琥珀色の戯言

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【読書感想】ノモンハン 責任なき戦い ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦の2年前の1939年、満州国ソビエト連邦の国境地帯で発生した「ノモンハン事件」。
見渡す限りの草原地帯で、関東軍ソビエト軍が大規模な軍事衝突に発展、双方あわせて4万5000人以上の犠牲を出した。
関東軍を率いたのは、弱冠37歳の青年参謀・辻政信と、その上司・服部卓四郎。
大本営昭和天皇が無謀な挑発を厳しく戒めるのをよそに、「寄らば斬る」と大見得を切った辻によって、日本軍は想定外の「戦争」へと突入していった――。
事件から80年、いまも装甲車や塹壕が放置され、人骨が散在するノモンハンの現場を徹底調査、さらにアメリカに残る旧軍人らのインタビューテープを発掘して、事件の深層を立体的に浮かび上がらせた同名番組を書籍化。


内容(「BOOK」データベースより)
第二次大戦日本軍大敗北の「序曲」が、ここにある。村上春樹ねじまき鳥クロニクル』のモチーフになった満州北辺の戦争。「作戦の神様」「陸軍きっての秀才」と謳われた参謀・辻政信に率いられた関東軍は、なぜソ連・モンゴル軍に大敗を喫したのか。この悲惨な敗戦から、なぜ何も学ばなかったのか。NHKスペシャル放送時から話題沸騰の名作!辻政信が書き残した「遺書」の内容とは。


 司馬遼太郎村上春樹
 太平洋戦争後の日本を代表する人気作家ふたりが、この「ノモンハン事件」について強い興味を示しているのです。
 司馬さんは、10年くらい調べていたけれど、「嫌気がさして、資料も埃をかぶってしまった」そうで、作品として世に出すことはありませんでした。

 一方の村上春樹の小説には、『ねじまき鳥クロニクル』など、たびたびノモンハン事件を想起させる登場人物が現れる。小学生のときに手にした本でノモンハンの白黒写真を目にした村上は、「どういうわけか」その情景が頭の中に焼き付いていたという。

 僕らは日本という平和な「民主国家」の中で、人間としての基本的な権利を保証されて生きているのだと信じている。でもそうなのだろうか? 表面を一皮むけば、そこにはやはり以前と同じような密閉された国家組織なり理念なりが脈々と息づいているのではあるまいか。僕がノモンハン戦争に関する多くの書物を読みながらずっと感じ続けていたのは、そのような恐怖であったかもしれない。この五十五年前の小さな戦争から、我々はそれほど遠ざかってはいないんじゃないか。
             (村上春樹『辺境・近境』)


 NHKスペシャルとして放送された内容を書籍化した本なのですが、これを読んでいると、「ノモンハン事件」というのは、のちに、太平洋戦争で無謀な戦いを続け、戦後も、偉い人たちは責任を取らず、現場で板挟みになりながら葛藤していた人たちに責任を押し付けるという「責任のすり替え」の原点になっているように思われるのです。

 このとき、「きちんと大敗の原因を分析し、責任の所在を明らかにする」ことができていれば、その後の日本は、大きく変わっていたのかもしれません。

 ノモンハン事件は、わずか4ヵ月の戦いで日本側およそ2万、ソ連側2万5000の膨大な死傷者を出した。「事件」と名付けられてはいるが、実質的に「戦争」そのものだった。
 歩兵中心の軽装備で戦いに臨んだ日本に対し、ソ連は最新鋭の戦車や装甲車など近代兵器を大量に投入し、日本を圧倒していった。単純に死傷者数だけを比較すると、日本が優位になったように見えるが、日本軍は自らが主張する国境線を守れないままに後退、作戦目的を達成することはできなかった。
 この手痛い”敗北”は陸軍内部でも「国軍未曾有の不祥事」(参謀次長・沢田茂中将)と認識されていた。しかし、日本はこの事実をひた隠しにする。陸軍中央は新聞各社に報道の自粛を要請、戦況が有利な時でさえも報道は制限され、関東軍憲兵隊は一兵卒の手紙に至るまで検閲し、戦争の実態が本土に伝わらないよう細心の注意を払った。「敗北」の事実が国民に広く知らされることはなかった。


 ノモンハン事件、と言われるけれど、敵味方あわせて4万5000人もの犠牲者が出れば、それは「戦争」と呼ばれてしかるべきでしょう。

 日本とソ連の国境をめぐる紛争を拡大したのは、関東軍の作戦参謀だった、辻政信という人でした。
 辻さんは、太平洋戦争中は「作戦の神様」「陸軍きっての秀才」と呼ばれていたそうです。
 太平洋戦争中は、初期のシンガポール攻略で名をはせたものの、ガダルカナル島では補給を軽視し、兵力の逐次投入もあって、餓死者、病死者を含む多くの犠牲者を出しています。
 戦後は、戦犯として裁かれるのをおそれて国外に潜伏し、ほとぼりがさめてから帰国、日本で国会議員をつとめました。

 なんて無責任で卑劣な人なんだ、なにが「作戦の神様」だよ……と憤りを感じるのですが、それは、あくまでも「2019年の僕からみた、辻政信という人」でもあるのです。

 この取材では、膨大な当時の関係者の肉声や一次資料にあたっているのですが、そこには、参謀でありながら、前線に出てその状況をしっかり見て、部隊の指揮官としては、激しい戦闘中に傷病兵を自ら背負って自陣に帰る、人望の厚い軍人として彼を語る人が少なからずいたのです。
 「ノモンハン」当時は「少佐」で、年齢も若かったにもかかわらず、優秀で現地の状況にも明るく、自分が正しいと思ったことは相手が上官でも曲げない、スタンドプレイが目立つけれど、周りが言うことを聞かずにはいられないような威圧感をまとった人でもあったそうです。


 取材班は、辻政信が生まれ育った集落を訪れています。

 生家の撮影では、政晴さん(辻政信の甥)を含め、親族4人が深々と頭を下げて取材スタッフを出迎えてくれた。謙虚な人柄が内側からにじみ出るような方々だった。
 ノモンハンやその後の太平洋戦争での作戦指揮で、辻は戦後激しい毀誉褒貶にさらされた。親族はその存在をどう受け止めているのか。聞いてみると、みな口を揃えて「いつも他人のことを思い、優しく、まっすぐな人だった」と言う。常に強硬で高圧的な軍人・辻政信のイメージとは違う、信仰心に篤く、まじめで一本気な辻のもうひとつの顔がそこにはあった。
 親族にとって、いまも辻は大きな支柱と言える存在だった。戦後、旧軍人には社会的に厳しい目が向けられ、軍人であった父や祖父の存在から目を背けようとする家族も少なくない。しかし、辻家に関して言うと、それはない。たとえ辻本人と交流した時間はわずかでも、その印象を深く心に刻み込んでいた。


 人には、さまざまな面があります。
 辻政信について、近くでみていた人たちは、きわめて有能な人格者だった、と証言しています。
 その一方で、軍の参謀としては、精神論に傾きやすく、有利な状況であれば能力を発揮できるけれど、不利になると「撤退する」判断ができなくなるという弱点があったようです。

 そして、陸軍の上層部は、お互いに若い頃から交流があり、お互いをかばい合って、責任を現場で奮闘していた人たちに押しつけたのです。

 1個師団が壊滅するという大敗北の責任はどこにあるのか、第二十三師団の司令部は、”犯人捜し”のような異様な空気に包まれていた。その矛先を向けられたのが、フイ高地を守備していた捜索隊部隊長の井置栄一中佐である。井置はわずか800名の部隊で、火力に勝るソ連軍5000人に頑強に抵抗したものの、食料も弾薬も底をつき、やむなく撤退を決断した。無線の機器も破壊され、連絡手段もない中でのこの決断が、「無断撤退」にあたるとされたのだ。「関東軍機密作戦日誌」には辻の報告を引用する形でこう記されている。

「フイ」高地は八百の兵力中三百の死傷を生ぜしのみにして陣地を徹し而も捜索隊長井置中佐の師団長宛の報告には其の守地を棄てたるに対して謝罪の字句無き

 辻が報告したとされるものだが、その数字は正確ではない。井置部隊の撤退の際には隊員は800名から300名以下にまで減少しており、弾薬も食料も尽きる中で、部隊として戦闘の継続は事実上、困難な状況だった。

 厳しい処罰を科せられたのは、井置ら現場の指揮官たちだけではない。戦闘中に負傷しソ連軍に拘束された日本人捕虜にも、過酷な運命が待ち構えていた。秦郁彦によると、停戦後、日本側に返された捕虜の数はおよそ200名。しかし、捕虜となった将校は暗に自決を迫られ、下士官兵らは軍法会議で有罪判決を受けた後、狭い独房に数日間拘留される「重営倉」などの処分を受けた。井置と同様に、その処分は極秘裏に進められた。


 戦場でギリギリのところまで戦い、多くの味方を失い、食料も弾薬も尽きて、やむなく捕虜となった下士官たちに、上層部は容赦なく「責任をとらせる」のです。
 今の僕からすれば、「よくここまで戦ったなあ」と心を打たれるような状況なのに。
 こんなことになったのは、上層部が立てた作戦が杜撰だったからなのに。

 そして、上層部への処分は、「左遷」とか予備役への編入(実質的に退役の場合もあり)で、ほとぼりがさめたら、要職に戻った人が多かったのです。

 捕虜になって帰ってきた人には、地元の村が冷遇していた、という話も出てきます。
 その一方で、特攻隊として命を落とし、「軍神」として地元で崇められていた戦死者とその家族が、戦争が終わったとたんに「あの戦争の責任者」として白眼視される、ということも日本中で起こっていたのです。

 自分とその仲間は大事にするけれど、それ以外の人は、自分が責任を逃れるためなら容赦しない。
 自分が責任を取るのは嫌だから、失敗の原因を追究しない。
 あるいは、自分が助かるために、「わかりやすい生贄」を差し出すのを厭わない。


 ……でもね、良いときには「自分を立派な人間に見せたい」、悪いときには「自分の責任にはしたくない」って、気持ちとしてはよくわかるし、僕もそういう人間なんですよ。
 小さな『ノモンハン』の繰り返しから抜け出すには、どうしたら良いのだろうか?


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

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辺境・近境(新潮文庫)

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