琥珀色の戯言

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【読書感想】プラハの憂鬱 ☆☆☆☆

プラハの憂鬱

プラハの憂鬱

内容紹介
私が祖国のためにしたことをマサルに知ってほしい。私はもう故郷に帰れないのだから。1986年ロンドン。外交官研修中の私は、祖国の禁書の救出に生涯を捧げる亡命チェコ人の古書店主と出会った。彼の豊かな知性に衝撃を受け、私はその場で弟子入りを願い出た――神学・社会主義思想からスラブの思考法、国家の存在論、亡命者の心理まで、異能の外交官を育んだ濃密な「知の個人授業」を回想する青春自叙伝。


 大学で神学を学び、フロマートカというチェコ神学者についての研究をしていた知的好奇心のかたまりのような若者が、なぜ、外務省に入り、「外務省のラスプーチン」と呼ばれるようになっていったのか?

 チェコに関心を持ったのは、大学2回生のときのことだった。
 私は埼玉県立浦和高等学校を卒業した後、1年浪人して、1979年4月に同志社大学神学部に入学した。大学では、マルクス主義無神論の立場から宗教批判について勉強しようと思った。
 当時、同志社を除くすべての神学部では、受験資格にキリスト教の洗礼を受けているか、教会の牧師もしくは神父の推薦状が必要とされていた。大学紛争以後、同志社大学神学部は、信者だけでなく、キリスト教に関心を持つすべての人に門戸を開いた。当時1学年40人の小さな学部で、そのうち洗礼を受けている学生は3分の1程度だった。

 
 この『プラハの憂鬱』では、佐藤優さんが同志社大学の神学部から、外務省の専門職試験(ノンキャリア組)を受け、外交官研修生として、ロンドンに留学していた時代のことが書かれています。
 なぜ、「神学部」から、「外務省」に入ることになったのか?
 僕はずっとそれが疑問だったのですが、佐藤さんにとっては、外務省に入ることが、チェコで、フロマートカに触れてみるための、数少ないルートだったのですね。

 チェコスロバキアに留学できる現実的な可能性をいろいろ探してみた。
 その結果、狭い門だが、1つの可能性が見つかった。外務公務員専門職員採用試験に合格すれば、チェコスロバキアに留学できる可能性がある。留学先はプラハのカレル大学。留学期間は2年間で、その後、2~3年プラハ日本大使館に勤務することになる。研修中も月に30万円の研修手当がでるし、別途、給与も出る。大使館勤務が始まると待遇は一層良くなるようだ。

 そこで、試験を受け、見事に合格したものの、外務省人事課から命じられた研修後は、希望したチェコ語ではなく、ロシア語だった、と。
 「もう大学博士課程後期の入学試験も終わっているし、ロシア語ならチェコ語と文法も似ている、それに、モスクワからならプラハも近い」ということで、渋々外務省に努めることになったのです。
 どうせキャリアの連中みたいに上には行けないのだから、ソ連の地方の閑職に従事しながら、神学の研究を続けていきたい、そんな将来設計だったはずなのに。
 そして、当時の日本はソ連との関係が微妙で、留学生に対する扱いに不安があったことから、ロシア語学習のために、ロンドン郊外の英国陸軍語学校に留学することに。


 ほんと、人生って、わからないよねえ。
 でも、そこで「長いものに巻かれて、なんとなく外務省に染まってしまう」のではなく、組織のなかで生きながらも、神学の研究を続けていたのだから、すごい。
 優秀な人たちが集っているとはいえ、この学校での語学研修は、かなりキツそうなのに、それ以外に「自分の興味がある勉強を自主的にする」なんて、どれだけ勉強好きなんだろう。


 紆余曲折の末、こうしていま研究と文筆で生計を立てることができているのですから、当初の想定とは異なる形で、佐藤さんは将来設計を「実現」したとも言えるのですが……


 この『プラハの憂鬱』を読みながら、僕の「エンタメ脳」は、「この男が、実はソ連のスパイなんじゃないか?」とか、ドラマチックな展開をちょっと期待してしまっていたのですが、物語は、淡々と進んでいきます。
 ただし、佐藤さんがイギリスで出会った亡命チェコ人の古書店主との「プラハの春」やチェコの歴史、神についてのやりとりなどは、まさに「神学についての一篇の講義」のようになっていて、「ああ、これは『教養小説』なんだなあ」と、かなり時間をかけながら読みました。
 こういう機会でもないと、「神学」とか「チェコ」について考えることなんて、無いですしね。

「佐藤さん、チェコに行くと、レストランや喫茶店で使うグラスには、すべて量を示す白線が入っています」
「白線?」
「そうです。酒やコーヒーの量を誤魔化さないようにするためです。社会主義化されてからの変化です。それだから、チェコスロバキアから亡命し、ロンドンで生活を始めると、カフェテリアのコップに白線が入っていないことに驚きます。社会主義は人間を信用しない。それが生活の隅々にまで現れています。

 ここに描かれている時代が、1986年。
 ソ連で1985年にゴルバチョフが書記長になった直後にあたるのですが、外務省の内部にいた佐藤さんや、ソ連(共産圏)の情勢に詳しいはずの亡命者たちも、この5年後にソ連が崩壊するとは夢にも思っていなかったのです。
 歴史というのは、不思議なものだな、と。
 ありえないはずのことが、起こることだってある。


 佐藤さんの周囲の人々との不思議な「因縁」や、「公務」の世界に生きる人の人間関係の厳しさなども描かれており、「エリートやってるのも、ラクじゃないんだな……」なんて、考えてしまいました。


 正直なところ、『カラマーゾフの兄弟』の宗教関連の描写を退屈しないで読める人じゃないと、この『プラハの春』は、「宗教やチェコに関する蘊蓄の分量が多すぎて、読みこなすのが大変な小説」だと思います。
 佐藤優さんの新書しか読んだことがない僕も、「小説のほうが、ずっと難しいじゃないか! そもそもこれは『小説』なのか?」と言いたくなりましたし。


 でも、なんだかこの『プラハの憂鬱』の世界には、ハマってしまうところがあるんですよね。
 外交官、あるいは研究者になりたい、と考えている学生には、とくにオススメです。


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