- 作者: 藤森照信,大和ハウス工業総合技術研究所
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2019/10/16
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 藤森照信,大和ハウス工業総合技術研究所
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2019/11/01
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内容(「BOOK」データベースより)
日本の近代建築が直面した最初の難題は「脱ぐか否か」だった。一八五七年、米国総領事ハリスは江戸城登城を許される。土足のハリスを迎えたのは畳に敷かれた錦の布と、その上で草履を履いた将軍家定。以降、公的な場は「脱がない(土足)」が原則となる―。「和」の建築は「洋」をどう受け入れてきたか。銀座煉瓦街計画、国産大理石競争、奇妙でアヤシイ洋館群、日本に溺れた英国人教授等、建築探偵・藤森教授が語る全68話。
僕が「建築」に興味を持つようになったのは、けっこう最近になってからです。
子どもの頃は、法隆寺とか姫路城とか、「歴史的な遺物」としての建築にはそれなりにロマンを掻き立てられましたが、近代建築に関しては「設計図通りに建てられた人工物の何が面白いのか」と思っていたんですよね。
東京タワーみたいに「高い所に登れる」というような付加価値があるものは別として。
ところが、年を重ねたからなのか、「建築」というのもけっこう面白いなあ、と思うようになってきたのです。
人間が生活していくうえで、「生活環境をデザインする」というのは、とても大切なことですし。
建築家、建築史家であり、東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長の著者は、「はじめに」で、こう述べています。
大和ハウス工業主催の建築コンペを何年かにわたり審査し、その時初めて大和ハウスの奈良の山林に始まる歴史や、創業者のことや、住宅に留まらず総合建設業としても実績を誇り、充実した大和ハウス工業総合技術研究所を持つことを知った。奈良にある総合技術研究所では実験はじめ研究開発を進めている。また栃木の工場を訪れてみると住宅用鉄骨構造の実物大実験のさなかだった。
その総合技術研究所と組んで短文の連載を引き受け、さてテーマはどうするか。一ページ分の読み切りとなると、大きなテーマを取り上げるわけにもいかないし、具体的な建築の作りから離れると読者も離れる。
かといって<法隆寺>や<姫路城>や<赤坂離宮>といった誰もが知る世界遺産や国宝をわざわざ取り上げてありふれた解説をしても、読者も私も退屈だ。
私が関心を持ちあれこれ調べていることから取り掛かろうと思い、住まいと建築の原点である原始、古代のあたりから手を付けたが、前途があまりにも遼遠であることに途中で気づき、私が一番詳しい明治以後に時代を移した。
テレビの時代劇で登場人物が住んでいる家と、今のわれわれの住居は、全然違いますよね。
となると、どこかにその変化の分岐点があるはずなのですが、明治維新が、その分岐点にあたるのです。
この本のなかでは、日本の家で、ガラス窓が普及していた経緯や、いつごろから屋内でスリッパが使われるようになったか、などが、さまざまな資料をもとに検討されています。
明治の新政府は皇室の衣食住を洋で統一することに決めたため、旧大名家などでは、自邸に天皇の行幸を仰ぐために、大名屋敷の一画に小さな洋館を建てたそうです。
天皇家に倣い、皇位継承権を持つ有栖川宮家をはじめとする各宮家も100%の洋。広い屋敷の中に和を探しても、使用人の住まいがあるばかり。
100%洋と決めた家としては皇族のほかに住友家があり、家族は立派な洋館に移り住んだばかりか、家庭内の”公式言語”は英語とし、女性の使用人にも英語を教えて使わせている。
100%洋を選んだのは、時の住友家当主が公家の徳大寺から入ったのと、英国留学を経験していたからという。
三井家はどうか。昔の暮らし方を聞いたところ、和館と洋館の二つからなっていたが、三井八郎右衛門の住む和館だけは一風変わっていて、赤い絨毯を敷き詰め、椅子・テーブル・ベッドを据え、八郎右衛門は革靴で歩いていた。でも、使用人はスリッパのような上履きを履き、子どもたちは裸足で走っていた。一つ屋敷の床の上を、靴と上履きと裸足が混ざって使っていた。
もっと不思議なのは、徳川宗家の明治の暮らし方だった。辰野金吾が手掛け、門の側から洋館、小さな洋館、大きな和館と三つに分かれる。徳川宗家が帰ってくると、まず靴を履いたまま洋館に入り、続く小さな洋館の前で靴を脱いで上履きに履き替え、さらに進むと大きな和館の前には御嬢錠口(おじょうぐち)と呼ばれる立派な構えの入口が付き、ここで上履きを脱ぎ、裸足か足袋に替えて奥の畳敷きの御座敷へと進む。
御錠口より中には奥女中しか入ることはできない。夜も奥に詰める奥女中は、寝る時の帯の締め方も普通とは逆で、危急の時、すぐ飛び起きて素早く動けるように後ろに結ぶ。
天皇家と三井家にあっては、体は欧米式に動かしながら、目に映るのは伝統色の強い床の間や柱だった。体と目の分離ともいえるこうした作りは、決して広まったわけではないが、和と洋の関係のあり方としては興味深い。
この和洋衝突の火花のごとき作りを確かめたいと思ったら、東京都の”江戸東京たてもの園”を訪れ、移築された旧三井家の中に入ってほしい。
こんなふうに書かれると、旧三井家を一度は訪れてみたくなりますよね。「和洋折衷」じゃなくて、「和洋衝突の火花のごとき」だものなあ。
徳川宗家の話も、いったい、家の中で何度履物を替えなければならないのか、と、読んでいるだけでうんざりしてしまいます。
高貴な身分にあって、大邸宅に住み、時代を先取りするというのも、いいことばかりじゃなさそう。
明治から昭和戦前にかけての日本近代住宅史とは、大きな和館に接して小さいが本格的な洋館の並ぶ「和洋併置式」に始まり、小ぶりな和館の玄関横に洋間が取り付く「中廊下式」にいたる道が主流だった、と説明した。明治の有力者の本格的洋館も、明治初期の郊外住宅の洋間も、用途はお客様を迎えるための接客空間であった。
『となりのトトロ』のサツキとメイ一家の住まいは、南の庭から向かって左手に洋館、右手と洋館後方に和館が並んでいる。二階建ての洋館を平屋にすれば和洋併置式と中廊下式の中間的姿となる。
そういう目で『となりのトトロ』を観たことはなかったのですが、あの家の間取りもまた「時代」を反映したものだったのです。
著者は「戦後、高度成長期の頃、一戸建てに応接間を作ることが流行った」と述べていますが、確かに、僕が子どもの頃に住んでいた家には、それなりに立派な応接間がありました。
僕は今、マンション暮らしなのですが、「応接間」というのをつくる、というイメージを失ってしまっています。
これから新しく家を建てる人は、「応接間」をつくろうと思うのだろうか。
伝統の和館の玄関脇に洋間の応接室を作った結果、スリッパが使われるようになり、応接間に用のない客もスリッパで廊下を歩くようになる。
客はそうしたが、家の人はどうしたんだろう。そこまで細かく聞き取ったことはないが、客がいないときは昔のようにスリッパ無しで過ごし、客が来た時だけ、客と同じようにスリッパを履いたのではないか、客だけ履いて自分が裸足なのはヘンだからだ。
明治の和洋併置式に始まり、大正、昭和戦前の中廊下式を経て、日本人の暮らしの中にスリッパがスリップして(滑って)入り込み、独特の地位を得ることに成功した。
成功したと私が言い切ることが出来るのは、1995年の調査データがあるからだ。家にスリッパがあるは98.9%、ないは1.1%。 20年前のデータであり、その後、床暖房の導入によりスリッパは減ったはずだが、現在でも、畳や障子のない家はあっても、スリッパのない家は少ないのではないか。
いまの日本で、自宅内でスリッパをずっと履いて生活している人は少ないと思いますが、他人の家を訪問した際には、まずスリッパを出されますよね。
外国人は、家の中でわざわざ靴を脱いでスリッパを履く日本人を不思議がる、という話を聞きますが、あらためて考えてみると、たしかに非効率的で、めんどくさいような気がします。
そういう意味では、日本人の生活は、いまでも完全には「洋風化」してはいない、ということなのでしょう。
「建築」に興味がある人にとっては、ちょっと物知りになった気分になれる新書だと思いますよ。
- 作者: 藤森照信
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