみると、医局制度って問題もありますけど、なかなかうまくできていたんですね」
 諏訪野はしみじみとうなずく。


 医師免許を「なるべくラクをしてお金を稼ぐ」ためにみんなが使えば、日本の医療はすでに崩壊しているはずです。
 待っている患者さんのために、あるいは、自分の力を試すために、厳しい科に飛び込んでいく人たちがいて、今の医療は成り立っている。

 おそらく、これからは、個々の医者のやる気に依存するよりは、救急や専門的な医療を一部の大病院に集約していく時代になるのでしょう。


 いろんなことが、あまりにもタイミング良く起こったり、ミステリとしては物足りないところもあるのだけれど、僕みたいな「一番得意だった事がうまくいかない。それでも、生きていかなければならない人間」にとっては、「ひとりの人間の生きざまとして、沁みる小説」でした。
 自分がやりたいことをやるか、自分に向いていること、できることをやるか、という問いについて考えるための、ヒントにもなると思います。

 斜に構えて読み始めたのだけれど、予想外に面白かった。僕自身の野心が枯れてしまったというのが、素直に読めた理由なのだとしても。


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