琥珀色の戯言

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【読書感想】おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
日本の「国民服」となったユニクロ。長く無視していたファッション誌も今ではユニクロの虜だ。ここまで普及した理由は、服は特別なもの、おしゃれは難しいという思い込みを解き、服で個性を競うことに疲れた人々の心を掴んだから。もう誰もが服に余計なお金も時間も使いたくない。ユニクロはその変化にいち早く気づき、「見た目」をよくするための服ではなく、「くらし」をよくするための服を提案し続けてきた。それは世界をも席巻している。これまで指摘されることのなかったユニクロのメッセージと消費の変化を気鋭の社会学者が鮮やかに読み解く。


 「ユニクロがなぜこんなに選ばれるようになったのか?」について書かれたものだと思っていたのですが、ユニクロというブランドについて、というより、「ファッション」に興味を失い、「ていねいな暮らし」に重点を置くようになっていった平成以降、バブル期以降の人々のライフスタイルの変化を追っていく、という内容になっています。
 
 僕自身、ユニクロには大変お世話になっているのですが、その理由というのは、「とりあえずユニクロで褒められることはないけれど、そんなにみっともなくはならないだろうし、いちいち店員さんが張り付いてくるわけでもないので買いやすい。値段もそこそこだし……」という感じなんですよね。
 「ユニクロのおかげで、服選びという人生の面倒ごとが減って助かる」と思っているのです。
 「価格」に関しては、いまから20年前くらいは、「ユニクロ」=安い、というイメージだったのですが、いまは、価格破壊的なディスカウント衣料の店もけっこうあるので、ユニクロも、それなりの値段の服になったとも言えそうです。
 
 スティーブ・ジョブズが、コーディネートする時間がもったいないから、と、いつも同じ格好で通している、というエピソードが伝わってきたときには、「いつも同じ服」でも、ものは言いようなんだな!と嬉しくなったのを記憶しています。

 僕の場合、ファッションに疎いだけに、「いまのファッション業界や流行がどうなっているのか」というのは、ほとんど意識したことがありませんでした。
 カッコいいヤツじゃないと、カッコいい服を着る意味もあまりないだろうし。
 

 「ユニクロでいいじゃない」と人々は口にし始めた。服は所詮そんなものなのだ。今までの服が魔法にかけられていただけなのだ。私たちは「服は特別」だと思わされていたのだ。しかし、バブルもはじけて、みんなすっかり目が覚めた。たかが服なのだ。魔法を解かれた服は、本や雑誌、パソコンやエアコンと同じように売られ、買われていくようになった。
 家電量販店のビックカメラユニクロの共同店舗である「ビックロ」が新宿東口に開店したのは2012年のことであるが、今では誰も家電と服が同じフロアで売られることに疑問を抱かなくなった。「素晴らしいゴチャゴチャ感」というコンセプトのもとに、ビックカメラユニクロの一体感を強調した店づくりによって、東京の新名所と言われるまでになっている。
 服だけが特別な空間で、ハウスマヌカンという名の店員によって恭しく売られていた時代は遠い過去になった。

 いつでも、どこでも、誰でも買える、「みんなの服」。そんなユニクロの服の特質を明確に表しているのが、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長である柳井正氏の名言「服は服装の部品」であろう。この文言は2011年にユニクロイノベーションプロジェクトを立ち上げ、ユニクロの服とは何かを改めて問うた際にも、真っ先に挙げられている。つまり、「服は服装の部品」とはユニクロの最も重要なコンセプトでもあると言える。


 ここまでみんながユニクロになってしまうと、それはそれで、「やっぱり、おしゃれな人っていうのも魅力的だな」なんて、今さらながら、僕も思うことがあるのですけど。
 ファッションに使えるお金がない、という事情もあるし、東日本大震災をきっかけに、「ファッションで他者と差別化する」よりも、「ていねいな暮らしぶりをSNSなどでアピールし、共感を呼ぶ」ほうが重視されるようになっていったのです。
 ハレの日に着る服よりも、日常を大切に。

 この本を読んで驚いたのは、女性向けのファッション雑誌の特集の内容の変遷について書かれたところでした。

 今でも『アンアン』をファッション誌だと思っているのは、アラフィフから団塊の世代ぐらいではないだろうか。要するに、70年代や80年代の『アンアン』に影響を受けた人たちだ。現在の女子大生に『アンアン』はその昔『ELLE JAPON(エル・ジャポン)』を名乗っており、日本を代表するファッション誌だったと言うと大変驚かれる。それもそのはず、80年代には「おしゃれグランプリ」を筆頭に日本のファッションを牽引していた『アンアン』も、90年代の半ばになると、占いとセックス特集が売りの情報誌へとシフトしていく。
 創刊から40年、不惑を迎えた2010年にはなんと「たのしい節約術」(2010年6月16日号)という特集を組むまでになった。「80年代は個性の時代 あなたのよさをどう発見するか?」(1980年1月11日号)、「お洒落なこと、お洒落じゃないこと アンアン流インとアウト」(1986年6月20日号)というように、かつては個性的なお洒落の権威だったが、現在の『アンアン』に往年の面影は全く見られない。
 それは80年代にニュートラをめぐって『アンアン』と対立していた『JJ』も同様である。長年にわたって女子大生のキャンパスファッションをリードし、女子大生雑誌のトップランナーだった『JJ』も、今はまるで別雑誌のようだ。女子大生はもはや雑誌を読んでくれないので、25歳以上にターゲットの年齢を引き上げて巻き返しを図るも、結果は思わしくないようだ。毎月の特集からは、『JJ』の迷走ぶりが見て取れる。インスタグラム関連の特集も増加するなか、2019年3月号の特集に至っては、なんと「犬か、猫か。」である。「JJ史上初めての犬猫大特集、ついに!」とあるが、「史上初めて」で当たり前ではないだろうか。一応、ファッション誌のプライドはあるのか、犬か、猫か、どちらを選ぶかで「服にメーク、好きな男子も全部関係してくる!?」という内容にはなっているが、「超絶可愛い犬猫インスタ 友達の輪」という記事は、ファッションと直接関係がない。


 『アンアン』や『JJ』って、今はそんなことになっているのか…… 
 もはや、若者たちは、「雑誌ではなく、インスタグラムのインフルエンサーと呼ばれる人たちのファッションを参考にする時代」になっているのです。
 雑誌代もいらないし、手元のスマートフォンでいつでも見ることができるし。
 こういう時代に『アンアン』や『JJ』をつくっている人たちの心境を思うと、今の出版業界の厳しさを痛感せずにはいられません。

 だが、現在はおしゃれで競い合わなくてもいい。頑張らなくてもいい。そのせいで、「ユニクロがよくない?」とみんなが言い始めてから、ファッション誌はやることがなくなってしまった。今や、どの雑誌にもユニクロがデイリーブランドとして登場し、みんなが毎日ユニクロをコーディネートに取り入れるようになったからである。機能的で、着心地もよく、デザイン的にも配慮されたユニクロがあれば、服はこれで十分である。結果として、ユニクロがおしゃれで勝負する時代を終わらせたと言うことができる。
 一方で、おしゃれで競う代わりに、人々は「インスタ映え」を競うようになった。ファッションセンスなどという抽象的なものは流行らなくなったのである。それよりも現在は、「見える化」された数値が大切なのだ。フォロワー数、いいねの数、それが新たな勝敗を決めるのである。人々は、日常を見せるメディアである「インスタ」で、どんな「くらし」をしているか、ライフスタイルを見せるようになった。「くらし」がおしゃれな人が本当のおしゃれと評価されるようになった。「インスタ」で、どれくらい「ていねいなくらし」をしているかを競い合う、おしゃれに代わって「意識の高さ」という目に見えないはずのものを競うようになったのである。
 そんな意識の高さを競う人々にとっても、ユニクロは最適なブランドである。ファッションに余計なエネルギーを注がずに、「ていねいなくらし」に邁進できるのだから。
 このように、服はほどほどで、「くらし」を大切にしたい今の時代に最も相応しいブランドだからこそ、ユニクロが正解の服になったのである。


 結局のところ、ユニクロが「正解」になったからといって、他者の目から逃れることができるようになったわけではなく、「ていねいなくらし」という、よりややこしい指標に悩まされている、とも言えそうです。
 まあ、服は着ないわけにはいかないけど、インスタはやらなくても良いから、逃げ場はある、のかなあ……

 ただ、最近は僕も年を取ったのか、ファッションに気を配っている人が、昔よりもカッコよく見える気がするんですよ。
 「ていねいなくらし」のめんどくささに疲れて、また時代は変わっていくのかもしれません。


ユニクロ帝国の光と影

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