琥珀色の戯言

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【読書感想】そして、バトンは渡された ☆☆☆☆


Kindle版もあります。
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内容紹介
森宮優子、十七歳。継父継母が変われば名字も変わる。だけどいつでも両親を愛し、愛されていた。この著者にしか描けない優しい物語。 「私には父親が三人、母親が二人いる。 家族の形態は、十七年間で七回も変わった。 でも、全然不幸ではないのだ。」 身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作


 2019年『ひとり本屋大賞』10冊目。
 この『そして、バトンは渡された』は、『王様のブランチ』や『本の雑誌』などで軒並み高く評価されており、あまり先入観にとらわれてはダメだな、と思いつつも、「これが今年の1位候補かな」と予想してもいたのです。
 最後にとっておくつもりで読み始めたのですが、カープは負けるは桜花賞でシゲルピンクダイヤが来て外れるはで、かなり刺々しい気分で読むことになってしまいました。
 あらためて考えてみると、人が「ある一冊の本」に対して、どんな感想を抱くかというのは、作品そのものの力だけではなく、受け手側(読者)の精神状態や体調、置かれている状況に左右される面がかなり大きいのです。
 「父親が三人、母親が二人」いる主人公の森宮優子さんの視点で物語は進んでいくのですが、僕は読みながら、「こんなアドラー心理学をマスターしているような女の子だったら、僕の子供のころはもうちょっとハッピーだったかもしれないな、というかこの子、大人からみれば『いい子』だけれど、何か感情の起伏みたいなものが欠落しているのではないか」と、ずっと「馴染めなかった」のです。
 まあでも、そういう読み方をしてしまうのも、僕自身のメンタルの不安定さや、「どちらかの親が欠けてしまったり、親の離婚を経験した子供は『不幸』になるのではないか」という先入観のせい、でもあるんですよね。
 世の中には、そういう「毒親によって不幸になった子供の話」が溢れているけれども、実際は、みんながイメージするような「理想の家族像」とは違ったり、血が繋がっていなかったりしても、楽しくやっている、あるいは、信頼しあっている「親子」や「家族」っているはずなのですよね。それも、少なからず。
 メディアやネットでは「不幸な親子や家族」ばかりがセンセーショナルに採りあげられることが多いのだけれども、「周りからみたらイビツでも、当事者たちにとっては心地良い家族のありかた」というのもあるのでしょう。
 この本を読んでいると、半分、そんなことを考えさせられ、残り半分、「でも、これはあまりにも『優しい物語』すぎるよなあ、と考えてしまうのです。

 僕は最初、森見優子視点で読んでいたのですが、後半は、優子の義理の父親である「東大出で一流企業で働いてはいるけれど、恋愛とか愛情に不器用で、それでも親としての務めを懸命に果たそうとしている」森宮さんに感情移入ぜずにはいられませんでした。
 というか、血が繋がっている、いないに関わらず、「子どもを持つ親の想い」みたいなものに共感せずにはいられなかったのです。
 そういえば、メディアなどで、この作品を評価した人の多くも、僕より少し年上で、子どもの成長を見守ってきた親(とくに父親)が多い気がします。
 親たちが自分自身の「子どもへの愛情」を再確認して涙している。
 ある意味「2分の1成人式」みたいな小説にも思われます。


 これ、僕が中高生くらいのときに手にとったら、「恩着せがましい話だなあ」って、うんざりしていたのではなかろうか。
 

 ただ、僕も年齢とともに「こんなのお涙頂戴小説じゃん!」と言うのは不粋であることもわかるようになりました。
 子どもを育てることは、うまくできていて当たり前で、うまくいかなければ大バッシング、みたいな綱渡りを続けていくことなのだから、こういう作品によって、「ああ、いろいろあったけれど、自分も子どもと一緒に過ごしてこられて、幸せな人生だったな」と救われる親がいることは、素晴らしいことなんですよね。
 ネットでは、すぐに「毒親!」「そんなの絶縁してしまえ!」なんて言葉が突き刺さってくるのだけれど、親自身にだって、ひとりの人間としての感情の波があり、子どものために我慢しなければならないこともある。
 血が繋がっているからこそ、期待したり、許せなくなってしまうこともある。
 「血が繋がっていても」なんていうのがすでに「言い訳」で、親に問われているのは「覚悟と甲斐性」だけなのかもしれない。それに、子どもとの生活はつらいことばかりじゃない。

「明日が二つ?」
「そう。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になることだよって。明日が二つにできるなんて、すごいと思わない? 未来が倍になるなら絶対にしたいだろう。それってどこでもドア以来の発明だよな。しかも、ドラえもんは漫画で優子ちゃんは現実にいる」

 負の側面ばかりが採りあげられやれやすい親子関係だけれども、子供の存在によって人生の意義を見出せる、やりがいができる、というのも事実なのでしょう。
 こういう、「普通の親が、普通に救われる小説」っていうのは、ありそうでなかなかないよね。


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