琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
◎現代の世界はどんな「仕組み」で動いている?
◎なぜ一部の人たちだけに「富」が集中するのか?
◎「経済危機」の裏に隠れているものは何か?

「資本」や「資本主義」という言葉を
使わずに経済を語ったら、
とんでもなく本質がわかるようになった!

経済の本なのに「一気に読める」
「ページをめくる手が止まらない」と話題沸騰!
読み終えた瞬間、世界が180度変わって見える!


 著者は2015年のギリシャの経済危機時に財務大臣を務めた人です。
 EU から財政緊縮策を迫られるなか大幅な債務帳消しを主張しています。

 この本の訳者による「あとがき」には、著者のヤニス・バルファキスさんは、革ジャンにスキンヘッドでバイクを乗り回し、『政界のブルース・ウィリス』とも呼ばれていたことが紹介されています。
 そんな著者が、自分の10代半ばの娘に対して「経済と文明」について、なるべくわかりやすく書いたのが、この本なのです。

 僕はこの本を最初に手にとり、「父が娘に語る」というのをみて、小学生くらいの子どもにもわかるような、童話のような語り口なんだろうと思いつつ読み始めたのですが、正直、この本はそんなに「わかりやすい」わけではありません。経済の話というより、文明論が主ではないか、という感じもします。
 難しい数式も出てこないし、経済学の本としてはわかりやすいのですが、それほど「子供向け」ではないし、「まだ経済のことが全然わからない大人」が読んで、すぐに腑に落ちるほど簡単でもないんですよね。
 著者の娘さんは、すごく頭が良いのだろうなあ、と感心しながら読みました。
 ちなみに、本文中にも参考文献として挙げられているのですが、この本を読む前に、ジャレド・ダイアモンドさんの『銃・病原菌・鉄』を読んでおくと良いと思います。この大ベストセラーも、けっして、「簡単で読みやすい」というわけではないのですが。

fujipon.hatenadiary.com

 ここでそろそろ最初の質問に戻ってみよう。
 オーストラリアを侵略したのはイギリス人だが、どうして逆じゃなかったのだろう?
 もう少し大きく捉えて、帝国主義超大国ユーラシア大陸に集中していたのはなぜだろう? アフリカやオーストラリアで、そんな国がひとつとして生まれなかったのはどうしてだろう? 遺伝子の問題? そんなはずはない。答えはさっきからずっと言っていることだ。
 すべては「余剰」から始まったと言った。農作物の余剰によって、文字が生まれ、債務と通貨と国家が生まれた。それらによる経済からテクノロジーと軍隊が生まれた。
 つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が農耕と余剰を生み出し、余剰がその他のさまざまなものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。そのうえ、侵略者は自分たちの呼吸や身体をとおしてウイルスや細菌も兵器として使うことができた。
 だが、オーストラリアのような場所では、余剰は生まれなかった。まず、オーストラリアでは自然の食べ物に事欠くことがなかったからだ。300万人から400万人がヨーロッパ並みの広さの国土に自然と共生し、人々は土地の恵みを独り占めできた。だから農耕技術を発明しなくても生きていけたし、余剰を貯め込む必要もなかった。テクノロジーがなくても豊かな暮らしができたのだ。
 アボリジニが詩や音楽や神話といったすばらしい文化を発達させたことは知っているだろう。彼らの文化は他人を攻撃するためのものではなかった。だからいくら文化が発達していても、農耕社会の経済がもたらす軍隊や武器や細菌から自分たちを守ることはできなかった。
 逆に、気候に恵まれないイギリスでは、大量に作物の余剰を貯めないと、生きていけなかった。航海技術や生物兵器も、余剰から生み出された。そうやって、はるばるオーストラリアにまでたどりついたイギリス人に、アボリジニがかなうはずがなかった。


 こういう話は、『銃・病原菌・鉄』で提示されていた仮設をもとにしているわけですが、正直、僕がその仮説が本当に正しいのかどうか、わからないんですよね。ほとんど記録も残っていない時代の話ではありますし。
 面白いし、そうなのかもしれないな、とは思うけれど、「定説」として良いのかどうか?


 著者は、SF映画や文学作品の描写を取り入れながら、話を進めています。おかげで、僕はけっこう読みやすくて、興味を持続できたのです。いま10代半ばだったら、『マトリックス』とかは「古い映画」で、観たことがない人も多いのかもしれないけれど。

 フランケンシュタイン博士が死体を継ぎはぎしてつくった怪物は、自分という存在への不安に耐えられなくなって人間を殺しまわった。『ターミネーター』では、機械が地球を乗っ取ることをもくろんで人類を根絶やしにしようとした。
マトリックス』はそこからさらに一歩進めて、機械がすでに地球を乗っ取ったあとにまだ人間を生かし続けようとする世界を描いている。
 機械が人間を根絶やしにしないのはなぜかというと、人間が地球の資源を使い果たし、地球は黒い雲に覆われて太陽エネルギーが届かなくなってしまったからだ。唯一のエネルギー源が人間の肉体なのだ。人間は特殊な容器に入れられて植物のように水と栄養を与えられ、人間が代謝によって発するエネルギーが機械の動力源となっている。
 しかし、たとえ適切な栄養を与えられ最高の状態に置かれていても、人間は他者との関わりや希望や自由が失われると、すぐに死んでしまうことがわかった。そこで、機械はマトリックスという世界をつくりだした。マトリックスはコンピュータが生み出す仮想現実で、奴隷になった人間の脳にその仮想現実が映し出され、機械に乗っ取られる前の生活を頭の中で体験できる。人間は奴隷となり搾取されていることには気づかない。
マトリックス』のような優れたSF映画は、われわれをハッとさせる。それは、こうした映画が現実についての何かを教えてくれるからだ。
マトリックス』は現代を映し出し、われわれの不安を映し出す鏡のようなものだ。メタファーを通したドキュメンタリーと言ってもいい。『マトリックス』は、もはや人がテクノロジーに支配されていることに気づくことすらできないほどの完璧な機械化や肉体の商品化、心の奴隷化への恐れを映し出している。実際、マトリックスがすでに現実になっていたとしても、われわれにはそれを知りようがない。
 19世紀の革命思想家であるカール・マルクスはかつて、生産手段の中でも労働手段、つまり機械や装置は「人間に服従を強いる」と書いた。カール・マルクスが考えた、市場社会が進化の末にどこに行くのかを、この映画は見せてくれる(マルクスシェリーの書いた『フランケンシュタイン』に大きな影響を受けたという事実も驚くにはあたらない。経済について優れた著作を残した人たちはいずれも、芸術家や小説家や科学者からアイデアを得ている)。
 しかし、経済の中には、人に希望を与えてくれるような、いわゆる「安全装置」が存在するとマルクスは言っている。市場経済には、機械が人間の労働者に完全に取って代わる前に「危機」を発生させるような仕組みが組み込まれていて、その仕組みは労働の機械化が進むにつれて強まっていき、人間が生産からすべて排除されないよう防いでくれるというのだ。


 著者は、この本の後半部で、「民主化」と「商品化」という2つの概念のせめぎ合いについて詳述しています。
 資本主義が「ひとり勝ち」している現在の世界で、資源や環境を守るためには、どうすれば良いのか?

 どうしたら、すべての人が地球の資源に責任を持ち、それを社会に欠かせないものと考えられるようになるだろう?
 土地を原料と機械を支配し、規制に反対しているほんのひと握りの権力者たちが、法律をつくり施行し監視する政府に決定的な影響耐えているいまの世の中で、どうしたらすべての人が資源に責任を持てるようになるのだろう?
 答えは、問いかける相手によって変わる。
 土地を持たない労働者に聞けば、こう答えるだろう。
「地球の資源を金持ちに独占させないためには、土地や原料や機械の所有権を奪えばいい。集団的な所有権にしか集団的な責任は生まれない。地域か、組合か、国家を通して、資源を民主的に管理するしかない」
 一方、土地や機械を大量に所有するひと握りの金持ちに同じことを聞くと、違う答えが返ってくるはずだ。
「地球を救うためには、何らかの手を打ったほうがいい。だが、政府が人々の利益を本当に代弁できると思うかい?とんでもない! 政治家や官僚は自分たちの都合しか考えていない。大多数の人のことや地球のことなんて考えていない。組合の共同管理も幻想で、全員がテーブルを囲んで話し合っても、物事は進まない。民主的なやり方では重大な決定はできない。オスカー・ワイルドが言ったように、『社会主義の問題は、話が進まないこと』だよ」
 君はこう聞きたくなるに違いない。「ならどうやって地球を救うの?」と。すると、おそらくこんな答えが返ってくるはずだ。「もっと市場を!」


(中略)


 もし川やマスが誰かの所有物になったら、所有者は全力でそれを守るだろう。釣り人から料金を徴収して漁獲を制限し、マスを守って漁師も助けることができるかもしれない。大気や森林にも同じことが言える。大気にも森林にも所有者がいれば、企業は排出権におカネを払い、家族は森へのピクニックにおカネを払うようになる。所有者は資源が適切に利用されるよう資源を守り、維持するようになる。
「それって封建制度とどう違うの?」
 組はそう思うかもしれない。その昔、土地も、そこに住む動物も植物も人間も、封建領主の所有物だった。では、地球を救うには封建制度に逆戻りしなければならないのだろうか?
 市場社会を擁護する人は「違う」と言うだろう。
「市場による解決策なら、天然資源が売買できる限り、資源を最も効率良く管理し、利益を生み出す人がその所有者になる。その人たちが最も高い値を支払って資源を手に入れることになる。気まぐれな封建領主が永遠に資源を所有するのとはまったく違う」
 実際には、私有といっても、必ずしもひとりの個人やひとつの企業が所有する必要はない。川も森も大気も、市場で小分けにすれば数千人の異なる所有者が所有できる。
 では、森や大気をどうやって小分けにするのか? アップルやフォードといった巨大企業のように「株券」のようなものを発行し、所有株数に応じて資源から生まれる利益を分割すればいい。


 多くの人が、それぞれ少しずつ責任を分けあう「民主化」と、少数の人々が所有し、自分の利益を最適化するために効率化していく「商品化」と、どちらが正解なのか?
 著者は、後者のほうが、今の世の中では優勢になりつつある、と述べています。
 

 私が口を酸っぱくして「民主化」と繰り返すのはなぜだろう? チャーチルのジョークを少し言い換えると、民主主義はとんでもなくまずい統治形態だ。欠陥だらけで間違いやすく非効率で腐敗しやすい。だが、他のどの形態よりもましなのだ。
 君は、正反対のふたつの主張が衝突する時代に生きることになる。一方では「すべてを民主化しろ」と言う人がいて、もう一方では反対に「すべてを商品化しろ」と言う人がいる。
 権力者が好きなのは「すべての商品化」だ。世界の問題を解決するのは、労働力と土地と機械と環境の商品化を加速し広めるしかない、と彼らは言う。
 反対に、僕がこの本を通じて主張してきたのが「すべての民主化」だ。
 どちらを取るかは君が決めていい。ふたつの主張の衝突が、私がいなくなったずっと後の未来を決めることになる。未来に参加したいなら、このことについて君自身が意見を持ち、どちらがいいかをきちんと主張しなくちゃならない。


 実際は、完全な民主化ではコストがかかり、無駄が多くなりすぎるし、「すべての商品化」はアメリカの保険会社による国民皆保険の妨害や南米での水道会社の民営化による水道料金の高騰などのリスクを引き起こしています。
 「すべて商品化すれば、効率がよい『落としどころ』におさまるはずだ」というのは、「お金を稼ぐためなら、人間はどうなっても構わない」という地点に着地することも少なくないのです。
 僕も基本的には著者の意見に賛成です。
 「民主化」には、もどかしいところもたくさんあるけれど。

 経済のありかたを語ることは、これからの人間のありかたを考えることでもあります。
 子供向き、とは言い難いものがありますが、「簡単にお金を増やす方法」が書いてあるという触れ込みの本を手に取る前に、ぜひ、この本を読んでみていただきたいと思います。


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