琥珀色の戯言

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【読書感想】売れるには理由がある ☆☆☆☆

売れるには理由がある

売れるには理由がある


Kindle版もあります。

売れるには理由がある

売れるには理由がある

内容紹介
これは芸人たちが己の人生を「0→1」にした
あの頃を描いた、おとぎ話である。
エピソードを収集し、教訓や方法論を抽出し、
著者の鮮やかな筆で編み上げた、
グリムやイソップに続く「スキマ童話」。
上質な短編集として楽しむもよし、成功のノウハウ、
生きるための知恵を授かるもよし。
何かしらのジャンルで“一発"当てる、
その助けとなるだろう。――― 山田ルイ53世(髭男爵)

ツービート、タモリ明石家さんまとんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンナインティナイン、さまぁ~ず、オリエンタルラジオ、オードリー、南海キャンディーズ古坂大魔王(ピコ太郎)――。
古今東西、あの人気芸人たちは、どのような“チャンス"“きっかけ"“出会い"をモノにすることで、大きくブレイクすることができたのか?
総勢43組、珠玉の“ネタ"で語られる「芸人たちの運命変更線」。


 どんなに才能にあふれた芸人であっても、デビューした途端に「売れっ子」になれるわけではありません。
 下積み時代の長さに違いはあっても、ブレイクスルーのきっかけになったネタ、あるいは番組というのがあるのです。
 この本は、その「ネタ」に着目して、どんなタイミングで、何がきっかけで生まれ、その後の彼らの人生をどう変えていったのか、が紹介されています。
 43組の芸人が登場してくるので、ひとつひとつを丁寧に、というわけではありませんが、これだけの事例が集められていて、それをまとめて読むことによって、「ブレイクしたネタに共通すること」と、「それぞれの個性」が浮き彫りにされているのです。


 春日さんの結婚が話題になった、オードリーの「ズレ漫才」の項では、こんなエピソードが紹介されています。

 オードリーには結成から約8年間、テレビにまったく出られなかった下積み時代がある。その頃、役割が現在と逆で、若林がボケ、春日がツッコミだったのは有名な話だ。しかし、オーディションでは「どう見ても春日はツッコミとしてポンコツ」などと言われる始末。思案した若林は自分たちを徹底的に見直そうとライブを開催することにした。だが、ライブ会場を借りるかねはない。そこで会場となったのが「むつみ荘」。いまや有名になった風呂なし6畳一間の春日が住むアパートだ。10人入れば満員となる”会場”。隣の部屋に声は筒抜けだ。「小声トーク」と名付けられたそのライブの目的はハッキリしていた。トークの模様をすべて録画し、ウケている部分とそうでない部分を分析していったのだ。すると、若林はあることに気付く。
 春日のツッコミがほとんど間違っていたのだ。翻って、もっともウケていたのが、春日の間違ったツッコミに若林がツッコミ返すときだった。
 そうか! ツッコミの場所が違う、ニュアンスが違う、そんなツッコミができてないというのをそのまま漫才でやればいいのではないか。
 若林は「思いついた瞬間気持ち悪くなった」というほどの天啓を得たのだ。その瞬間、「ズレ漫才」の構造ができあがった。
 彼らはなんとかして「売れたい」と試行錯誤を繰り返しながらも当時は売れるということが、リアルに想像できなかった。それでも「夢」を諦め、「辞める」という選択をすることもできなかった。なぜなら「辞める」理由が見つからなかったからだ。「辞める」にも理由がいる。明確な理由がほしかった。だから苦悩の果て、半ば「クビになること」を目指すようになっていく。クビになるために事務所に怒られそうなことをやる。そのひとつが、漫才なのに、春日がゆっくり歩いて入ってくるというボケだった。また、若林は岡本太郎に惹かれていた。売れず、孤独だった若林は岡本太郎記念館に行き「坐ることを拒否する椅子」に座ると自然と涙が出てきた。
「笑わすことを拒否する漫才を作ろう、そのほうが伝わる」
 若林は春日に「太陽の塔」のように立ってくれ、と提案する。こうして、胸を張って立つ春日のキャラができあがったのだ。


 僕は、ある程度売れてからの(というか、『M-1』決勝に初出場してからの)オードリーしか知らないのですが、若林さんの著書はほとんど読みました。


fujipon.hatenadiary.com

 若林さんのような「笑いの求道者」が、さんざん試行錯誤しても、なかなか「売れるための正解」にはたどり着かなかったのです。
 いまのオードリーを知っていると、「春日さんがツッコミなんて、そりゃうまくいかないだろうな」と言いたくなってしまうのですけど、「正解」を知らない時代の当事者には、それがよくわからないのです。
 それでも、ひたすら迷走した末に「笑わせることを拒否する漫才」という境地に達したとき、ようやく、ウケるようになった。

 この本を読むと、多くの競争相手がいて、「クラスでいちばん面白かったヤツら」のなかで、ブレイクするというのは、並大抵のことではないのだな、と思い知らされます。
 「売れるネタができあがるまでのエピソード」なのに、読んでいて涙が出そうになることもありました。


 芸人という仕事の場合、「自分たちたちが新しい、面白いことをやっている」つもりでも、お客さんにウケないと、どうしようもないのです。
 そこで、どうふるまうのが「正解」なのか。


 バカリズムさんの項より。

トツギーノ」は『R-1ぐらんぷり』(関西テレビ・フジテレビ)で披露されると、一気に各テレビ番組で引っ張りだこになった。そんな頃に呼ばれた結婚式では当然「トツギーノ」をやるようにせがまれた。そこでバカリズムは、あろうことかそのフリップを1枚残らず出席者に配ってしまったという。そして芸人仲間に嬉しそうに言った。
「僕もう稼げないっすわ」
 ネタ番組に出るたびに「トツギーノ」を求められることにうんざりしていたバカリズムはこうして自ら「トツギーノ」を封印した。


 爆笑問題の項より。

 よく太田への批判に「つまらない」ボケを繰り返していると言われる。太田はそういった自らのテレビの芸風を「バカッター芸人」と自嘲する。
「成人式で暴れてる映像あるじゃないですか。あれ観て、こいつら何なんだよ、と思ったんですけど、ふと、テレビで俺がやってるの、これだなって(笑)。気がついたんです。よく、事件現場でピースしてる奴いるでしょ? ああやってテレビに出てきたんです。それでここまで来たもんですからだから最近のバカッターとかを全然否定できないんです。僕はアレの代表(笑)」
 太田がこうした芸風になったのは『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ)の頃からだった。それまで爆笑問題といえば尖った芸風。どちらかといえば斜に構え、常に考えぬかれた「面白いこと」しか言わないタイプだった。だが、この頃から「玉を打てるだけ打って、どれか当たればいい」芸風に大きく変わっていった。そうして「つまらない」ボケをすればするほど、テレビでの爆笑問題の存在感は大きくなっていった。
 そのきっかけを与えてくれたのが雑誌の連載だった。後に書籍化され大ベストセラーとなる「爆笑問題の日本原論」だ。考え抜いた尖った原稿を自信満々に編集部に出したが、突き返された。「面白いけど、これを疲れたサラリーマンが会社帰りに電車で読みますか?」「読み終わったら駅のゴミ箱に捨てるくらいの、そういうつもりで書いてください」と。その一言を聞いてから「会社帰りのひとりのくたびれたサラリーマンを笑わせる」ことが太田のテーマになった。「太田がまたバカやってる。俺のほうがマシだわ」と思われることが自分の役割だと。


 お客さんから求められるものに対して、どのようなスタンスをとっていくべきなのか。
 結局のところ、すべての芸人にあてはまる「正解」など無いんですよね。その人にとっての「答え」はあるのだとしても。
 それでもやはり、「売れるネタ」には、共通点したところがあるのかもしれません。
 著者は、この本の「まえがき」で、こう述べています。

 そうしてつぶさに見ていくと彼らが出会いチャンスをものにし運命を変えた「代表作」には、ある共通点があることがわかってくる。歌舞伎用語で「ニン(仁)」というものがある。役柄が持っている雰囲気や「らしさ」などを指す言葉だ。「ニンが合う」「ニンが合わない」というのがその歌舞伎役者や演目の重要な評価基準になっていた。転じてそれが落語などお笑いの世界でもその芸人の芸柄や人柄を指す言葉として使われ、よく芸人は「ニン」と合致したネタができたときに、売れるなどと言われるようになった。その道筋も、生まれたネタもそれぞれまったく異なるものだが、根底には、その人にしかできない、その人だからできたという必然があるのではないだろうか。本書で描きたかったのは、その必然だ。だから、ネタを語ることはそのままその芸人を語ることでもあるのだ。そこにはきっと、何らかの”理由”が隠されているはずだ。


 お笑い好きだけでなく、何かを「つくる」ことを目指している人、「自分らしさ」とか言われても、よくわからないな、と思っている人にもおすすめです。
 「疲れたサラリーマンが会社帰りに電車で読んでも面白い本」なんですけどね。


笑福亭鶴瓶論(新潮新書)

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