琥珀色の戯言

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【読書感想】セイバーメトリクスの落とし穴 ☆☆☆☆

セイバーメトリクスの落とし穴 (光文社新書)

セイバーメトリクスの落とし穴 (光文社新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
統計データを基に選手やチームを評価するセイバーメトリクスは、もはや野球界の常識となった。
だが、マネーボールでそのさきがけとなったオークランド・アスレチックスは以後、一度もワールドシリーズへ進出できていない。
データ分析が当たり前となった今、世界トップの選手たちや常勝球団はどのように周りと差をつけているのか?
ダルビッシュ有選手を筆頭に多くのプロ野球選手や専門家から支持を集める謎の素人「お股ニキ」が、未だに言語化、数値化されていない野球界の最先端トレンドを分析。
新たな魔球の投げ方からデータに依存しすぎない選手評価、球団経営の未来を知ることで、野球はもっと奥深く、楽しくなる!


 あのダルビッシュ有投手とも深い交流がある、Twitterの中の人「お股ニキ」さん。
 語っておられることは凄いし、とにかく野球を見る、研究するのが好きな人なのだな、というのは伝わってくるのですが、(御本人も仰っているように)こんな怪しいアカウント名の人でも、話の内容に興味があれば、真摯にやりとりをするダルビッシュ投手って、すごい人だなあ、と思ってしまいました。
 ちなみに、この本のタイトルは「セイバーメトリクスの落とし穴」なのですが、書かれていることは、セイバーメトリクス流行後の野球界(とくにメジャーリーグ)の技術的な最新のトレンドや采配、選手評価の仕組みについて、なのです。
 
 冒頭で、著者は最近のメジャーリーグMLB)の傾向について、こう述べています。

 2014年頃までは投手の球速上昇と守備シフトの発達が猛威を振るい「投高打低」の傾向が強まり、試合がつまらないので対策が必要と言われていたが、ボールの変更はもちろん、打者が急激に対応し始めたことで状況は一変した。そして2018年はホームランが増加する一方で投手もそれを防ごうと投球を変化させ、再び三振に仕留められるようになったため、得点はそれほど増えていない。こうした投手と野手のせめぎ合いも野球の楽しさではあるが、ファンが本当に「ホームランか三振か」の野球だけを求めているのかは賛否が分かれるところだ。
 レベルが極限まで向上すると、投手は三振を狙って三振を奪い、打者はホームランを狙ってホームランを打ち、野手はボールが上空を通過していくのを見るだけになる。現実に一部ではこうなりつつある。テレビの放映権収入で莫大な利益をあげているMLBではあるが、こうした大味な試合展開や戦力差の拡大などによって、球場の観客数は減少している。データをもとに最も効率的な野球を展開するのはマネジメント・経営者サイドとしては当然だが、本当にファンが求めている野球とは何なのか、エンターテインメントと結果重視のバランスを再考する段階に来ている。選手からも不満の声が漏れているようである。


 僕はこれを読んで、イチロー選手の引退会見を思い出していたのです。


full-count.jp

――イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか?


イチロー「2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような……。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。本来は野球というのは……ダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな。頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから。その野球がそうなってきているということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」


 僕はこの本を読んで、ああ、イチロー選手が引退会見で言っていたのは、こういうことだったのか、と腑に落ちたのです。
 トレーニング方法が進化し、投手の技術も野手のパワーも向上してきたことにより、MLBには「三振かホームランか」という野球に変わり、イチロー選手のようなプレイヤーの居場所がなくなってきていたのです。
 三振かホームランか、というのは、大エースと大打者のオールスターゲームでの対決ではドラマチックな場面なのでしょうけど、公式戦がずっとそんな大味な展開ばかりでは、物足りないという野球ファンは多いはずです。

 最近のMLBの傾向として、長打の確率が高い、フライを打ち上げるバッティングの有効性が周知されているそうです。
 データを踏まえると、そういうチームを作らないと勝てなくなってきているということであれば、野球はどんどん大味になっていくのでしょう。
 もちろん、歴史のどこかで、これまでも繰り返されてきたような、スモールベースボールへの「揺り戻し」も起こるのかもしれませんが。

 著者は、「あまりにも技術論や練習法が進歩してしまうと、最終的には、努力で差がつかない、才能ですべてが決まる世界になってしまうのではないか」とも仰っています。
 みんながいちばん合理的なフォームで投げ、打ち、真面目にトレーニングばかりしていて、三振かホームランのプロ野球
 ……実際は、そう簡単に「個性」が失われることはないと思いますが、観客としては、なんだか怖くなってきます。
 FAで巨人に移籍するヤツがいるのは許せないのだけれど、そういう選手への怨念みたいなものが、カープファンである僕を燃え上がらせる、という一面もあるわけで。


 とはいえ、この本を読んでいると、野球の「本質」というのは、僕がこれまで思い込んでいたものとはだいぶ異なっている、ということも思い知らされるのです。

 イチローMLBでの活躍は、本当にセンセーショナルだった。細身の日本人選手が巧みなバットコントロール、スピード、華麗な守備や強肩で大男たちを翻弄していくのだからまさに痛快だった。ホームラン全盛のステロイド時代ど真ん中に突然現れた東洋のスピードスターに、アメリカ人も相当な衝撃を受けたのは間違いないだろう。
 しかし、このイチローとてメジャーの大男たちの中で見れば細く小柄かもしれないが、実際はすさまじい肉体をしている。ダルビッシュも一緒にトレーニングをした際、「異次元過ぎました」と表現している。また、日本では投高打低の1995年に1番打者としてリーグ2位タイの25本塁打を放つなど、十分に中長距離打者としても活躍していた。MLBでは自分の役割とタイプを理解してシングルヒットとスピードに特化し、守備を含めた総合力で勝負して結果を最大化したと言える。NPB時代はクリーンナップを任され、徐々に盗塁も減っていたが、MLBではパワー勝負は控えてスピードを活かし、1番打者としてヒットと盗塁にこだわった。
 有名な話だが、イチローは打撃練習ではいとも簡単にホームランを叩き込める。それくらいの技術とパワーのある選手が安打狙いに徹していたのだ。野手のいないコースにボールを落とす、野手が守備位置を下げるように強いスイングをしてからボテボテのゴロを転がす。これらを狙ってできる人間はほぼいない。こうした普通ではありえないような技術と徹底の本質を見ずに,走り打ちをして「転がせば何かが起こる」と考えると実態を見誤る。


 ピッチャーの「コントロール」についての話や、とにかく「インコース攻め」を賛美する傾向への疑問など、実際のデータを詳細に分析していったり、プレイヤーたちの「感覚」を突き詰めていったりしている文章を読みはじめると、ついつい時間を忘れてしまいます。
 プロ野球の世界というのは、僕がイメージしていた「常識」とは違う、あるいは、「常識」だったことが、もう、ずっと過去のものになっている。

 広島の藪田和樹の例もあげよう。2017年途中にリリーフから先発に転向し15勝をあげてチームのリーグ優勝に大きく貢献した藪田も、2018年は苦しんだ。藪田は独特の小さなテイクバックから150キロ近い威力のあるストレートと亜大ツーシーム、140キロ弱のカッター、スラッターをストライクゾーンにアバウトに投げ込み、球威で抑え込むスタイルだ。ストレートとツーシームだけでは球種が少なすぎるが、これに近い球速で逆方向へ変化するカッター、スラッターが加わることで一気に幅が広がり、ゾーン内へアバウトに投げ込んでも空振りや凡打となる投球を2017年は実現できていた。まさにスラット・シュート理論である。
 しかし、2018年は全体的に球速が2キロ程度低下した結果として打者が空振りをせず、ボール球にも手を出してくれなくなった。そのため、ストライクゾーンに投げている割合は大して変わらないのに四球が大幅に増加しており、制球難に陥っているという評価を受けて2軍暮らしが長くなった。元々制球は良くないがボールの威力があるからアバウトに投げても抑えられたが、球威が落ちた結果、制球難を補いきれなくなっている状態と言える。
 このように球威と制球には密接な関係があって、片方だけを純粋に評価することはかなり難しい。球速や投げたボールの結果なら客観的に評価できるものの、本当に投手が投げたい場所は投げる本人以外はわからないのだから、投手の制球力を数値で厳密に評価することは不可能に近い。


 藪田、去年はあんなに良かったのに、なんで今年は……と思い続けていた僕は、「たった2キロ、スピードが落ちただけで?」と驚いてしまいました。
 プロというのは、その「2キロ」で、通用するかしないかが分かれる世界でもあるのです。
 こんなにコントロールが悪いのなら、スピードを落として、もうちょっと制球を上げろよ……と思うピッチャーも多いのだけれど、どんなにコントロールが良くても、最低限のスピードがないと、プロの一軍では力で持っていかれてしまう。

 キャッチャーの評価基準や球団の経営術など、現代プロ野球の「グローバル・スタンダード」がわかりやすく紹介されていて、これまでとは違った視点で野球を見るきっかけになりそうです。
 
 とにかく贔屓のチームが勝てばいい!というファンよりも、自分は野球を見る目がある、と思っている「野球好き」にこそ、ぜひ読んでみていただきたい本です。


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