琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】一度きりの人生だから~大人の男の遊び方2~ ☆☆☆

内容紹介
当代屈指の人気作家にして、「大人の流儀」シリーズが
国民的なベストセラーになっている著者の「生き方の指南書」第二弾。
今回は服装や手紙の作法から旅に出ることの意義、松井秀喜宮里藍などの
アスリートから松任谷由実などアーティストとの交友まで幅広く綴る。
「実りある人生を生きる」ための必読書。


 僕は年齢的には、もう十分「いい大人」なのですが、自分で自分が大人なのかどうか、自信が持てないのです。
 そんな僕にとって、伊集院静さんのエッセイというのは、「読んでいるだけで、自分が大人の男になったような気分になれる」ところがあるんですよね。
 ある意味「大人の男ポルノ」みたいなものでもあります。

 色川武大さんや武豊騎手、松井秀喜さんなど、各界の「勝負師」たちが、伊集院さんのもとに集まってくる、というのは、やはり、それにふさわしい魅力があるのでしょうし。
 怖そうなひとなのに、なんでこんなに人が集まってくるのだろう、とか、つい考えてしまうのですが。
 以前『情熱大陸』に出演されていたときも、納得できない出来事に対して、途中で収録をキャンセルする場面がありましたし。
 ただ、そういうときに、「ちゃんと筋を通すためには、嫌われることを厭わないひと」であるとも言えるのかもしれません。

fujipon.hatenablog.com


 それに、本当に困っているひと、つらい状況にあるひとへの想像力をきちんと持っているひとでもあるのだよなあ。

fujipon.hatenablog.com


 さて、この『大人の男の遊び方2』なのですが、ギャンブルやゴルフ、ファッションなど、伊集院さんにとっては十八番のジャンルについてのエッセイ集です。

 エッセイ、随筆というものは、簡単なようで、これが案外と手強いものだ、と考えるようになったのは、この十年くらいである。
 何が手強いかと言うと、このエッセイを連載している『週刊大衆』という週刊誌が、本を手に取って、まず最初にグラビアページの美女たちの豊満な肉体に目を奪われるからである。エッセイなんぞは、あとのあとである。それでも読んでいただいているのはありがたいことだ。
 担当のS君と二十年近く、毎週、原稿の受け渡しをしているが、それだけ長いと、もういいだろう、という気持ちになりそうだが、これがそうでもない。小説を書くかたはらで競馬、競輪、麻雀と誘われれば知らぬ間に賭け場に身を置いている。
 そこで見たもの、感心したもの、オカシイゾと思ったものを綴っているだけである。
「S君、内容は大丈夫ですか?」
「大丈夫です。これだけ忙しい作家で、これだけ遊んでいる作家はいませんから」
 それが誉め言葉とは思えないが、今のままでいいのならと書き続けた。
 若い頃「作家というものは注文があれば、たとえどんな仕事であれ、引き受けるものです」と教えて下さったのは阿佐田哲也さんである。
 そういうものかと思い、せっせと書いていたら、こういう作家になっていた。


 伊集院さんの場合には、まさに「遊び」が、「趣味と実益を兼ねている」わけですが、僕も毎回、競馬で負けるたびに、「伊集院さんみたいに、カッコよく負けられる大人になりたいけど……やっぱり無理だな……」と、いなくなってしまった諭吉を数えてしまうのです。
 ギャンブルで大事なのは、勝ち方ではなく、負け方や負けたときの振る舞いであって(負けないギャンブルなんて無いのだから)、それは人生にも通じているのではないかと。

 読んでいると、実際に伊集院さんが体験したエピソードとともに、大人(社会人)としての礼儀作法が、簡潔に紹介されているところがけっこうあるのです。

 手紙の書き方について。

 恋文は別として、手紙は夜半に書くものではない。むしろ朝早く起きて仕事の前に書く方が良い。
 なぜか? 夜半はどうしても人間が情緒的になる。いらぬことまでつい書いてしまうし、少し外れたことを書いても、大丈夫だと思ったりしてしまう。
 朝、書いた手紙を仕事前に自分で投函すれば、それだけ早く相手の下に届く。タイミングのひとつである。
 目上の人へ書く時は、いつもより大きな文字で書くようにした方がよい。相手が読み辛いこともあるが、文字というものは、ちいさく書くものではない。
 ここまでの要点とその他の大切なことを羅列する。


・上手く書こうとしない。
・文字は丁寧に書けば、それが綺麗な字となる。
・一番は、何を伝えたいかを常に考えて書き進める。そのことは伝えたいものが書けたら、そこで手紙の文面を終えるつもりでいい。
・短か過ぎる手紙はない。
・短い手紙の方が良い手紙と言ってもいい。
・時候、季節の挨拶を、なるたけ自分の言葉で書く。
・知らない言葉を使わない。
・無理に漢字にする必要はない。
・むしろ漢字は少なくていい。
・誤字は訂正して書けばいい。
・慣れた文具でかまわないし、鉛筆でもかまわないのだが、文字が大きく濃くなるものを使用する。
・できれば相手が何度読んでも消えない文具の方が親切である。
・書き出したら途中でやめず、最後まで書いて、それを読み直して、出すか出さないかを決めればいい。


 まあそんなところか。
 あとはお祝いの報せ(結婚式の出席等)はなるたけ相手の家に週末に届く計算で出すのがよい。
 逆にオフィスや仕事場へは平日に届く方がいい。

 
 最近はメールが主で、手紙を書くことはほとんどなくなりましたが、メールを書く際にも、参考になるところは多いのではないかと思います。
 
 伊集院さんは、自分を曲げない、頑固親父的なイメージが僕にはあったのですが、ファッションに関して、「流行に乗ってしまう必要はないが、ファッション雑誌などにも軽く目を通して、流行を少しは意識しておいたほうが良い」と書いておられたんですよね。
 自分にとって絶対に譲れないところ以外は、それなりに周りに合わせたほうが、いろんなことがスムースにいく、というのも、大人の処世術なのだな、と。


 このエッセイ集のなかで、いちばん印象的だったのは、この話でした。

 だいたい私には的中車券以外、欲しいものがない。
 家、車、時計、洋服……まったく興味がない。だから家も、車もすべて私のものはない。
 ただ海外へ行き、持ち帰ったものはある。
 それは海辺で拾った小石とか、スペインの海岸へ流れ着いていた木片とか、ポーランドで拾った松笠、ミロのアトリエのそばに聳(そび)えていたエンドウの木から落ちたエンドウ豆とか、虫の死骸というのもある。
 それを仕事場の脇の机の上に勝手に置いてる。
 中国の重慶の奥の川で拾った石は黒い石のど真ん中に白い石が嵌っていて、実に面白い。
 私が死んだら、そのガラクタが何なのか、誰にもわからぬ類のものである。
 それでイイのである。


 ああ、こういう「自分が死んだあとに、『何これ』って周りが思うような大切なもの」って、なんだか素敵だな、と僕は思ったのです。


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