琥珀色の戯言

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【読書感想】国家を食べる ☆☆☆☆

国家を食べる (新潮新書)

国家を食べる (新潮新書)


Kindle版もあります。

国家を食べる(新潮新書)

国家を食べる(新潮新書)

内容紹介
世界一うまい羊肉は、もう食べられない――。
チグリス川の鯉の塩焼き、ソマリアのパパイヤ、カラシニコフ氏の冷凍ピロシキ……。
戦場で、紛争地帯で口にした「食」から考える国家の姿。
ノンフィクションで辿る究極の文明論。


1 世界一うまい羊肉――イラク
2 チグリス川の鯉――イラク
3 羊ひっくり返しご飯――パレスチナ
4 カラシニコフ氏の冷凍ピロシキ――ロシア
5 昼食はパパイヤだけです――ソマリア
6 エクソダスと血詰めソーセージ――南アフリカ・オーストラリア
7 ブドウの葉ご飯と王様――ヨルダン
8 モロヘイヤ・スープはウサギに限る―エジプト
9 スパゲッティマカロニ豆ライス!――エジプト
10 インジェラは辛くてつらい――エチオピア
11 砂漠の中のクスクス――西サハラ
12 ベラルーシのリンゴ――ゴメリ市
13 断崖絶壁バーミヤンのナン――アフガニスタン
14 何がなくても覚醒葉っぱ――イエメン
15 最高のフーフー――ガーナ


 著者は1942年の生まれで、68年朝日新聞入社。中東アフリカ総局長、編集委員などを歴任されています。
 僕の亡父と同世代なんですね。
 朝日新聞に勤めているのが誇らしい時代だったのだろうなあ。
 
 著者は、中東やアフリカなどの紛争地に長く赴任されてきたのですが、そのなかで印象的だった食べ物や人、事件などについて書いたのがこの本なのです。

 世界には、突然「日常」が失われてしまう地域が少なからずある(あった)のです。
 いまの日本で過ごしている僕は、毎日、「さて、今日は何を食べようかな」なんて悩むことが多いのですが、それどころじゃない、という国や地域は、今でも少なからず存在しています。

 2003年に米軍を中心とした有志連合がイラクのバクダッドに進攻したときのバクダッドの人気レストラン「アルアウエル」でのエピソード。

 米軍の侵攻の日は店を閉めた。従業員を5人ずつ交代で、銃を持って泊まりこませた。略奪防止のためだ。5人は客席のテーブルを倒して盾がわりにし、その後ろにマットレスを敷いて寝た。
 4月6日、米軍がバグダッドに入ってきた。イラク兵は逃げてしまった。そのあと、米軍が一軒一軒しらみつぶしに調べて回った。アルアウエルにも米兵がやってきて、表の大きなガラス戸を銃床で割って中を覗き込んだ。戦争による被害は、そのガラス1枚、約5000円分だけだった。
 4月11日午後3時ごろ、その割れたガラス戸から4人組の若者が入ってきた。従業員が銃を構え、ボルトを引いた。無人の店内でガチャリを音が響く。とたんに若者たちは手を挙げ、「撃つな!」と叫んだ。
「おれたちは店がやっているかどうか見に来ただけなんだ。撃たないでくれ!」
 じりじりと後ずさりし、表に出ると走って逃げて行った。
 店は、戦闘終結宣言を待たずに再開した。相変わらず満員の客だ。
 (店主の)ハレドさんは米軍の侵攻を歓迎していた。米軍がサダム・フセインの恐怖政治を壊してくれた。これで自由にものがいえる社会になる。そう感じたからだ。


 ところが、戦後の混乱は収まらず、治安も改善されることはありませんでした。
がテロで人が集まるレストランが狙われたこともあり、人気店だった「アルアウエル」も閑古鳥が鳴くようになり、閉店を余儀なくされたのです。
 
 多くの人に支持されていたレストランが、突然「戦場」になり、店員たちが客席のテーブルでバリケードをつくって、店を守ろうとする。
 こういうことが起こっている場所もあるのです。
 僕だったら、「従業員なんだから、略奪から店を守ってね」って言われても、「そんなの給料に入っていません!」って即座に逃げ出しそう。

 フセイン政権が倒れて3年がたった2006年12月、英BBC放送のインタビューに、コフィ・アナン国連事務総長(当時)がイラクの現状についてこう答えた。
「残忍な独裁者がいても、今よりはましだったと国民が考えるのは理解できる」
 自由、平等、人権……。国家が目標とする理念はさまざまある。しかし国家の最低限の義務は、住民が安全に暮らせるようにすることだ。その「安全」の上に立って、人々は高度な理念を実現する努力をしていく。
 英国の作家フレデリック・フォーサイス氏と会ったとき、氏は私にこう語った。
「飛行機に乗るのにベルトを外し、靴を脱がなければならない。通りでは監視カメラに見張られている。そんな社会は誰だっていやだ。しかし、自分や家族の安全のためだとなれば我慢せざるをえない」
 つまり、自由や人権といった崇高な理念でも、生活の安全という問題の前には二義的でしかないということなのだ。米国はその認識を欠いたまま、イラクの独裁を取り除いてしまったのである。
 米国はその後、シリアに対しても反政府勢力を支援して介入し、ISという鬼っ子を生み出した。そしてトランプ政権は今、混乱を放置したままシリアから撤退しようとしている。人々の安全な生活など、視野の外だ。


 イラクサダム・フセイン大統領の恐怖政治は、けっして「善政」とはいえないでしょう。
 その一方で、シーア派スンニ派、民族間の対立という問題を慢性的に抱えているイラクは、そういう政治だからこそ、国としての秩序を維持していた、という面もあるのです。
 アメリカは民主主義や自由を輸出しようとしたけれど、身の安全や日々の生活の安定のほうが、多くの市民にとっては大事であり、優先順位が高かったのです。
 それでは、独裁政治、恐怖政治が「正しい」のか?と問われると、悩んでしまうところではあるのですけど。

 
 この本のなかでは、「カラシニコフ銃」の開発者のカラシニコフさんのロシアの自宅に招かれて会食をした話や、シリアの前国王にインタビューした際に、一記者に対して丁重な扱いをされたときのこと、やたらと口が悪いガーナの国家元首などのエピソードも出てきます。
 あれだけの大ベストセラー銃を開発したカラシニコフさんが質素な生活をしていて、今でもソ連時代にもらった勲章を大事にしていたのは、すごく印象に残りました。西側で同じような発明をした人は、大邸宅に住み、自家用クルーザーを乗り回しているのに。
 この「職人」が生み出した銃が、使いやすさと故障しにくさで大量生産され、多くの人の命を奪っているのか……


 1984年のエチオピア北部での話。

 飢餓のエチオピアといわれながら、首都のアディスアババには十分な量の食糧があった。インジェラ料理店で、客が食べ残したインジェラはどうするのか、ボーイさんにそれとなく尋ねたことがある。彼はいぶかしげな顔で「もちろん捨てますけど……」と答えた。
 メンギスツ政権は社会主義のもと、地方で獲れた穀物を安い公定価格で強制的に買い上げ、首都に運んでいた。その結果、首都には余るほどの食糧があるのに地方は飢えているという状態が生まれた。首都の市場では、たっぷりの穀物が売られていた。
 アフリカのクーデターや反政府暴動は、たいてい首都で起こる。首都の住民と兵士にたっぷり食べさせておけば政権は安定だ。地方など、どうなろうと知ったことではない――それがエチオピアの飢餓の実態だった。

 アディスアババに戻りつくはるか手前で日が暮れた。街道筋のコボという町に着いたときは暗くなっており、ここで1泊することにした。
 コボの町にも、近くの農村から多く難民が流入し、よろよろと歩き回っていた。幾日も洗濯していないシャンマは汚れ、煮しめたような灰色をしている。力尽き、街道筋に坐り込んている彼らはやせていて、夜の闇の中でまるで幽霊のように見えた。
 宿に入って、なにか夕食はできるか尋ねた。主人は「羊肉のインジェラしかない」という。インジェラとはありがたい、それで十分だ。
 夜9時すぎ、サロモン君と2人で誰もいない食堂に座り、遅い夕食を始めた。味のしみたインジェラにのどが鳴る。
 食べている途中、ふと、誰かに見られているような気がした。顔を上げると、食堂の窓に子どもが大勢しがみつき、窓ガラスに顔をはりつけ、あえぐように口を開けてこちらを見ている。汚れたシャンマ。難民の子どもたちだった。
 ワットのにおいにひかれ、宿屋の塀を乗り越えて入ってきたのだろう。主人が気が付き、竹ぼうきを振り回して追い出した。しかし私はもう、食事を続ける気にはなれなかった。


fujipon.hatenadiary.com


 この『ファクトフルネス』を読むと、著者が中近東やアフリカで取材していた時代よりも、ずっと世界の貧困は改善されているのではないかと思われます。
 だからといって、失われた命は戻ってはこないし、何かのきっかけで逆戻りしてしまう可能性もあるのです。

 生命の不安なしに、今日は何を食べようかな、と悩める環境というのは、それなりに幸福ではあるのですよね。


fujipon.hatenablog.com

もの食う人びと (角川文庫)

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