琥珀色の戯言

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【読書感想】空をゆく巨人 ☆☆☆☆☆

空をゆく巨人

空をゆく巨人


Kindle版もあります。

空をゆく巨人 (集英社学芸単行本)

空をゆく巨人 (集英社学芸単行本)

内容紹介
現代美術の世界的スーパースター蔡國強と、世界最大99000本の桜を植える福島の男。夢に挑み続けるふたりの“巨人”の奇跡の実話。

福島県いわき市の実業家・志賀忠重と、中国福建省出身の世界的現代美術家、蔡國強。二人は、1980年代にいわきで出会い、数々の驚くべき「作品」を生み出してきた。
砂浜に埋もれた木造船を掘り出した作品、海に導火線を置いて走らせた炎……蔡が描いたスケッチを、日頃アートに縁のない志賀らが頭と体を使って形にしていく――いわきは蔡が世界に羽ばたくきっかけとなった。
そんな二人の最大の作品が、東日本大震災後に制作した「いわき回廊美術館」だ。美術館周辺の山々では、志賀が、99,000本の桜を250年かけて植樹する「いわき万本桜プロジェクト」を進めている。
原発という「負の遺産」を残したことを激しく悔いて、未来のいわきを世界に誇れる場所にするために。
二人の「巨人」の足跡を辿りながら、美術、ひいては「文化」というものの底力を問う。こんな時代だからこそ伝えたい、アートと人間の物語。
読み終えたあと、一歩を踏み出す勇気が湧いてくる!

第16回開高健ノンフィクション賞受賞作!


 蔡國強さんの名前くらいは聞いたことがあるけれど、有名な現代アートの人と地方のパトロンの物語って、何が面白いのだろう?と思いながら読み始めました。
 そもそも、現代アートって、便器に『泉』とかいうタイトルをつけて「わかったような気がしている」観衆を丸め込んだり、フィギュアが何億円もしたりするような、よくわからないものだしなあ……蔡國強さんの作品も、正直、「みんながすごいと言っているから、すごい、のかな……」というくらいが僕の認識なのです。

 そんな僕が読んでも、この本はすごく面白かった。
 「現代アート」とはどういうもので、存在する意義はどこにあるのか、ということが、この本を読んで、ようやく実感できたような気がします。

 本書は、国籍も職業も生き方も異なるふたりの男の人生と、彼らが築いてきた友情、そこから生み出されたいくつかの「美術作品」を追ったものである。
 ふたりのことを知ったころは、一冊の本として書くべきかどうか、いや、書けるかどうかとずいぶん迷った。どちらもその生き様はあまりにも型破りで、自分の手には余るだろうという予感もあったし、また、「国境を越えた友情」などというありふれたテーマはノンフィクションとしてどうなのか、というのも正直な気持ちだった。
 それでも私は、ふたりの強烈な個性に惹かれ続けた。
 ふたりのうちのひとりは、蔡國強(ツアイグオチャン)。日本では「さい・こっきょう」という呼び名で知られる現代美術界の巨星である。中国福建省に生まれ、文化大革命の時代に育ち、1986年、29歳のとき日本に移り住んだ。東京と茨城県で九年を過ごし、その後はニューヨークを拠点に作品制作を続ける。来日当初、蔡はまったくの無名で、どこにでもいる中国人留学生のひとりだったが、火薬の爆発を使って描く「火薬画」や野外での爆発イベントで一躍有名になり、いまや現代美術界の世界的スーパースターとなった。
 もうひとりは、志賀忠重。福島県いわき市の農家で生まれ育ち、60代後半となった今もそこに暮らす市井の人だ。小さな企業を経営しており、カー用品などの販売事業で財を成し、面倒見がよく人望も厚い。好奇心も旺盛で、小型飛行機の操縦など多くの趣味を持つが、アートへの興味はゼロで、用がなければ地元の美術館にも足を運ばない。
 そんなふたりが、80年代の終わりに出会い、数々の「作品」を世に生み出してきた。蔡がアイデアを出してスケッチを描き、志賀とその仲間(「いわきチーム」)がそれを具現化するという不思議な二人三脚である。
 ふたりが生み出した作品のうち、最大のものが「いわき回廊美術館」だろう。私がその存在を知ったのは、2015年のことだった。そのとき私は、旅をテーマにネット記事を書くために、面白そうな取材先を探していた。ちょうど福島県郡山市に行く用事があり、ついでに寄れるところ、という条件で見つけたのがそこだった。東日本大震災のあとにつくられた野外施設で、入場料は無料、営業時間は「夜明けから日没まで」。


 このノンフィクションでは、まず、蔡さんと志賀さん、それぞれの人生が、交互に語られていきます。
 
 文化大革命に翻弄された蔡さんですが、1980年代になると鄧小平の経済改革とともに中国に「現代美術」の芽が生まれてきました。
 1981年、23歳のときに上海演劇大学美術学部に進学した蔡さんなのですが、しばらくは自分の方向性に悩みつづけます。
 試行錯誤のなかで、「火薬そのものをキャンバスの上に乗せ、火をつけてみた」ところ、爆発のあとキャンパスに残された火の痕跡に心を奪われたのです。

「火薬は宇宙のエネルギーを象徴するものです。見えるものを使って見えないものを表現するのにふさわしかった。火薬は永遠と瞬間、時間と空間を曖昧にして、混沌をつくってくれるのです」
 火薬の魅力について蔡はそうアーティスティックに説明するが、実はもっと切実でわかりやすい理由もあったようだ。
「自分の父親は真面目で、あまり大胆な性格ではなかった。私自身も父親と同じで、真面目でコントロールすることが好きでした。真面目なのは人間として悪くないのだけれど、アーティストとしてはあまりよくない。アーティストにはおかしい部分も必要です。だから、自分にはコントロールできないものが欲しかった。火薬は私を解放してくれるための起爆剤でした」
 それまでの生き生きとした色彩は姿を消し、闇夜の疾風のごとく渦巻く黒が絵画の主役となった。


 この「火薬画」というのは、「絵」なのだろうか?と僕は考えてしまうのですが、現代アートというのは、その作品にどんなメッセージが込められているかで評価されるところがあるのです。
 「それまでの絵画の固定観念を破壊する」という点において、火薬画は、たしかにインパクトがありました。
 ちなみに、こういう方法での火薬画にたどり着く前には、ロケット花火をキャンバスに向けて発射してみたこともあったそうで、「電撃ネットワークかよ!」と僕は読みながらツッコミを入れずにはいられませんでした。
 電撃ネットワークも、海外ではパフォーマンス集団として、日本国内以上に高く評価されているんですよね。


 志賀さんは、蔡さんと知り合ってから、いわきの仲間たちと一緒に、蔡さんの活動を支援します。
 それも、お金を出す、というよりは、作品の設営を手伝い、ともに時間を過ごす、という形で。

 1984年に開館したいわき市立美術館は、現代美術に力を入れ、イヴ・クラインアンディ・ウォーホルなどのコレクションが充実した美術館である。そんな特別な場所に向けて気合いが入った蔡は、溢れんばかりのアイデアを携えていわきに来ていた。
「海の沖合に、火を走らせたいのです」
 引っ越しの直後、丘の上の家に志賀、ギャラリーいわきの藤田など数人の仲間が集まっていた。蔡はすぐに作品の構想を説明し始めた。
 志賀の記憶によると、説明はこんな感じだったそうだ。
万里の長城でやったことを、今度は海でやりたいんです。沖合で火薬を爆発させて、炎によって地球の輪郭を描きます。水平線に炎が上がると、火が地平線を形づくるのが見えますね。暗いほうがいいので、新月の晩にやりましょう」
 たぶん実際の説明は、こんなに洗練されていなかったはずだ。のちに放映された『ズームアップ福島 地球の輪郭を描く』(NHK)というテレビ番組のなかで、蔡はこんなふうに説明している。
「夜、真っ暗になった闇のなか、向こう側から点火して、一瞬のうちに、一本の微妙な光、スーっと。地球の輪郭をきれいに見えるように出す、というプロジェクトです」
 もはや美術館のなかですらない”作品”に、人々は、へえ、面白そうですね、と答えるしかなかった。たぶん、誰もがそれはどんなものかは想像できていなかったのではないかと志賀は振り返る。
 何はともあれ、その構想は「地平線プロジェクト」と名付けられた。普通ならば「水平線」と呼びそうなものだが、描くのは地球の輪郭なので、「地平線」である。


 話としてはスケールが大きいのだけれど、実際の見た目はかなり地味としか言いようもない作品なのですが、地元の大勢の人が、この「一瞬の作品」のために作業でもお金の面でも協力したのです。

 その火は、なんとか終点に到着したのですが、著者はそのときの光景を「『イベント』と呼ぶには、あまりにも弱々しい光で、あっという間のできごとだった」と評しています。

 「いま、あのときを振り返ってどう感じますか」と、学芸員の平野に尋ねた。取材時には副館長となっていた平野は、昨日のことのように顔をほころばせた。
「よく(炎が)行きついたなあと感じましたねえ。”感動”という言葉では言い表せないです」
「そうですよね……。ただ一般の人にとっては、その意味を理解しにくい作品だったと思うのですが、どう受け止められたでしょうか」
 その思い込みに満ちた質問に対し、平野は「いや」と驚いたように首を振った。
「そんなことはありません。”地平線に一本の光”は、とてもわかりやすかったと思います。作品としては現代美術の難解さではなかった。光ですので、感覚的に捉えられるんですよね」
 その言葉にハッとした。光は美しい。その美しさは、誰もが本能で感じるものだ。蔡の意図がどうであれ、それは間違いない。彼が”光”を生み出す人だからこそ、人は彼の周りに集まるのかもしれない。──闇のなかに浮かぶ光が見たくて。
 平野は、ふっと笑みをもらした。
「あのとき、作品づくりを通じて人の輪ができた。それが彼の最大の作品なのかもしれないですね。もし美術館の資金が潤沢にあったら、たぶんまったく別の作品になったでしょう。資金がなかったから、むしろよかったのかもしれません」

 
 作品そのものよりも、作品を通じてできる「人の輪」のほうが、「本当の作品」なのかもしれない。
 僕はこれを読んで、現代アートが少しだけ理解できたような気がしたのです。

 東日本大震災で大きな被害を受けた後、志賀さんたちは、いわきの山にたくさんの桜を植える活動をしています。
 「復興には他にやることがたくさんあるのに、桜ばかり植えてどうするのか」「生態系が壊れる」など、その活動には多くの批判もあったそうです。
 それに対して、志賀さんは「放射能汚染という負の遺産を後世に残してしまった自分たちの世代が未来に残せる希望と夢が、桜なのだ」と考え、桜を植え続けていったのです。
 それが正しいかどうか、僕にはわからないし、そのお金があれば、生活がラクになる人だっていると思う。
 でも、人が前を向いて生きていくには、現実とは少し距離を置いた「希望」とか「喜び」も必要なのでしょう。

 2013年4月28日には、蔡さんの作品を集めた「いわき回廊美術館」も開館しました。
 美術館といっても、かなり自由なつくりになっていて、志賀さんたちは、ツリーハウスやブランコ、東屋、自作のブランコなど、思い思いのものを敷地内につくり続けているそうです。

 「現代アートって、よくわからない」という人にとって、どんな「やさしい入門書」よりも、感覚的に「現代アートの存在理由」を知ることができるノンフィクションです。
 僕も読んでいて、「『現代アート』って、もう、何でもアリなんだな……」と思ったのですけどね。


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