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【読書感想】ヨーゼフ・メンゲレの逃亡 ☆☆☆☆☆

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡 (海外文学セレクション)

ヨーゼフ・メンゲレの逃亡 (海外文学セレクション)


Kindle版もあります。

内容紹介
アウシュビッツ絶滅収容所に着いたユダヤ人を、ガス室行きと生存させる組とに選別した医師メンゲレは、優生学に取り憑かれ、子供、特に双子たちに想像を絶する実験を重ねた。1945年のアウシュビッツ解放後に南米に逃れ、モサドの追跡を逃れて生き延び、79年ブラジルで心臓発作で死亡する。なぜ彼は生き延びることができたのか? どのような逃亡生活を送ったのか? その半生の真実と人間の本質に、淡々としかし鋭い筆致で迫った傑作小説。ルノードー賞受賞。


 アウシュヴィッツ収容所で、ユダヤ人をガス室に送る組と強制労働をさせる組に「指一本動かすだけで」選別、優生学の研究のために、多くの人達を残虐なやり方で犠牲にした、「死の天使」ドクター・メンゲレ。
 この「ノンフィクション小説」は、そのメンゲレの南米での逃亡生活を緻密な取材に基づき、小説形式で描いたものです。
 ヨーロッパでの第二次世界大戦が終わったあと、メンゲレは数年間の潜伏生活ののち、1949年6月にアルゼンチンにやってきたのです。
 当時の南米には、逃亡してきた元ナチスのコミュニティが存在していて、政府の要人とも深い関係にありました。
 強制収容所でのユダヤ人虐殺は、第二次世界大戦が終わった後、すぐに世界に知られることとなり、世界中の人々が虐殺者たちに罪を償わせようとしたのかと思いきや、彼らの行為が広く知られるようになるには、少し時間が経った後だったのです。

 ヨーロッパのユダヤ人絶滅計画のことを、世界は少しずつ知っていく。ナチス強制収容所絶滅収容所について書かれた本、記事、ドキュメンタリーが増えていく。1956年、独仏和解の名のもとに予定されていたカンヌ映画祭の共同選考からの撤退という西ドイツ側からの圧力があったにもかかわらず、アラン・レネ監督の映画『夜と霧』は世界の良心を震撼させた。『アンネ・フランクの日記』は売れに売れた。人道に対する罪、最終解決、600万人のユダヤ人虐殺が話題になる。
 デューラー・クラブはこの数字を否定する。彼らは絶滅計画そのものは自画自賛しているが、ユダヤ人の犠牲者の数については36万5000と見積もり、大量殺人、トラック輸送、ガス室、そういうものは否定している。600万人は歴史の歪曲にすぎず、ドイツに戦争を仕掛け、700万の死者ともっとも美しい数々の都市を破壊し尽くし、父祖伝来の東側の領土を奪ったあげくに、ドイツに罪を着せ、これを打ち崩すための、世界的規模のユダヤ復興運動による度重なる小細工の一つにすぎない、と。


 ところが、南米に潜伏していた、アドルフ・アイヒマンは、600万人を殺したことを誇らしげに認めたうえ、「絶滅」というミッションを成し遂げられなかったことを悔やんでいたのです。
 世界に向けて、「誇張された犠牲者数」に抗議しようとしていた南米のナチス支持者たちは、沈黙せざるをえませんでした。
 このようなインタビューに答えていたアドルフ・アイヒマンに比べて、ヨーゼフ・メンゲルは、用心深くふるまっていたことによって、捕縛されることなく長い年月を過ごすことができたのです。
 潜伏生活といっても、ヨーロッパで会社を経営していた親族から多額の経済的な支援を受け、一時はかなり豪奢な暮らしもしており、少なくとも、その日の食べ物に困る、というような状況にはなりませんでした。
 これを読んでいると、「地獄の沙汰も金次第」なんて言葉が何度も頭に浮かんでくるのです。

(1985年)2月4日からは、エルサレムのヤド・ヴァシェム・のホロコースト記念館で人道に対する罪を裁く模擬裁判が始まった。裁判長はアイヒマン裁判の元検察官が務めた。三夜続けて、メンゲレにモルモットにされた被害者が虐待についての証言をした。ツィガーヌの双生児を集めたブロックの看守役だった女性の記憶によれば、男性の双子の精液を女性の双子の子宮に注入して、双子を身ごもることを期待したが、胎内に一子しかいないことを確認すると、メンゲレは子宮から赤ん坊を引きずり出して火中に投じたという。またある女性は茫然として、自分は生後8か月の娘を殺すことになったと証言した。メンゲレは子供に乳を与えないために、女性の胸を縛れと命じた。乳を与えない乳幼児が何日生き延びるか知りたかったのだ。母親はずっと赤ん坊が泣き叫びつづけるのを聞いたあげく、ユダヤ人の医師から提供されたモルヒネをついにわが子に注入した。親衛隊員たちは銃床で新生児の頭蓋骨をつぶしたという女性もいれば、壁に眼球を蝶の標本のようにピンで留めたメンゲレの部屋の様子を詳しく語る女性もいた。これらの証言は衛星中継で世界に配信され、とてつもない反響を呼んだ。


 アウシュヴィッツで、自分の「研究」のために、こんなことをしていた男でも、お金と人脈があれば、故郷から遠く離れた土地で生きていける。
 メンゲルには親族の支援と資産があった、というのが大きかったのです。
 一度支援をはじめてしまえば、そのことが明るみに出れば、支援していた側も強い批判にさらされることは目に見えていますから、とことん支援し続けるしかない。
 メンゲルという人は、相手側のそういう事情まで知り抜いた上で、自分が疫病神であることを利用して、支援を引き出していた節もあります。

 両親の離婚後、ずっと離れて暮らしていた息子のロルフに対しても、自分に会いに来るように言い続けていました。

 ロルフの再三の言い逃れに対して、メンゲレは脅しと嘆きの入り混じる悲惨な手紙を返している。自分はあまりに孤独で、愛してくれる人もいないから、ロルフが来てくれないと自殺する、と。自分の健康は危機的な状況だ、二度ほど死にかけたし、そのうちイスラエル人が殺しにやって来るだろう。「ロルフ、私にはおまえが必要だ。できるだけ早い機会にわれわれは再会しなければならない。


 「再会する」といっても、それは、簡単なことではありません。メンゲレは世界中から追われている「死の天使」なのだから。
 それでも、ロルフは実の父親に会いに行き、そしてあらためて幻滅することになるのです。

 僕はこのメンゲレの未練というか情みたいなものを読んで、いたたまれない気持ちになるのです。
 メンゲレは、自分の肉親や認めた人に対しては、めんどくさいくらいの情を注いでいました。
 でも、彼は、自分が指一本でガス室に送った人たちにも、そういう肉親がいたことを、最期までわかっていなかったようにみえるのです。
 メンゲレは、自分にとって大切な人が理不尽な死に方をするのは、許せなかった。
 メンゲレ自身も、他者にあれだけのことをしていながら、自分の「生」にしがみつき続けました。
 にもかかわらず、自分がユダヤ人や研究対象とした人たちに理不尽な死を強要することは「正しい」と思っていたのです。

 他人の命はとことん軽いのに、自分の命やプライドは何よりも重いと考えている。
 なんてひどいやつだ、と思う。
 
 ただ、メンゲレのような「自分は他者を傷つけても許されるが、他者が自分を傷つけるのは絶対に許せない」というメンタリティって、特別なものではないんですよね。
 ほとんどの人間は、そういうもの、ではあります。
 僕だって、自分には甘い人間だし、往生際悪く逃げようとしたり、自分を正当化したりしながら生きてきました。
 もちろん、40万人を虐殺してはいないけれど、自分があの時代のドイツで、それを命じられたら、良心に基づいて拒否できただろうか?と考えずにはいられません。
 そのあと、生き延びるチャンスがあっても、罪を償うために出頭しただろうか?

 メンゲレの逃亡劇は、なんというか、ものすごく消化不良な形で終わりを告げます。
 彼の生涯を追っていくと、因果応報なんて、嘘なんじゃないか、と考え込まずにはいられません。
 「ずっと罪の意識を抱えながら、厳しい逃亡生活をおくっていた」のであれば、多少は納得できたのかもしれないけれど、実際は、そうではなかった。
 もちろん、本当の「心のうち」は、本人にしか、わからないのだとしても。


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