琥珀色の戯言

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【読書感想】創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち ☆☆☆☆

創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち (新潮文庫)

創作する遺伝子 僕が愛したMEMEたち (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
メタルギアソリッド」シリーズ、『DEATH STRANDING』等を生んだ天才ゲームクリエイターの創作力は、本、映画、音楽への深い尊敬と情熱によって焚きつけられていた―。散文集『僕が愛したMEMEたち―いま必要なのは、人にエネルギーを与える物語』を再構成し改題。会社独立後から現在にいたるまでの想い、新作への意欲を新たに書き下ろした熱烈なる偏愛エッセイ。特別対談:星野源


 『メタルギア』シリーズの生みの親であり、物語性の高いゲームのクリエイターとして、世界的に知られている小島秀夫さんの著書です。
 新作『DEATH STRANDING』の発売にあわせて、以前上梓されていた著書が再編集・文庫化されました。



 内容としては、小島さんが、これまで影響を受けてきた本や映画について語っているものが多くを占めており、巻末には星野源さんとの対談も収録されています。

 タイトルにある”MEME"というのをみて、僕は「メメ?」と思ったのですが、小島さんは、こう語っておられます(読み方は「メメ」じゃなくて「ミーム」です)。

 本を読むことや、映画を観ることは、疑似体験ではあるが、立派な”体験”だ。
 もちろん、実際に旅をして、その土地の空気を直接感じる方がいいだろう。山に登った話を人に聞くよりも、自分で登った方がいいに違いない。しかしそれにも限度がある。だから本や映画で、他者の体験や感じたことを疑似的に体験し、共有することに意味があるのだ。
 行くことのできない過去や未来、遠い世界を体験できるし、自分と違う民族やジェンダーにもなれる。本は一人で読むものだが、そこで繰り広げられている物語を多くの見知らぬ人と共有できる。
 孤独だが、繋がっている。
 その感覚に、子供の頃からずっと助けられてきた。
 だから僕は、本書によって、本が与えてくれた”繋がっている”という感覚を誰かに伝えたいと思っている。
 そんな繋がりを媒介してくれるのが、”MEME(ミーム)"だ。ご存知の方も多いだろうが、これは進化生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した概念である。生物学的な遺伝子(GENE)とは異なり、文化や習慣や価値観などを次世代に継承していく情報のことだ。物語は、MEMEの形態のひとつだと言っていいだろう。語り継がれ、読み継がれて、文化を継承していくのだ。
 人と人のつながりが遺伝情報(GENE)を継承するように、人が本や映画と繋がることで、MEMEは継承される。


 生物学的な「つながり」ではない、文化や情報の継承による「つながり」というのは、小島さんの新作『DEATA STRANDING』でも重要なテーマになっているようです。

www.famitsu.com
 
 小島さんは1963年生まれで、僕より少し年上なのですが、この本で紹介されている本や映画は、僕も若い頃に読んできたものが多くて、親しみを感じてしまいました。

 小松左京著『復活の日』の回より。

 わたしが最初に『復活の日』に触れたのは1970年代半ば。当時細菌兵器によるパンデミックものは珍しくなかった。しかし、この小説が1964年に書かれたことを思うと改めて驚くほかない。マイケル・クライトンアンドロメダ病原体』よりも、田中光二『大いなる逃亡』よりも、パンデミック映画の元祖と云われるロメロの『ザ・クレイジーズ』やコスマトスの『カサンドラ・クロス』よりもずっと以前。あまりにも早過ぎるため、SFとして受け流された不幸な作品だ。
 とにかくスケールがデカイ。精緻な科学考証、当時の政治背景、世界各国に散らばる登場人物達をコラージュすることで、人類滅亡を極めて小説的に、緻密に、贅沢に描いている。ワクチン生産の為に必要な鶏卵の高騰、ガラガラの電車内に見える白いマスク、真実に疎いメディアなど、SARS豚インフルエンザといった近い記憶までをも思い起こさせる。この溢れるリアリティ。今読めば本書が『空想科学小説』ではないことがわかるだろう。


(中略)


 SFに夢中だった頃、わたしは「こんな社会だったら、いっそのこと滅びて欲しい」と世の中を妬み、滅亡や世紀末をテーマにした作品を好んで読んだ。しかし、現実に直面してみて、間違いに気づいた。SFは現実逃避の道具ではなかった。国や時代を超えて、未来へ警鐘を鳴らす為に生まれたメディアだったのだ。この歳になって『復活の日』を再読すると、そこに書かれた小松左京氏の強い遺志を感じとることができる。


 僕も『復活の日』を中学生のときに読んで、映画も観たのを思い出しました。
 そして、僕も「こんな世界など、滅びてしまえばいい」と世の中を呪っていた若者のひとりだったのです。
 
 小島さんは、映画を撮りたい、その次に、作家になりたい、という夢が破れ、ゲーム業界に飛び込むことになりました。
 結果的に、読んできた本や映画が、ゲームクリエーターとしての小島さんの「作家性」を支えているのです。


 巻末の星野源さんとの対談では、こんな話が出てきます。

小島秀夫源さんとは出会ってどれぐらいになるんでしょう?


星野源2012年に雑誌「POPEYE」の連載企画「星野源の12人の恐ろしい日本人」の中で対談させてもらったのが最初ですね(マガジンハウス刊『星野源雑談集1』に収録)。


小島:ということは、もう7年が経つんですね。


星野:7年! そんなになるんですね……。今回この対談のお話をいただく前に、たまたま家で「メタルギア・ソリッド」シリーズのイベントムービーを色々再生して眺めていました。『メタルギア・ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』には、ザ・ボスが「他者の意思を尊重し、そして自らの意思を信じること」と語ったことをビッグ・ボスが彼女の墓前で思い返すシーンがあります。ゲームの発売は2008年だから、おそらくこの台詞を小島さんが考えられたのはもっと前。SNSとかが普及する以前のことですよね。でもこの言葉って今こそ一番必要な感覚を表していると思うんです。他人の意思を尊重することが、自分の意思を尊重することにもなる。他人の存在を認めることが自分の存在を認めることになる。けれどそこが、みんなうまくいかなくなっている。ゲームをプレイしていた当時も感動した台詞だったのですが、小島さんは今から10年以上も前に、その感覚を意識していて、物語に組み込んでいたんだなと改めて気付かされました。作中へのメッセージの込め方が小島さんのように粋なクリエイターって少ないと思うんです。そういうところが凄く好きだなと。
 あと、いろんな人に言われていると思いますけれど、小島さんにしか表現できないユーモアの在り方も大好きです。コントローラを放置していたら勝手に震え出すとか。あんなの、笑わずにはいられないじゃないですか。


小島:あれ、作った本人も、たまにびっくりしますよ。


 僕もこの場面はよく覚えているのです。
 今は、ゲーム制作にかかるコストも関わる人数も大きくなって、「この人のゲーム」と言えるような作品は、あまり見かけなくなりました。
 そんななかで、小島さんの作品には、ずっと「小島秀夫らしさ」が詰まっているのです。
 

 わたしは25年前、ゲームに不必要だと云われていた「物語」と「メッセージ」を加味した。しかし、その志向はソーシャルゲームの勃興と共に、消えつつある。「ゲームは暇つぶしでいい。カルチャーにはならない」、それが「時代」が下した結論であるかもしれない。
 それでも、わたしは、80歳を越えても、現役であり続けるつもりだ。わたしは、自分のMEMEをゲームに込める。それが、皆川(博子)さんからもらったバトン(MEME)である。


 僕は、ひとりのゲーマーとして、小島さんの「闘い」を応援していくつもりです。
 『DEATH STRANDING』を遊んでみたら、志だけが高いクソゲー、って可能性も無くはないのだけれど、それでも、小島さんがつくったゲームは、とりあえず触ってみたい。


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