琥珀色の戯言

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【読書感想】革命前夜 ☆☆☆☆

革命前夜 (文春文庫)

革命前夜 (文春文庫)


Kindle版もあります。

革命前夜 (文春文庫)

革命前夜 (文春文庫)

内容紹介
1989年、日本の喧騒を逃れ、ピアノに打ち込むために東ドイツに渡った眞山柊史。
彼が留学したドレスデン音楽大学には、
学内の誰もが認める二人の天才ヴァイオリニストがいた。


正確な解釈でどんな難曲でもやすやすと手なづける、イェンツ・シュトライヒ
奔放な演奏で、圧倒的な個性を見せつけるヴェンツェル・ラカトシュ
ヴェンツェルに見込まれ、学内の演奏会で彼の伴奏をすることになった眞山は、
気まぐれで激しい気性をもつ彼に引きずり回されながらも、彼の音に魅せられていく。


冷戦下の東ドイツを舞台に、一人の音楽家の成長を描いた、
著者渾身の歴史エンターテイメント。


 これは、ひとりの音楽家の成長を描いた小説なのか、それとも、「ベルリンの壁の崩壊」という歴史的な事件の前の「東ドイツ」という国を描いた小説なのか、あるいは、その両方なのか。
 僕は、もうちょっと「音楽家の成長物語」的なものを予想していたのですが、実際は、当時の東ドイツ、あるいは東欧の国情と、そこに生きる人々の姿を、日本人留学生の目を通じて描いた「歴史小説」だと感じました。
 もちろん、音楽についての描写も、特筆すべきものがあるのですが、音楽という「聖域」にいたはずの人たちも巻き込まれずにはいられなかった、1989年の大きな歴史のうねりが、読んでいて伝わってくるようです。
 この作品では、「それ以前」の東ドイツの空気感がすごく丁寧に描かれているのです。
 僕はニュースで、あの「ベルリンの壁」が壊されたときの映像は見たけれど、それまで、あの国の人たちがどんな状況に置かれていたのか、あまり考えたことはありませんでした。
 

 細い指が、まっすぐステージを指し示す。
「ここから生まれるものはいつだって、ドレスデンで――いいえ、DDRで最上のものです。あなたが目指すものは、ここにあります」
 DDR(ディーディーエール)、と彼女は誇り高く発音した。日本にいたころ、僕は無造作に東ドイツと言っていたが、ここではそれは好まれない。ドイツ語の担当の教授も、僕が迂闊に東ドイツと口走った時、即座に「ドイツ民主共和国」と訂正した。略してDDR。対して西ドイツは、「ドイツ連邦共和国」。似たような名前でややこしいので、西ドイツでは西・東と当たり前のように呼び分けていたが、DDR側では東と呼ばれることをよしとしなかった。西のことも、例の教授は「BRD」と呼んでいた。独特のこだわりがあるらしい。


 日本人にとっての東ドイツって、ずっと「あちら側」の国だったと思うのです。
 この作品は、あえて、その「あちら側」の視点で書かれています。
 それは、すごく大変なことだったはず。
 東側は西側に比べて物資は乏しく、監視の目が光っていたけれど、西側にはない音楽や、人々の生きざまがあった。
 もちろん、それは無条件に肯定されるべきではないけれど、否定されるべきものでもない。
 スポーツや芸術の世界で、「東側」の人々が冷戦時代に成し遂げてきたことは、少なくありません。

 音楽に国境はないという言葉は、嘘だ。音楽ほど地域性、国民性が出るものはない。
 瓦礫で隔てられた西ドイツと東ドイツは、今や明らかに音が違う。カラヤンは偉大だ。それは間違いない。しかし、ベルリン・フィルの音が商業的にどんどん洗練されている過程で、僕は次第に彼らの音から遠ざかっていった。精力的に来日していた彼は、去年もサントリーホールで振ったけれど、結局僕は一度も行かなかった。
 彼らの音は、今でも素晴らしいのだろう。最高の才能が集っている。ただ、僕の求める音ではなかった。ドイツのよき音色を受け継ぎ、いっそう純化していくようなDDRのオーケストラに、僕はますます傾倒していった。


 あの「壁」は、一朝一夕に崩れたわけではなかったのです。
 そして、東側のものの、すべてが否定されるべきでもない。
 この小説を読んでも、歴史というのは、一度動き始めたら、こんなにあっさりと変わってしまうものなのか、とは思うのだけれども。


また、桜の国で

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芙蓉千里 (角川文庫)

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